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個人事業主と3人子育て両立のお話

ありがたいことに私ごときの人生に興味を持ってくださった方が居て、ご質問に答える形でこれまでの仕事と子育ての両立について振り返ってみたいと思います。順番が前後していたり、読みづらい点も多々あるかと思いますが、何かのお役に立てたら幸いです。

私は16年前に離婚(5歳・3歳・0歳の3人の子どもあり)し、実家に帰りたくなくて賃貸暮らしを続けるために個人事業主となりました。紆余曲折ありましたが、現在子どもたちは長男・長女が東京へ進学、次女はまだ高校生ですが元気に育っております。


Q1 時間のやりくり、平日は仕事、土日は子どもたちの相手をしていく中でどうやってスキル等身につけたのか?

もともと夜中までPCいじってネットサーフィンしたり技術を試したりするのが好きだったのですが、子どもたちが寝たあと(21:00に寝かしつけ)に一日平均3~5時間ほどPCの前に座りWebのスキルを身につけていました。当時はWebサイト制作会社に勤めることを目標としていて(地方に制作会社が2つ3つ登場した頃の氷河期で求人はほぼ出ないがタイミングを見計らっていた)MdNさんの本に書いてあることを実際につくったりしていました。

サーバーやドメインも取得し、自分のサイトやサンプルサイトを作っていました。いざ就職するタイミングが出てきたらポートレートで作品を見てもらおうと思っていたのです。

また、身につけようと思ったスキルは以下になります。

・Webサイトのデザイン
・Webサイトのコーディング
・写真撮影

一人でもWebサイトが作れる、ということをアピールしたかったのです。また、当時はWebでは言語の進化があり、対応できる人が少なかったためいち早く獲得するチャンスでもありました。会社にとって求められる人材になろうと必死でした。氷河期時代は「嫌ならやめろ。代わりはいくらでもいる」という時代でしたので。

おそらく子どもが寝ているタイミングはほとんどスキルを身につけることに没頭していたと思います。


ガラケーだ!

実際に、一人目出産後に印刷会社がWeb制作の部門を立ち上げ求人を出したタイミングで応募しました。ポートレートを持っていったので採用されました。実践でさらにスキルを磨きました。来る仕事来る仕事はじめての挑戦だらけでした。

写真撮影に関しては、長男が異様に早起きで、朝4時とかから散歩をせがむので、カメラを持って散歩しながら写真撮影をしていました。意外なことに子どもが居たから写真の腕が上がりました。それまで伸び悩んでいた写真の技術が、子どもの目線で世界を見ることによって一気に変わりました。休日に子ども連れて遊びに行くときもカメラ持参。もはや写真の勉強のために子どもと遊ぶ状態でした。

写真ブログを見て地元の雑誌が写真を使ってくれた

Q2 仕事はどうやって受注するのか?(今はランサーズとかあるけど昔はどういう形態で仕事を受注してたのかイメージがなかなか湧かないです)

私は法人からの受注がほとんどですが、ランサーズなどを使ったことはないです。ずばり、人脈あるのみ。

たまたま知り合いの社長さんが、私が独立を考える切っ掛けとなるコンペ(複数社が提案し、選ばれた一社が受注)にお誘いくださいました。そのコンペで勝ち取ったことが独立の一歩でした。

納品後、コンサル契約(社員のITスキルを磨いて欲しいとの要望)のお話をいただき契約となりました。それだけでは生活できないため、法人営業をすることになります。知り合いの知り合い、経営者の集まり、あらゆる人脈を駆使して自分を売り込みました。

ただ、初めてのお客様との仕事を必死に、死ぬ気でやったことがその後に繋がったと思います。「あそこの会社の仕事をしたのならうちもお願いしたい」と言っていただけ、次の受注に繋がっていきました。

もともと営業経験があるので、法人営業は得意でした。
ただ、お客様との飲みに行く時間がありません。(子ども3人抱えてシングルマザー、起業の状態)男性は夜な夜なお客様と親交を深めているのに私は出来ない・・・

そこで最も活躍してくれたのがブログやSNS(当時はFacebookが盛ん)でした!!

夜の飲み会でのコミュニケーションが取れない分、SNSでプライベートや仕事のこと、考えていること、想い、スキルなどをオープンに投稿していました。お客様達はそれを見て「常に私のことを知っている」状態になりました。

SNS時代の幕開けと同時に起業したことが本当にありがたかったです。


当時のブログやサイトを保存しておくべきだった

Q3 個人事業主になるにあたって不安はなかったのか?会社で仕事等したことあるのか?今里さんのバックグラウンドが知りたいです。

当時住んでいた熊本県ではお給料の手取り平均が14~18万円。家賃が7万円、保育園が5万円・・・実家に帰りたくなかったのでどうしてもここに住み続け子どもたちと楽しい家庭を築いていくためには「稼ぐしか無い!!」しかありませんでした。

不安よりも何よりも、自分と子どもたちが幸せになることに誓いを立てていましたので、後先は考えていませんでした。また、離婚時に弁護士に「そんなに頑張らなくても少し休んだらどうか。生活保護を受けても良いのでは。」と言われたんですね。

