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【短編】 目の尖った少女

“サンダル”という言葉が思い出せなくなった。
 ちゃんとした靴ではなく、ゴミ捨てをするときや、ちょっと玄関の外に出たいときに履いていくのに便利な履き物。
 私は、安売りのときに百円で買ったそれを、もう五年以上も使っているが、名前がどうしても出てこない。
「それは、もしかしたら“サダン”のことですか?」
 一週間ぐらい前から、私の家に棲みつくようになった、目の尖ったの少女がそう言った。
「あたしも自分のサダンが欲しいのです」
 私は、彼女の“サダン”という言い間違えを聞き、ようやく“サンダル”という言葉を思い出すことができた。

 次の日、私は目の尖った少女と一緒に、彼女のサンダルを求めて近所のホームセンターへ行った。
 しかし、サンダルが売ってあるコーナーへ行くと、「サダン三十%オフ」などの広告が貼られており、一つ一つの商品名にも「サダン」と書いてある……。
「きっと、あなたが“サンダル”だと思っているものは、ここでは“サダン”と呼ばれているってことでしょ?」
 ここでは、って何?
「つまりあなたは、元いた世界から別の世界に移動したということです」
 元いた世界って?
「世界というのは一つではなく、たくさんあります。ある物の呼び方が、それぞれの世界によって違うのはよくあることなのです」
 よく分からないけど、君は、いろいろ詳しいみたいだね。
「あたしは、無意識に世界を移動してしまった人をサポートするのが仕事で、あなたはその対象者だったので、無理やり家に押しかけてしまいました」

 他にも、この世界で名前が変わっていたものとしては、「リュックサック」が「バックパンク」、「ジッパー」が「ファスニャー」などがある。
 また名前以外にも、バレンタインデーは、女性がチョコで男性の顔を殴るという習慣に変っていたが、私は誰からも殴られなかった。
「移動した世界に慣れるためには、言葉や習慣の違いに一つ一つ慣れるしかありませんし、元いた世界との違いを感じても過剰に反応しないことも大切です」

 目の尖った少女のサポートで、私はこの世界に慣れてきたが、そうなると彼女はまたどこかへ行ってしまう。
「もしよかったら、あなたも世界移動難民のサポート員になりませんか?」
 それは、君と同僚になると?
「ええ。あなたは難民の経験があるから、この仕事にピッタリです」
 私は、彼女とさよならをしなくて済むと思ってほっとした。
「給料は、安いですけれど」

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