積年の思い、再びーーBLMで

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 新聞記者は単純なのもので、自分の原稿が大きく載ればうれしいが、ようやく出たかと思えば小さな扱いだと、いまいましい気分になる。最近、そんないまいましさを思い出した。

 特派員としてアフリカ、ラテンアメリカ、イタリア、ギリシャをカバーしていたころ、私の主な仕事は読み物、企画記事を書くことだった。1回1000字ほどの長さで3回から7回ほど連載していた。もちろんニュース記事や大型企画を書くこともあるが、私は連載が一番自由で、好きなように書けると思い、このスタイルを貫いてきた。
 だが、記事の大きさや扱いを最終的に決める新聞社の外信部長や副部長には、こうした読み物記事をてんで理解しない人もいた。部長で言えば中国屋と呼ばれる中国を専門とする元特派員にその傾向があった。彼らの特徴は大国か先進社会にしか興味がなく、アフリカやラテンアメリカを低く見るところだった。
 今はネットで広まるデジタル記事があるため、書きたければいくらでも書けるが、つい10年前までは紙面には限りがあった。私の原稿は彼らが一段低く見る夕刊か、朝刊の国際面でも「南半球」と呼ばれる新聞をタテに二つ折りした下側に小さく載るのが常だった。シリーズで何度もやった「ローマでおしゃべり」という読み物も固定読者がつき好評だったのに、ずっと南半球だった。
 その上でさらに短くするよう要求されたので、ついにキレて、「なんで机で書くだけの翻訳原稿みたいのが上で、俺の原稿が下なんだ。面白いのが第一だろう」と抗議するとこんな返事が返ってきた。「藤原君はかなり載ってる方だよ。それに、面白けりゃいいってもんじゃない」
 じゃあ、なんなんだ。現実に何一つ目を引く表現のない社説や面白みのない記者のコラムを延々と載せ続ける新聞の存在意義が私にはわからなかった。
 と、当時のいまいましさを思い出したのは、5月末からアメリカで広がった黒人差別への抗議運動のせいだ。警察官の暴力で黒人男性が死んだのを機に、若い層を中心にデモが広がり、その波は欧州に飛び火した。
 その様子を英字紙で知った私は少し驚いた。
 黒人が殺され、警察批判、予算や法的な改善が求められ、白人至上主義と「人種差別」に話が及ぶまではわかる。
 それがすぐさま、米国南部での奴隷制の話へ進み、南北戦争のときの南部の英雄の像が汚され、流れは欧州に伝播した。
 奴隷貿易で得た富で町おこしをした英国人の銅像が湾に放り込まれ、英オックスフォード大のオリオル・カレッジは6月半ば、「ケープタウンからカイロまで」をスローガンにアフリカの資源奪取をはかった植民地主義者、セシル・ローズの像の撤去を決めた。今回の問題が起きる前から像の撤去を求める声が高まっていたからだ。
 暴力的な手段でコンゴ民主共和国(旧ザイール)やルワンダ、ブルンジを支配したベルギーのレオポルド2世の像もデモの標的となった。これを受けてベルギー国王が6月末、コンゴの独立60周年を祝う手紙でコンゴのフェリックス・チセケディ大統領にこう書いた。「過去の傷について遺憾の極みを伝えたい。傷の痛みは今日、私たちの社会に今もある差別によって呼び覚まされている」。

 驚いたのは、これがベルギー王室からコンゴに向けた史上初の「遺憾の意」ということだ。
 私はルワンダやコンゴでベルギー外交官に「この地域で暴力がひどいのはベルギーの植民地時代の暴力的な扱いの影響ではないか」と何度も聞いたことがある。彼らはその度に過剰に反応した。「あなたは日本人であり、アフリカがわかっていない」「教育や生活改善など精一杯のことをしてきた我々に責任はない」と。
 英国の問題はベルギーとはスケールが違う。
 私はダイヤモンドの老舗企業、デビアスとそこから派生してできた非鉄メジャー大手、英国のアングロアメリカン社の歴史について新聞雑誌に何度か書いたことがあった。その際、世界の非鉄金属の生産量を調べたら、トップ50社の実に多くが英国や豪州、南アフリカなど英国の旧植民地で構成されるコモンウェルス(英連邦)の企業だと知った。金銀をはじめとした多くの金属価格はLME(ロンドン金属取引所)で決められている。
 こうした英国系の企業によるアフリカ資源の権益確保とその歴史の流れが今も続いていることをつぶさに書いたら、なんの前ぶれもなくデビアス社から大量の資料が送りつけられたことがあった。また、英国の外交官に「外務省の次官をインタビューしてほしい」と丁重に頼まれ、会ってみると私の記事が話題になった。「よく書いてくれている」などと言いながらも、次官は植民地経営にいかに費用がかかったかなど英国側の言い分も含め、より公正に書いてほしいと圧力をかけてきた。
 圧力に屈したわけではないが、私は持ち場がラテンアメリカ、イタリアに代わったこともあり、アフリカでの植民地活動についてはしばらく離れたままだった。
 「今更書いても何が変わるわけでもなし」「欧州人らがそれで反省するわけでもなし」などとどこか諦めているところがあったのは事実だ。
 だが今回、米国の若い層を中心に始まった運動を見て、私にもまだやれること、やり残したことがあると思い始めた。
 近いうち、アフリカに行こうとは思っていたが、そこで自分は何をするのか。漠然としていたことが少しずつ見えてきた。

(2020年7月、「点字ジャーナル」連載「自分が変わること」第134回として掲載)