生活保護というセーフティネットがあるのか・・・
だったら一回チャレンジしてみて駄目だったら生活保護を頼ろう!!!というふうに思いました。

そして生活保護ってどんな感じなんだろう?と弁護士さんとの打ち合わせの帰りに市役所の窓口に行きました。窓口の女性に「生活保護の詳細を伺いたいのですが」というと上から下までジロジロ見られ「ここはあなたみたいな人が来るところではありませんよ」と言われ、ショックで帰りました。

大学卒業後の就職祝いで母がヴィトンのバッグをプレゼントしてくれたのを10年近く使っていたのですが、その時それを持っていたのが駄目だったのかもしれません。(他にバッグ持ってなかった)

行政には頼らない。絶対に、意地でも稼いで生き抜いてやる。
と決意しました。

私の経歴は以下になります。

  1. 大学(応用化学科)卒業後、理化学機器の技術営業に就くが、パソコンオタクだったのでパソコン関連の求人出ないかなーと常に求人をチェック。1年後、パソコン学校の講師の求人が出たため迷わず転職。

  2. パソコン学校の講師といっても生徒の入学・進級(資格取得)による営業成績があることが判明。基本給は8万円。能力給で稼ぐしか無い。営業成績トップになり、主任となる。その間結婚し、長男妊娠。社内では初めてのママ社員となる。出産後「夜勤が難しいので日勤のみにしてもらえないか」と上司に相談すると「それは無理」とのことだったため、退職。

  3. 長男3ヶ月で保育園に預け、就職活動。趣味の写真をブログにアップしていたら、食品会社から「うちで写真の仕事をしないか」とオファーをいただく。パートで働きながら自社メディアを制作する部門でデザイナーさんたちの仕事を教えてもらい、メディアの仕事に興味を持つ。食品の写真を撮りながらWeb制作の仕事を探す。前述の印刷会社の求人が登場したためエントリー、採用されたので転職。

  4. 印刷会社でWeb制作の仕事。実践は面白く、厳しいながらも先輩たちのおかげでメキメキスキルアップしたことが楽しすぎた。当時は社内でお酒飲んだりタバコ吸ってもいい時代。残業も好きなだけしていいし、しなくてもいい。とにかく納期さえ守れば自由。最高。(ここが独立後に重要となる自分自身のコントロールを学べたところ)長女妊娠出産。その後はしばらくここで働く。ついで次女妊娠中に夫婦仲が不穏な状態に。次女出産直後すぐに別居→半年後に離婚。当時はリーマンショックのあおりで大不景気だったため、離婚時は無職状態。会社には「一旦辞めて、落ち着いたら帰ってきて」と言われていた。

  5. 離婚して職場に復帰しても手取り18万じゃやっていけない・・・

  6. 前述のとおりコンペのお誘いがありエントリー。受注した後そのまま独立。当時次女は6ヶ月。

  7. 独立後、3年間は収入が不安定。良いときもあれば悪いときもあり、波があることを知る。初受注の会社の社長さんに経営のアレコレを相談しながら必死で事業をやっていく。「お客様のために必死でやっていればお金はあとからついてくる」という言葉をひたすら信じ、出来ることを精一杯やる。ちなみに成功した社長さんにその秘訣を聴くと必ず「運が良かった」としか言わないのでアテになんねーwと思う。

  8. 独立して5年後、交通事故にあう。パソコンを見ると30分もしないうちに瞳孔が開き、目を使えないため3ヶ月仕事を休むことに。その間契約している会社さんがコンサル料を払ってくださる・・・!この年は仕事バリバリ出来ないなと思い、以前より取ろうと思っていた産業カウンセラーの資格を取ることに。

  9. 1年後、産業カウンセラーの資格を取得。せっかくなので週一くらいで資格を活用した仕事をしたいと思い、行政の相談員に応募するもなかなか採用されず。その様子をFacebookにアップしていたら見ていた人から紹介でとある企業を紹介される。

  10. その企業から県の事業のセンター長を依頼される。5年間、ITの仕事と産業カウンセラーの仕事の両立。この頃、子どもたちは小学生二人、中学生一人。高校受験を控える長男。

  11. 仕事も子どもの受験も十分にやることが出来た。仕事がものすごく忙しくても、子どもたちとの時間は食事の際に話を聴くことに徹し、何でも相談できるよう私の価値観は一切押し付けず「好きなことだけをやりなさい」と言い続けた。結果、長男・長女は東京の大学と専門学校へ進学、次女も公立高校へ。

  12. 父の介護があり福岡の実家へ帰ることに。一旦個人事業主を辞め、ITベンチャー企業に入社。社長室付けで入社し、徹底的に経営について学ぶ機会を得る。

  13. 父の認知症が進行し、要介護5で在宅という状況、母も疲弊していたため退職し、父との最後の時間を過ごす。父、他界。その後個人事業主として復活。現在、Webプロデューサー・ITコンサルタントとして行政や民間の仕事を請負っている。

と、ざっくりですがこんな感じです!(でも長い)
はっきり言って子どもが居たから頑張れたと思います。


長女が小学生の頃に撮ってくれた写真


Q4 初めての仕事とかあればお聞きしたい、(どのようなスキルがあって、どこから仕事を取ってきたのか、費用の面とか)そこからどうやって今に繋がってきたのか?

