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自信をつけるのは、どこ?

自信を持つ
自尊心を高める
自己卑下しない
前向きに考える

自己啓発本にはそんな言葉がたくさん並んでいます。
つい最近まで、私も自信が『欲しくて』そんな本を買っては読み、何となく自分に自信がみなぎってきたような『錯覚』に陥っては、3日と続かず元に戻るという繰り返しでした。
生まれてきてからずっと、ほぼ自力で生きる方法を身につけて来たけれど、素人(?)の浅はかさは社会の常識とはだいぶズレていて、大人になって気づいたら『出来ないこと』『わからないこと』だらけだった。
毒親が教えてくれなかったことも大きいけれど、私が解決策を考え出す前に取って代わってやられてしまったから考えることを放棄したものも多いのです。

今なら自分で検索すれば簡単に出てくる。
確かにそれでコソッと調べて事なきを得たことも多いのですが、それは問題に気づけた場合。
多くはそこに問題が起きているということにすら気付けず、後でトラブルになって修復不可能ということも多いのです。

大した話ではないのですが……
学生時代、複数の友人でコテージに泊まりに行きました。
夕飯の材料を買い出して、みんなで作る段階になって、枝豆の茹で方とか、酢飯の酢の合わせ方とか、料理の基本的なことを、自分と同じ歳の友人が当然のように知っていることに驚きました。
彼女たちはそれらの基礎知識が大前提として身についているので、お互いに「こうした方が良いよね」「これ足してみる?」などと相談しながらより良いものを作ろうと張り切っています。
そんな中、いちいち「これはどうすれば良いの?」と聞くこともできずにオロオロしている自分が情けないやら、申し訳ないやら……。
ヘラヘラ笑いながら、洗い物は頑張る!みたいなところで挽回するしかなかったのです。

大した話ではないのだけれど、こういうちょっとしたズレは、今の歳になるまで自分を苦しめてきました。
『大人』として当然待ち合わせているはずの常識、マナー、対人関係のルールが虫食いのように抜け落ちている。
もちろん虫食いの残った部分もあるので、そこを頑張ることで埋め合わせをしようと必死。
だから周りからは「なんか1人で頑張っているけど大丈夫?」と思われたり、頑張りアピールがウザく見られてしまうことが多いのです。

数少ない『頑張れる部分』だけに自信を持ってしまうと、ますます虫食いの欠陥部分が際立ってしまいます。
全体的に見たら、平均的か平均以下だし、虫食いの部分をフォローしてくれる人が居ないと何も出来ないのです。
学生時代の経験から言うと、料理の基礎知識が無いので、食材をドンと置かれて1人で作るように言われたら何も作れない。
だからいくら片付けを頑張ろうとしても、そもそもの料理を作れないのだから全く意味のない頑張りなのです。
でもみんなが面倒がる片付けを進んでやっている私は、みんなから感謝されます。
料理が出来ないことは誤魔化して『片付けがんばってますアピール』をしている頓珍漢さと気恥ずかしさは、自分が一番良く知っていたのです。

自分の生活を自分自身で作り上げる。
自分の生活を自分自身で管理する。

幼い頃から大人の生き方を側で見ていたり、大人のフォローを得ながら手伝いをしていないと、実は身に付かないものなのです。
今は何でも便利になって、生活に必要なものは買いに行けば何とかなります。
だから社会全体でも、基礎知識のない人は増えているでしょう。
これは逆に、私のように自己流で生きてきた人間にはラッキーな現象なのかもしれません。
けれど、そういった生活の基本に時間や労力を必要としなくなった分、アクティブな人は、幅広い知識を取り入れてグローバルな活躍をします。
かつて料理の基礎知識でつまずいていた私は、そんなことに気を取られなくて済むようになったものの、どんどん進化する知識や常識からさらに遅れを取り、頭の老化も重なって、何をどう身につけていったら良いのか、さっぱりわからなくなってしまったのです。

親が教えてくれなかったことは、たいしたことではありません。
むしろ昔の親の常識は、今では全く使われなくなったものも多い。
大切なのは、見よう見まねで親とともに生活を作り上げたという自信。
その技術や知識が、自分の生活を一から作り上げることができるという自信になるのでしょう。

私がこれまで自己判断・自己流で生活を作り上げてきた根性は、なかなかに凄いとは思うのですが、自己判断でやるしか無かったために抜け落ちてしまった知識、常識の大きさを考えると、途方に暮れてしまいます。

皿洗いを頑張った自分は『すごい』と自信を待とうとしても、それが無意味な虚勢だと気づくのに時間は掛かりません。

自己啓発本の
『自信をつけよう』
が虚しい努力になるのは、こうした細かい原因があるからなのです。

知識を取り込もうとしたり、必要な情報をキャッチして生活に生かそうとするのは、自分の生活を自分で作り上げられるという自信があってこそ……。

鶏が先か、卵が先か……

なかなか解決が難しい問題です。

『自信』は『どこに』『どの程度』持つのかというバランスが非常に重要なのでしょう。

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