今からでも、あのころに戻れるだろうか

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木陰で一日がかりの形見分け=ダンザニア西部、ビクトリア湖近くの村で (c) Akio Fujiwara

 私は1984年、23歳のときに初めて海外に行った。インド・ヒマラヤを登るためだった。その帰りにインド、ネパールの街や村を回ったのが、大きな転機となった。山よりも、もっと世界の人々の暮らしを見てみたいと思うようになった。
 鉱山会社に就職前の86年に中米に行き、3年後に新聞記者に転じてからはアフリカ、ラテンアメリカ、そしてイタリアまで14年半、海外で暮らす機会を与えられた。戦争や政治取材の傍ら、私は普通の人々の暮らしをのぞいてきた。
 タンザニアの村で老人の形見分けの儀式を目にした。遠方から集まった身内や友人たちがアカシアの樹の下で死者の思い出を語り、彼が残したコートやシャツ、椅子、パイプなど粗末な品々を分けあっていた。それを授かる人々の喜び、死者とのつながりの深さに驚かされた。自分にももしかしたらあったかもしれない、懐かしい感情を見せつけられたような気がした。
 炭焼きでごく稀に現金を得る家の30代の主(あるじ)は「最近はお金を見ない」という言い方をした。つまり、お金とは、ときどき手にする珍しい物であり、自給自足の暮らしの中では欠かせないものではないという意味にとれた。
 彼らの暮らしぶりを私は「理想郷」のように感じたが、それを口にしてはいけない気がした。あえてそういう暮らしを捨ててきた北の国からやったきた人間の感傷にすぎない、と思ったからだ。「途上国」は80年代からこの方、借金を得る条件として、国際通貨基金(IMF)と世界銀行による構造調整、別の言い方をすれば、新自由主義の下、ひたすら効率を求める形に国を変えてきた。経済規模は確かに大きくなったが、共同体的な村は消え、「理想郷」では、お金が日常のものとなった。
 それで幸せになったのかい? そんな問いを胸の奥にしまいこんできた私は、ここ数年、イタリア、ギリシャなど地中海世界を知る中で、それは決して愚問ではないと思うようになった。欧州の一員ということで、どうにかIMFの構造改革を免れてきた南欧諸国はいま、大きな改変を迫られている。市場では彼らの破産に賭ける金融商品の取引が盛んだ。
 だが80年代から黙々と改変に従ってきた途上国よりも、南欧の庶民の抵抗は大きい。入ってくるお金がいくら減ったとしても、暮らし、ライフスタイルは変えたくはないという抵抗だ。身内が何かと頻繁に集まり、長い夏休みを故郷で過ごし、大型店ではなく近所の古い小売店で物を買う……。そんなスタイルを失えば、日常の一瞬の喜びさえも奪われてしまうとわかっているからではないかと思う。
 債務危機の立て直しで、IMFの介入を嫌うギリシャ人。原発拒絶を国民投票であっさりと決めたイタリア人。3月に起きた福島第一原発の事故が、彼らの抵抗をより強めた面もある。効率を求めた結果が、あの惨事かと。
 市場や成長にとらわれた国家運営よりも、質素ながらも共同体的な個人の暮らしを重んじる。そんな社会変動が、地中海世界から起きる予感が私にはある。どう始まり、どう広がるかはまだわからないが。
(「暮しの手帖」2011年8月号掲載原稿を一部変更)