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犬と暮らし、犬を食べる

フィリピンに来てから、あれっ、と思っていることがあった。

例えば大学のキャンパスで、
向こうから犬が「えへえへえへ」という感じで歩いてくる。
近所の人が飼っているのか、野良犬ではなさそう。
なんか自由で楽しそうだ。

えへえへと歩く犬

あれっ。

ネコもいっぱいいる。犬よりいる。
私が暮らす寮にも5匹ぐらいいて、帰ると壁に並んで、「ようおかえり」というように、こちらをじっと見ていたりする。

べつに、ふつうの犬やネコがうろうろしているだけなのに、
なぜ私はいちいち驚いているのだろう。
一カ月ほどたって、あっ、と思い至った。

ベトナムではあまり見なかった光景だからかも。

美人ネコさん

3年ほど暮らしたベトナムのハノイでは、自由に屋外でリラックスしている犬やネコをほとんど見なかった。

たぶんそれは「食べられちゃうから」だろうな、
と思っていた。

男性が好む犬料理

ベトナムでは犬やネコの料理を出す店がある。
とくに犬肉は、首都ハノイの中心部でも、ビアホイという手頃な生ビールを出すお店でよく出される。

すべての人が犬を食べるわけではない。悪いツキを落とすといったいわれもあり、男性が好んで飲みながら食べる印象だ。

タイなどが食用の犬の輸出を禁じたこともあり、ベトナムでは犬肉が手に入りにくくなった。飼い犬が盗まれる事件もよくおきていた。(下は関連記事)

ハノイ市当局が2018年、「犬や猫を殺したり売買したり食べたりすることは残酷で、文明化・近代化した都市として観光客らに悪い印象を残す」と声明を出したことも。でも、禁止はされなかった。

当時、犬を解体する市場の人は、「これは私たちの食文化だ。なくならない」とつよく話していた。

フィリピンではどうなったんだろうな。

気になったのは、私が生まれて初めて犬の肉を口にしたのが、フィリピンだったからだ。

ベストフレンドだよ

25年前。
学生時代に訪ねたイフガオ州で、ごちそうでもてなしてくれた村の人が

「これを食べてみなさい」

と、お肉の煮物が入ったうつわを差し出してくれた。集まったみなさんにこにこと、じっとこちらを見ている。

なるほど、これは。

お肉をひとつ口に入れて「牛肉のようなお味ですね」というと、ふふと笑って教えてくれた。
「それは人間のベストフレンドだよ」

まあつまり、犬の肉をおいしく調理して出してくれたのだ。

この時は、生きたあひるか何かの羽をむしり、丸焼きにする料理もいただいた記憶がある。過剰に痛めつけることはいけないけれど、フィリピンやベトナムでは、さっきまでそこに生きていた動物が食べ物になるという現場を、かいまみることがよくある。

お母さんの後を追いかける子豚と子犬

パック入りで整然と棚に並ぶ肉をスーパーで買うよりも、人と動物の命の距離が近く、生々しい。

ペットブームだけど

都会のマニラはとくにペットブームだ。大学近くのモールは、犬もネコも同伴できるペットフレンドリーな施設をうたっているほどだ。

フィリピンで犬を食べる習慣はなくなったのかな。

田舎の市場のお肉屋さん

ところが、
先日イロコスノルテ州へ行ったとき、何げなく地元の男性に、犬って食べますかと聞いたところ、「もちろん食べるよ。禁じられてるけど」と即答された。

肉屋さんで売っているの?と聞くと、知り合いに頼んで買うのだそうだ。「家で飼っている犬を食べたりもする」という。

あ、デジャヴ、と思った。
ベトナムでも、食用の犬を売る業者が、犬を家で個人的に飼っているのを見たことがあった。

豚、牛、馬、鶏などを家の近くで愛着をもって育て、成長したら手放すという生産者はたくさんいる。そう考えたら同じなのか……むむむ。
ペットと食料の距離感がわからなくなる。

