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朝井リョウ『正欲』読書感想 みんなちがって、みんないい ってあたし言えない

Netflixの「ストレンジャー・シングズ 未知の世界」にはまって、最近、4シーズン分をほぼ一気に見てしまった。

このドラマにスティーブという、ハンサムなのにちょっとダメなやつ、でも憎めない、という役どころの登場人物が出てくる。ちょい役かと思いきや、重要な役どころに進化していって、私も好きなキャラクターのひとりだ。

朝井リョウの小説「正欲」に登場する、ある人物像を思い浮かべるときに、なぜか、この憎めないスティーブが浮かんで。結末を読むときには、ああ、どうして……と、とても感情移入してしまった。

私の場合、本がすいすい読めるときと読めないときがあるのだが、4カ月滞在したマニラから8月に日本に帰ると、うおー本が読みたい!という気持ちがもりもり湧いて、買ったまま読まずにいた本を読みまくっている。その中の一冊がこの「正欲」だった。

タイトルをセイヨクと読むとすれば性欲のことなのか、正しい欲のことなのか、なんなのかなと思っていた。朝井リョウさんの本を読むのは初めてだったが、ずっしりとくるものがあった。

みんなちがって、みんないい。

金子みすゞの詩のこの一節が、講演やスピーチなどで引用されるのをよく耳にすることがある。わたしはわたしで、あなたはあなたのままでいいという、すてきな言葉だ。

なのに、堂々とこの言葉を口にされると、なぜか、そわそわしたり、えーっと思ったり、どこか居心地の悪さを感じてしまう自分がいて、「なんで、私はよい言葉を素直に受け入れられないんだろう?!」とずっと思っていた。

この本を読んで、その居心地の悪さの理由が、なんとなくわかったような気がする。

私たちそれぞれが、受け入れることのできる「ちがい」とは、自分の想定の範囲内の違い、でしかないのかもしれない。想像もできないようなこと、自分の習慣や興味や好みとはまったくかけ離れたものに対しては、「きもちわるい」とか「変だ」とか思ってしまったりする。

それは最初の反応としては、当たり前といえば当たり前のことなのだろう。想像もできなかったものに、ばったり出合うのだから。

海外の見慣れない食文化を知ったとき、つい、「うわー」みたいなリアクションをとってしまったことが私にもある。恥ずかしい。そういうことがあるかもしれないのに、「みんなちがって……」と、ひとり、この詩をくちずさむことはできても、誰かに向かって言うことは、私にはできない。聞いている人たちそれぞれがもつ「ちがい」を知りもしないのに。だから、講演などで高らかに口にされるのを聞くと、えーっと思ってしまうのかもしれない。本当に?と。

私がちがっていいと思っているもの、私が想像できていることを越えて、世界には、私がすんなりと受け入れにくいかもしれない「ちがい」がたくさんあるのだろう、ということに、少なくとも意識的でありたいな。本書を読んで、そんなことを思った。

まあ、講演のため登壇した人に、「みなさん、私には知らないことがたくさんありますんで!」とか言われても、困っちゃうけど。

本書には、世間で「ふつう」とされていることとは違うものを好む自分自身について、口にしたり、のびのび行動したりできずにいる人たちが出てくる。

自分の個人的な嗜好についてカミングアウトしても、理解されないこともある。世間的には許されないことに、引かれてしまう人もいるだろう。

個人的なことをカミングアウトするしないは、まったくもって個々の自由だ。ただ、もう一つ本書を読んで思ったのは、例えば性的に自分をどう認識するかとか、恋愛感情をもつもたない、子どもを生む生まない、学校に行く行かないなど、社会全体でなんとなく共有するようになった、こういう人もいるよねという「想定の範囲」をぐいぐいっと広げてきたのは、「私はこういう人間です」と周りに伝えようとしてきた人たちがいるからなんだな、ということだ。それこそが「つながる」ことの作用なのかもしれない。

きれいにまとまったものへの違和感を、よくぞエンタメにしつつ、小説で表現したなあと思った。ちょうどいろいろと考えていた本が、今度は映画化されるそうだ。どんなふうに映像で描くのか、そのチャレンジもまた、楽しみ。


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