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こどもの日に、大人になりたくないと思った話。

5月5日。

こどもの日である。

そんな日に、私は自分が「大人になってしまう」ことが悲しくてたまらなくなった。

私は就活生だ。

私はこのコロナ禍で就活をしている。ES(エントリーシート)提出の怒涛の締め切りラッシュは乗り越えたが、なんともお祈りメールばかり届くので、今日もまた一つ、新しいESを書いた。

そして私は、気づいてしまった。大人になってしまうことの悲しさに。

ESとは、自分で自分のことを売り込むための推薦書だ。そしてそれはとても残酷なものである。ESは私のこれまでの人生が、たった数百文字で「いい」か「よくない」か見定められてしまう、ずっしりと重くて、そして安易で冷酷な、恐怖の書類だ。そんな短い文章で21年間の人生なんて表現できないよって多分多くの就活生が思っているが、皆条件は同じなのでどうしようもない。そのたった数百文字の中で頑張るしかないのだ。

私たちは企業に選んで欲しいから、その数百文字に自分の魂を込める。

と、言ってしまえばかっこいいのだが、私たちは企業に選んで欲しいから、自分のしてきた経験や感情を、企業に合わせて取捨選択をする。読み手の好みに合うように、エピソードの焦点を変え、感じた気持ちを厳選し、そして、時には自分の大切にしてきたことも言わないまま、文章を書くのである。

ワードに文字を打ちながら、私は思ってしまった。


あぁ、これが「大人になる」っていうことか


そうか、大人って、そうだよな。相手の好む言葉のみを手のひらに乗せ、爽やかな笑顔で「お願いします!」と元気に手渡し、深々と頭をさげる。地面を見つめる瞳の中に、本当に見たかった景色や大切にしたい思いを隠したまま、自分が一番言いたいことは言わないまま、グッとこらえて息を吐く。

決して嘘を言うわけではない。けれど私の中の本質的な、核心的な、心の真ん中にあるものは言ってはいけない、だって、それは相手が望むものではないから。


いつか誰かが言っていた。

「やりたいことをやっているうちは『青春』なんだよ」

私はその言葉を聞いた時、「ずっと青春でいたいな」と思ったのをはっきり記憶している。就職活動をするのにも「やりたいことをやる」ということを大事にしてきた。

しかし私は、私の人生の一部分を切り取った文章で、経験も感情も取捨選択をした。相手に好まれるように、自分の一番大切にしてきた部分は書かなかった。

私はもう、大人になってしまうのか。

目を閉じて、静かに自分の鼓動を聞く。


いやだ、大人になんかなりたくない。

もっと青春の真ん中で踊っていたい。

どうしてもそんなことを思ってしまうのは、私がまだ未熟な子どもだからだろうか。覚悟が足りないからなのだろうか。守りたいものと大事にしたいものを、まだ自分の中にしか持っていないからだろうか。


大人になるって難しいな。

悲しさと寂しさの中に、未来への不安が混じる、

そんなこどもの日だったことを

今日の記録として、記しておこうと思う。

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