前述しちゃいましたが、初めての仕事は知り合いの社長さんからのお誘いでコンペでした。内容はお客様の会社のサイトリニューアル。当時は個人事業主がいきなり仕事を取れることは少なく、プレゼンしたりコンペなどを勝ち抜かないと難しい時代でした。Webのスキルはもちろんですが、最も強みだったスキルは「プレゼン能力」だったのではないかと思います。初受注は400万円。最高受注額は5,000万円です。(もちろん外注費が入っています)

私は仕事を提案する際に、お客様の費用の最適化と、お客様の真のニーズに応えられるよう、熟考します。また決済者ではない方に提案し、その方が社内で稟議を上げる場合はどうやったら稟議が通るかを一緒に考え計画します。私にお金を払うのではなく、自分たちの利益になる、と感じてもらう提案をします。

経営者に提案する場合は、経営者目線からの予算の説明を行います。3期分くらいの決算書を見せていただき、今後3年間の計画を提案します。このあたりは長くなるのでまたの機会に(需要があれば)。

Q5 お金の部分も気になります……はじめはうまく行かなかったときとかがあったのか、収入面ではいつ頃から成果が出始めたのか?

スタートから3年ほどはものすごく乱高下しました。今思えば計画性が全く無くて行き当たりばったりでした。気持ちもムラがあり、自宅で仕事をしているとサボろうと思えばいくらでもサボれるため「明日やろう」ということを何度も繰り返しては後悔していました。

それでも周りの人に恵まれて、3年経ったあとからは安定してきました。しかし経営は波があります。でもその波も、何度か経験していくうちに読めるというか備えられるというか・・・

繰り返すうちに開き直って神経図太くなるのかもしれませんね。
特に熊本地震を経験してからは「生きてるだけで丸儲け」という言葉がとても良く理解できます。

赤ちゃんはアパートの上階の子。熊本地震を乗り越えて生まれてきた。

Q6 マインドとかあれば教えていただきたいです。

それでも「もうどうしようもない」と思うときも定期的にやってきます。経営者の方たちもおっしゃいますが「不安がなくなることはない」のです。しかしメンタル面を真正面から捉え、不安があるからこそ行動します。

最後は「絶対に大丈夫」と自分に言い聞かせ、とことん諦めません。
最後の一秒まで。
その一秒で奇跡が起きることも何度もありました。
絶対に諦めない。これしか無いと思います。覚悟を持つことです。

Q7 もし今里さんが現在に過去のような状態になったらどう行動するか?(今の時代にシングルマザーになって個人事業主になるしかない!となったらどう行動するか)

圧倒的に今の時代のほうが個人事業主としてやりやすい時代なので、余裕で仕事取りに行きます!笑

当時私は支援機関等を全く知らず、完全に我流でやってきたので時間がかかったと思いますが、支援機関に相談しながらやっていれば、事業安定にそんなに時間がかからなかっただろうなと思います。

事業計画書や経営の知識があるのとないのでは大違いです。

Q8 子育ての中で何を軸にされてましたか?

仕事の時間は仕事に集中、子どもとの時間は子どもに集中でした。
とても良い保育園を探し出し、そこの目の前に引っ越し、朝から晩まで預けていましたがおかげさまで仕事に集中できました。保育園は認可外で月額10万円かかっていましたが、親戚家族のような保育士と保護者たち。この保育園のおかげで個人事業としてやってこれたと思います。

また、私はひとり親なので価値観が偏ってしまいます。子どもたちには自分の価値観で物事を判断できるようになってほしかったので、なにか相談されたら「どうしたいと思ってるの?」と尋ね、自分の言葉で言語化出来るようにサポートしてきました。

「好きなことだけを追求しろ」とだけ言ってきました。
好き・嫌いがはっきりしていないと迷子になるからです。
人生は迷った時は「好き」の選択が間違いないからです。


伸び伸びと

そして子どもと過ごす時間は短くても最大限に質を高めるようにしました。全神経を使って子どもと向き合っていました。10分でも。

子どもは私よりも遥かに優れ、生まれたときから私よりも進化した次世代の生物だと思っています。
今、子どもたちを見ていて子育てに間違いはなかったなと自信を持って言えます。自信があるのは子育てだけかも?

それは「愛情だけは誰にも負けない」という自負がありますし、自分の人生に真剣に生きてきたので言えることかもしれません。

交通事故だけでなく、熊本地震という災害も経験し、人はいつか必ず死ぬということを実感しています。子どもたちにはただただ、幸せに生きて欲しい。私から望むことは特にありません。

あ。いえ、子どもたちとは沢山旅行に行っていますが、最近上2人が東京に行ってからはなかなかそんな機会もなく。またみんなで旅行に行きたいなあ。


友だち家族と行ったハワイは一生の思い出

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