超俺的京都サンガ入門

初めまして。
何か始めようと、noteを登録したものの1年近く何も書いていませんでした。。。
今年はちょこちょこ書いていければと思います。
暖かく見守ってください。

初回は私の愛する京都サンガの話です。
題して京都サンガ入門なんですが
サンガっていうチームはどうこうという入門ではなくて、
どの様にして私がサンガを好きになったかを綴れればと思います。
ではいきましょう。完全なる個人の見解、解釈を盛り込んだ記事をとくとご覧あれ

京都サンガってなに?

サンガがJ1に参入したのが1996年だったので初めて京都パープルサンガという名前を耳にしたのは1995年だと思う。
自営業をしていた父や叔父の界隈から初めて京都にプロサッカークラブができると聞いた。今思うと地元の青年会や商工会議所かそんな絡みで当時はホットなトピックになっていたのだろう。
御多分に洩れず我が家も何試合か観戦した記憶がある。
アワードパーティー的なやつまで行ったはず。。
そのパーティーにラモスがいなくて、ラモスしか知らなかった私は
ラモス見れないのかよ!と、よく知らない選手のサインをただただ集めるというもはやスタンプラリーを渋々こなしていた記憶がある。※当時の選手ごめんなさい。
この頃は分別も付かない頃で、サンガを熱心に応援していたわけではなく、
街にあるクラブというだけでそれ以上でも以下でもなかった。
(↑京都市民の大半がまだここ,所謂パープルサンガ現象とも呼び、未だに京都サンガに名前が変わったことも知らない層にまだパープルサンガ応援してんの?と聞かれる。これについては後日改めて話したい)

天皇杯優勝と松井大輔

それからというものJ1でも絶妙な下位を彷徨い、
とうとうJ2へ落ちるというエレベータークラブの礎を築いた時に
私はサンガには目も暮れず、セリエAと2002年のW杯に気持ちを高ぶらせていた。
私にとってのフットボールはJリーグからと言うよりセリエAが入りだったんだと今更ながらに思う。
当時のセリエAはタレント揃いで、華があった。デルピエロとかね。
特に、13歳で迎えた日韓W杯は私の人生に大きく影響を与えたことは間違いないが
もう一つ大きく私とフットボールを結びつけたのは2003年の天皇杯優勝である。
忘れもしない元旦の天皇杯決勝、朴智星と黒部のゴールで鹿島を破った一戦は京都サンガを再認識させるものであった。
その中でも、特に松井大輔のドリブルやボールタッチに心を奪われた。
当時はミランのルイコスタが好きで、少しタイプは違うものの創造性に富んだファンタジスタタイプの選手が好きだった。
丁度、その頃からアテネ五輪の話題も出始め、松井への興味と共に京都サンガが気になる存在となり始めた。

エレベーター発動と新たな出会い、サポーターへ

と興味が出て来た途端にサンガは2003年シーズンにJ2へ降格してしまう。
当時は松井大輔の存在だけでサンガを応援していた様なもので、2004年のアテネ五輪後に松井大輔がル・マンへ移籍した際にはサンガから心が離れそうになったが
そこを繋ぎ止めたのは田原豊と渡邉大剛であった。
田原豊のダイナミックなプレーと渡邉大剛のスピード感は見ていて爽快で、ファンの心を掴むには十分なインパクトがあったと思う。
翌年にはパウリーニョ、アレモンの2トップを獲得し、安定感に欠ける田原を他所に充実したストライカー陣と縦に早いカウンターを駆使して再度Jへ昇格する。
正直この年に昇格できなかったらかなりその後のサンガは厳しかったと思う。パウリーニョは引き抜かれていただろうし大剛や加藤大志も引き抜かれていたと思う。
この頃から徐々に兄と一緒に西京極へ通い始め、サポーターとしての本能が芽生え始めた、いや私のローカリズムが沸々と湧き出し始めた。
J2を席巻した攻撃力は見ていて、面白かったし、何よりまた見にこようと思えるサッカーであった。そう言う意味ではJ2で良かったかなと思う。
その中でもチャントでサポーターが熱狂するという構図に痺れた。血湧き肉躍った。特にゴール後の選手チャントはサポーターにとって最も熱が入る瞬間だし、選手とサポーターの一体感が絶頂を迎える瞬間である。その瞬間を数多く体験できたシーズンだったし、サポーター化するにはうってつけの年だったと思う。
(個人的に2021シーズンは2005以来のサポ増殖シーズンだったのではと思う。どちらもJ2というのがなんともサンガらしいが)

以降、現在まで

ここからはホームの試合を中心に観戦しにいくようになり
J1数年とその後の大半をJ2で過ごすこととなる。
多分同世代のサンガサポも同じような経緯を辿った方も多いのでは。
思い出の試合はサンフレッチェとの入れ替え戦。プレーオフの徳島戦とセレッソ戦。などなど今後ちょこちょこ話せればと思うが、2004年からかれこれ17年近くサンガを応援している自分を褒めたい。これだけサポーターを振り回すチームはなかなか無いのでは無いだろうか。だからこそ愛おしく美しい。と思い込んでいる。
2013年以降は大学卒業とともに東京へと引っ越したことでアウェー中心の生活を送り、今はブラジルという地球の裏側でVPNを駆使しながらDAZNで応援する日々を過ごしている。
プチ古参アピールみたいになってしまったが、何も古参が偉いとか凄いと言いたいわけではない。
最近のTwitterを見ると若いサンガファンが数多く見受けられ、非常にうれしい。
サポーターを産むのは選手であり、クラブであり、サポーターだと思っている。
自らがまた来たいと思ったようにスタジアムの雰囲気は選手とサポーターで作るものだと思うから、今後も少しでも手助けできればと思う。

さぁ2022 J1の舞台へ

ここまでサポーターになった経緯を書いて来たわけだが、ここからが本番。
12年ぶりのJ1, 曹監督と共に挑むシーズンがいよいよ訪れる。
待ちに待った舞台で、思う存分見せてやろうぜ京都サンガ、共に勝利をもぎ取ろう
邪魔する奴らは全部ぶっ飛ばそうぜ!

Tchau!!






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?