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田中慎弥さん『実験』読書感想

この本は、小説家の主人公が幼なじみの男性を不快に思いつつも憎めずにつきあいを続け、小説の題材にしていく話です。

この作家さんは、的確な例えと重く質感のある生々しい描き方が特徴的で、今回は『実験』という本について考えてみたいと思います。

あらすじを書いていくと、三十代半ばの売れない小説家の満が、小学校からの幼なじみである春男に対し、友情と憎しみの入り混じった感情を抱きながら交流を続けつつ、春男を題材にした小説を完成させる話です。

春男は満より歳が二つ下で、小学生時代の二人は兄弟のようによく遊んでいました。春男は体が大きいわりに運動神経が鈍く、徒競走では遅すぎて拍手を浴びるほどでした。

中学生になり、満は春男にいらいらするようになっていきました。同級生と遊びたいのに家の前で待ち構えて邪魔することや、本の感想を言うときの鈍い受け答えがまた気に食わず、満は何度も絶交を言い渡そうとしますが、結局それは出来ずにいました。

春男は背が高いために、クラスではいつも一番後ろの席になっていました。テストのカンニングがしやすい位置だったため、小学五年生のときに春男はクラスメイトにカンニングを強く疑われます。春男は満に「顎を胸につけて、体を縮めてやり過ごせばいいんだよ」と言いますが、クラスメイトに無実を証明したり対抗したりする気持ちがない春男に対し、満は「お前、何考えてるんだよ。いっそのことほんとにカンニングしたらどうだ」と歯がゆくなります。「やってみたくもないし、やりたくない」という春男に対し、満は「やるべきだよ。もしばれたら、俺に命令されたって言っていい」と諭します。本当にばれて自分の名前が春男の口から出れば、今度こそこいつと離れられる、そう思ってのことでした。

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春男は後日、実際カンニングをし、それを見つけ騒いだ男子生徒を殴りつけます。しかし最後の最後で言いつけに従わず、カンニングは昔からやっていたと教師に答え、満は春男と絶交する機会をまた失ったのでした。

それから春男は学校を休みがちになり、就職にも失敗し、家に引きこもるようになっていましたが、春男の親から電話があり、満は何年かぶりに春男に会うようになります。春男の親の要領をえない会話にいらいらしつつも、春男に対し関心を寄せ、満は春男と話していきます。

小学生時代の春男の描写が特に印象的で、「春男は体が大きかった。…とりわけ目立つのはだ円形の頭だった。巨大なコロッケを首に突き刺した感じだった」とあります。この「巨大なコロッケを首に突き刺した感じ」というのが、この作家さんらしい一文で様々な意味を込めた比喩表現だと思いました。「巨大なコロッケ」という言葉により春男の「愚鈍でありながら憎めない感じ」と、「突き刺す」という言葉のイメージから満が持つ「春男に対する冷酷な感情」を想起させるように書いていると推測されます。

うつ病になり、楓の木に首をひっかけ自殺をはかったと春男は言いますが、満は春男が言ったことと家の実際の様子に差異を感じ、春男が嘘をついているのではないかと勘ぐります。しかしそれでも、満は春男の話をもとに小説を書きあげ、二人の共作とも言える作品は完成に近づいていきます。

友情と憎しみ、フィクションと現実、相反するものを融合させ描き切った小説だと思いました。

この「春男」という名前も、皮肉がきいていますね。女性と交際したことがなく、秋に紅葉が美しくなる楓の木で首を吊るのに「春男」という朗らかな名前です。また「満」というのも皮肉で、小説が売れず収入が少なく、家族仲が悪く精神的に満たされていないのに「満」。田中慎弥さんの作品は、そういった緻密な計算があるからこそ、重い書き方でも滑らかな読みが可能なのかな、と思いました。

また別の本を図書館で借りて読みたいと思います。

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