見出し画像

「いきもの人生相談室」とその両側にあった本の読書感想文

ツイッターで見かけた、

「図書館で、自分の選んだ本の両隣にある本も一緒に借りると、自分では選ばない思わぬ一冊と出会える。そこで読んだ本で得た知識が、たまに役に立ったりするのが面白い」

という投稿。

実践したくて、図書館に行ってきた。

私の最近のトレンドは「動物」!

きっかけは、アマゾンプライムで配信されていた、「スパイカメラ」という番組だ。
動物そっくりのカメラを仕込んで、野生の動物を撮影し、どんな風に生活しているのかを美麗な映像とともに楽しめる。 
動物の赤ちゃんもいっぱい見れて、最高にかわいい。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B08VFYMD79/ref=atv_dp_share_cu_r

激アツな地球上の生物にどハマり中、今回選んだのは、
「いきもの人生相談」
という本。

そして、たまたま両隣にあった
「動物たちは何をしゃべっているのか」
「後悔するイヌ、嘘をつくニワトリ」

の3冊を借りてみた。

「いきもの人生相談 動物たちに学ぶ47の生き方哲学」
は、さくっと読みやすいけれど、笑えたり、驚いたりしながら、動物の生態がわかるような1冊だった。

人生相談は生活や恋愛、仕事などなど、人間の身近なお悩み。

「貧乏性で物を捨てることができません。どうしたら断捨離できるでしょうか?」
とか
「自分の仕事が早く終わってもみんなが働いていたら帰っちゃダメ?」
とか。

私のお気に入りの相談内容は、
「大学受験に失敗しました。僕の人生終わりでしょうか?」という18歳の男性の質問だ。

答えたのは、トラさん。

「ずっと勝ち続けるものなどいない。次の勝負に備えて、食って寝ろ」

だって(笑)

トラってネコ科で断トツ1位の狩り下手だそう。
10回に1回成功すればいい方なんだとか!
あんな見た目なのに、実は結構ずっとおなかすいてるそうだ(笑)

基本失敗なので、引きずらずにすぐ切り替えて、次の狩に備える。

なんというか…確かに、ずっと成功も勝利もし続けるなんて無理だもんな…と。

1回のミスでくよくよ落ち込んでいても仕方ない、とトラさんに言われるのは説得力ある。

他にも、ハシビロコウやネコやペンギンなど、多種多様な生き物が「たしかに〜」と思えるような、ポップな回答が盛りだくさん。
読み終わると不思議と心軽くなる、素敵な一冊だった。


さて、今回の醍醐味。
両隣の本。
残念ながら、返却期限の都合上、「後悔する犬〜」の本は読みきれなかった。

もう片方は、個人的に大当たり!

動物たちは何をしゃべっているのか

めちゃくちゃ面白かった!

鳥の研究者・鈴木俊貴さんと、ゴリラの研究者・山極寿一さんが、「言語」について、鳥とゴリラ目線で語り合っている対談形式の本だ。

私は知識人が、素人にもわかりやすく話してる濃い話を聞くのが大好きだ。
まさにこの本は、山や森に何か月もこもって、鳥やゴリラになりきって生活していた、飛びぬけてその分野に詳しい2人。
鈴木さんは鳥の鳴き声を聞いたら何を言っているかわかるし、山極さんはゴリラと友達だ。

2人曰く、動物の研究は「人間ができることを動物はどれぐらいできるか」という視点で語られることが多かったそうだ。

だけど、実際の野生の現場に立つと、人間にできなくて、動物ができることもある。
鳥は磁場がわかりGPS搭載しているそうだ。
紫外線が見える生き物もいる。
暗闇や鬱蒼とした森で生きる動物は、視覚より聴覚を発達させたし、見晴らしのいい場所で住む生き物は視覚が優位になっている。

動物を人間との比較ではなく、ゴリラや霊長類を参考にして動物の中の1種類として人間を見たとき、人間はもともと、音声よりも視覚的なコミュニケーションに頼っていた種だとわかる。

森では外敵から身をひそめる場所があったが、見晴らしのいい場所では仲間との連携をしないと、猛獣たちと戦えない。
連係プレイをするために、仲間意識を高める「共感」が必須だった。
そこで現れるのが、同じポーズをとるダンスや、声をそろえる音楽。
人間が2足歩行になったのも、ダンスをするためじゃないか?と、考察されるほど、集団で生きる生き物にとっては「共感」が必要だったようだ。

人間の脳の研究から、もともと150人が最大の集団だったようだ。
猿だと、毛づくろいをすることで仲間になっていくそうだが、そのやり方を人間の集団で行うのはちょっと現実的ではない。
より多くの共感を得るために作られたストーリーを、遠くの仲間にも届けるために「文字」が生まれた。
「文字」は超越性があり、初めて見た人でも、何を書いているのか意味を理解することができる。
一方で、「文字」は言語化できない、温度や感情や音、触り心地など、文字にならない情報はすべて切り捨てられてしまう。

元々、「共感」は非言語のコミュニケーションから生まれ、その先に「言語」が生まれたのだが、現代社会ではSNSを中心に言語化できるコミュニケーションに偏っていっている。

最近の漫画やアニメがやたら説明的なのも、言語化しないと伝わりづらくなってきているからだ、と言われていて、私自身もはっとした。
ヒトは非言語的な情報を認識できなくなっていくかもしれない、という2人の見解に、何とも言えない不安が湧いた。

ここからは、私の感想だけれど、大切な人とはちゃんと会ってコミュニケーションをとらないといけないなと思った。
家族や友人と、毎日LINEをしていたり、ツイッターやインスタグラムでつながっている気になっているけれど、「言語」のみのコミュニケーションでは本当は、お互いの気持ちはごく一部しか共有できていないと知った。
会って、五感を使って話したり笑ったり動いたり、非言語コミュニケーションをないがしろにせず、楽しむ。
一人暮らしで、「ひとりでもたのしい」と満足した気持ちになっていても、どこか物足りなさを感じる瞬間が生まれるのは、ヒトとしてのDNAが非言語コミュニケーションを求めているからかもしれない。

会わずに済むと、交通費も時間も節約できて効率的だけど、やっぱり大事な人と会う時間はちゃんと取ろうと思った。

もう1つ。
「もともとヒトは最大150人の集団だった」こと。
その規模感に対応できるように、脳が発達していること。
それを聞いて、めちゃくちゃ納得した。
前から私は「世界はもっと狭くていいのに」と感じていた。
SNSで億万長者やアイドルや、自分の手の届かない世界の日常を見て、比較して落ち込んだり、世界の事件や天災を見て、助けにも行けないのに共感してしまってひどく傷ついたり。
多くの情報を取り入れること自体は、生きていく上で必要だと思うが、今は少し多すぎる上に、偏っている。
人間の脳のキャパシティ大して、インスタグラムもユーチューブもあっていないのだと思う。
SNSからもう少し距離を置いてみようと思った。


ヒトは、自分以外のヒトとの比較で、自分の個性を認識する。
背が高いとか、声が低いとか、計算が速いとか、足が速いとか。
おしゃれだとか、イケメンだとか、金持ちだとか。

今回の読書で、ヒトの世界だけで比較するのではなく、もっと大きく地球の中でほかの動物と比較したときに、コミュニケーションの特徴の違いや、集団サイズ、生き方の違いなど、ヒト単独で比較するよりも面白かった。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?