見出し画像

何がいけなかったのか?

私の母の言動について、何がいけなかったのか?
他人に伝わるように説明するのは難しい。
身体的虐待でも、
心理的虐待(暴言や侮蔑というわかりやすい言動)でも、
ネグレクトでも、無い。
なので、虐待されたと証明することができない。

これこそが、毒親に悩む人が、もっとも苦しいところなのだと思います。
しかも、自分が受けた被害を被害として受け止められるようになるには、ある程度の年齢にならないと難しかったり、社会に出て他の家庭のことを知り、比べてみてわかることも多いので、大人になって初めて、毒親の被害を受けたと告白できるようになる人がほとんどだと思います。
すると、
「もう大人なのに、いつまでも親に不満を持っているなんて」
とか、
「済んだことをいつまでも愚痴愚痴言っているなんて、恥ずかしい」
とか、批判を浴びてしまうこともあります。

特に日本には、親孝行=人間として素晴らしい、親不孝=人間として未完成、という暗黙の常識があるので、親のことを悪く言うと、その人自身が未熟で信頼できない、という印象を持たれてしまうことも多いです。

多くの毒親サバイバーが、こうしたあらぬ批判を受けて、黙ざるを得ないと悩んでいる話も聞きます。
虐待防止法が確立されたことで、法に定義されている虐待の取り締まりが厳しくなり、それによって命を救われるお子さんも増える一方で、法に定義されていない虐待以外を虐待として認めない極端な方向に流れていくのは、由々しきことです。

子ども自身も、自分が虐待を受けているという自覚が持ちにくくなるし、何よりも親が、虐待の自覚なく虐待を行い、それを強化してしまう可能性があるからです。

これまで記事にしてきたように、私が考える『虐待の定義』とは、そこに暴力・暴言や育児放棄が伴わなくても、『子どもの存在を軽んじる』『子どもの意思を優先しない』ことに尽きると思っています。

私の母は、幼少期から、私の人生を母の考えるものに作り上げようと必死でした。
そして、それが虐待になるとは露ほども思っておらず、むしろ子どもの為であると信じて疑わなかったのです。
母自身が楽をしたかったわけではなく、母も身を粉にして、子どもの将来にとって良いことだという確信のもとに、『虐待的行動』をおこなってきたわけです。
だから、「あなたのせいで、私はこんなに苦労しているのよ!」と、勘違いの恩を着せるような発言をよくしていました。

私が『なんかおかしい』と、後になって感じている母の行動を羅列すると……

・夏休みの『読書感想文』や、絵の宿題など、母が得意とする分野の宿題は、母が書いた(描いた)物を提出するように言われた。
・着る服や、持ち物は、すべて母が用意するもので、自分の好みで服を買ってもらえたのは、中学生になったあと。
学校から『用意してください』と言われたものも、母が自分の判断で用意するため、みんなと違うものだったりした。
・他所の子が、母が思うような躾が成っていないと、家で「あの家はダメ」とか、「あの子はダメ」とか、批判をし、自分の躾が一番正しいようなことを子どもの私たちに聞かせた。(あの家の子のようになっちゃダメ!というプレッシャー)
・私が結婚するとき、私の居ないところで、夫に「(私が)ちょっと変わっていて、うまく人と関われないので、ご両親と上手くやれないかもしれない。ごめんなさい」と言っていた。
・結婚後、夫とトラブルになって、母に相談したとき、「やっぱりそう思った。あの人は良くないと、お父さんと言っていたのよ」と言った。(母が結婚に際して、反対したり、夫の人となりについて私に助言したことは一度もない)
・新居に引っ越して、近所の挨拶回りに行く時、「角が立たないように、おばあちゃんに同伴してもらいなさい」と言われ、何故か私たち夫婦の挨拶回りなのに、祖母と一緒に行くことになった。(正確には、私たちが祖母に引き連れられている感じだった)
・私が他県で暮らしているとき、祖母が倒れたことを、何故か私にだけ知らせなかった。
・他人から「老後の面倒は、長女さんに見てもらうのが良いのよ」と言われたとき、私の前で「この子とは暮らしたくない。面倒を見てもらうのは○○(妹)の方が良いわ」と言った。

これらを読んで、いったい、何がそんなに悪いわけ?と思う人も多いのではないかと思います。
でも、実際に自分がそれをやられたり、言われたりしたところをよく想像していただけたらと思います。
全てにおいて、母は、私に任せておいたらロクな結果にならないから、母が出来ることは、先回りしてやってしまおう、と思っていたのです。
その不信感は、大人になっても薄れることはなく、何かにつけて、私の行動の先回りをしたり、トンチンカンな手助けをしようとしました。そうやって、私が失敗するところを見ないようにしたのです。(母の中では、私が失敗することが前提だった)
さすがに結婚まで口出しできないと我慢したのでしょうが、私が夫とうまくいかなかった時に、「ほら、やっぱり私が思ったとおり。自分で選んだからロクなことにならなかったでしょ?」と、心の中で納得していたのだと思います。

とことん子どもを信用しない。
信用できない子どもの世話をしなくてはならない私は不幸。
そうやって、自分の身を粉にして、子どもを監視し、少しでも転ぶと「ほら、やっぱり!」とため息を吐く。
母の人生そのものが、不信感に溢れていて、その犠牲になっている自分に酔いしれているのでしょう。
母自ら不幸を呼び込んで苦労しているのだと思いますが、その被害を一身に受け、自分の生き方に自信の持てなくなった被害者の私には、理不尽極まりないです。
こういう被害の辛さは、きっと受けたことのない人には、なかなか想像できないのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?