イロコスノルテの豚さん

「バギオではよく犬を食べるんだ、寒いからね」。山間部の避暑地では、体を温めるといわれる犬肉が好まれると聞いた。

でも涼しいバギオへ行かなくても、犬料理を前にする機会は思いがけずやってきた。

犬がうろうろする中で

以前に取材した知人を訪ね、私はミンドロ島のサンホセへやって来た。

サンホセの海

「友人の農場で昼ごはんを食べよう」と連れていってもらうと、テーブルにごはんやレチョン、メヌード、チキン煮込み、豚肉と血を使ったディヌグアンなどのフィリピン料理のごちそうが並んでいた。
そこに、犬料理はあった。

犬のアドボ(左)とキラウィン(右上)

「これは犬のアドボとキラウィンだよ」

アドボは、肉を醬油やお酢などで調理したフィリピンの代表的な家庭料理だ。先日、おいしい「イカのアドボ」を初めて食べたが、
そうか犬もアドボになるんだな。

キラウィンは、キニラウともいう生魚料理のことだと思っていたけけれど、レアぎみに焼いた肉のこともこう呼ぶようだ。

このお宅では、大小の犬が5頭ぐらい飼われていた。犬料理が食されようとするテーブルの周りをうろうろと歩いている。

犬が見ている…

犬をつぶして調理したという女性に、こういうのとは違いますよね、と1匹の白い犬を指さして言うと、「はいこういうのです」。

犬の肉は、いま1頭分で500ペソから1000ペソほどという。日本円にすると、1250円~2500円ほどする。

物価高でなんでも高いフィリピンだが、知人は「犬肉はイロカノ(イロコス地方出身者)が好きな食べ物だけど、最近はビサヤ地方の人も食べるようになって、高くなったよ」と嘆いていた。

犬を食べない人もいる一方、フィリピンやベトナムでは、珍味やストリートフードとして新たな「犬肉ファン」が生まれているわけだ。

足元に丸まる犬たち

この知人は40年前に日本に研修に行ったときにも、犬を食べたという。
えっ、日本でも犬料理を食べるところが?と意外に思って聞くと、

「いえ、こっそり食べたの。先生に怒られたよー」

そら怒られるわ。犯罪よ。
野良犬を見つけたのだろうか。海外から日本に来た人が、飼われていたヤギを解体して食べてしまった、というニュースが頭をよぎった。

自分が長らく食べてきた動物は、どこへいっても食べ物にみえるものなのか。

犬はおいしいのか

犬肉はくさみがあると言われるが、もちろん上手に調理され、おいしい料理になる。招いてもらった食事会でも特に、キラウィンが大人気だった。

犬肉を食べたことのある私の個人的な感想をいうと、犬肉には、どうしてもまた食べたいというほどの「食べ物としての魅力」は正直なところ私は感じない。

別の家でいただいた、おいしい豚の丸焼きレチョン

いわゆる倫理的な面はどうだろう。

ベトナムで犬が盗まれたり、水を飲まされてかさ増しして売られたりすることがあるなどと聞くと、それはやめなければいけないと思う。

ただ、これだけ牛や馬や羊や山羊や豚を食べながら、犬は特別な生き物だから食べるなというのも、なにか、胸がもやもやする。

カンボジアのタランチュラやベトナムのねずみなど、食べ物として地域で受け入れられているものに興味があって、いろいろなものをいただいてきた。

文化や嗜好は尊重しつつ、どんなものでも、食べられるまでの過程には無自覚でいてはいけないのだろう。

それにしても、外国に行くと、人間っていろんな生き物の命をいただいているんだなと感じる。日本に来て、日本の食材に驚く外国の人もたくさんいるはずだ。

食料不足で、わたしたちが思いもしなかったものが「食べ物」になることも、十分にありうる。人はこれからどんな生き物を食べ、そして食べなくなるのだろう。

そのとき犬は、どうなっているんだろう。

ひよこさん


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