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息をするように本を読む114〜シェイクスピア「マクベス」〜

 シェイクスピアの物語について書くのはこれで3回目になる。
 前々回は「ジュリアス・シーザー」で歴史物、前回は「ベニスの商人」で、私としては少しばかり疑問なのだけど、まあ、喜劇に分類される(らしい)作品。

 
 今回の「マクベス」は、間違いなく、悲劇に分類される作品だろう。
 だが、悲劇といっても、よくある悲劇とは少し趣きが違っているようだ。
 悲劇を起こしたのはそもそも主人公だし、ある意味で自業自得だと言ってしまうと身も蓋もないだろうか。

 物語の舞台は、中世のスコットランド。
 勇猛果敢で名を馳せるグラミス領主マクベスはヒースの繁る荒野で不気味な3人の老婆と出会う。
 マクベスは、ノルウェー王と組んだ謀反軍との戦いに勝利し、今しも盟友バンクォーと共にスコットランド王ダンカンの待つ王宮へ向かうところだった。
 3人の老婆はそれぞれに、マクベスに向かってあの有名な予言をする。

「おめでとう、マクベス。おめでとう、グラミス領主殿」
「おめでとう、マクベス。おめでとう、コーダ領主殿」
「おめでとう、マクベス。おめでとう、スコットランド王」
 
 これを聞いたマクベスたちは首を傾げる。
 確かにマクベスはグラミス領主。ただ、コーダ領主?とは。
 
 そこへ、王からの早馬の使者が現れ、コーダの領主がこのたびの戦いで敵に加担していたことが露見して処刑されたので、マクベスを新しくコーダの領主に任命するとの王の言葉を知らせた。

 マクベスは驚いた。
 早くも予言がひとつ叶った。
 ということは、最後の予言はどういうことになるのだろう。

 思いに沈むマクベスにバンクォーは、あの3人は人間の心を惑わし破滅させようとする魔女だ、まともに受け取ってはいけないと警告するのだけれど。

 魔女の予言の成就を目の当たりにし、目の前に王座をぶら下げられたマクベスは、妻に事の次第を打ち明ける。
 野心に溢れたバイタリティの塊のようなマクベス夫人はたちまちその気になる。
 実はマクベスは現王ダンカンの遠縁に当たり、王位からとんでもなく遠いというわけではない。しかも謀反人を平らげた今、国内でのマクベスの人気は高い。
 ただ、ダンカン王はまだそこまでの高齢ではなく健康そのもの。後継者として王子も2人控えている。
 このまま手をこまねいていても、到底王冠に手は届かないだろう。
 折しも、人の良いダンカン王は忠臣への信頼を示し、その功績を讃えるためにマクベスの居城に滞在中だ。こんなチャンス、二度とはあるまい。
 それならば…。
 
 なぜここで、怪しい魔女に煽られた胡散臭い夢なんぞは捨て置き、武勲に秀でた、王の御覚えめでたい家臣という今の立場を守ろうとしなかったのか、私のような小市民にはちょっとわからない。
 ダンカン王は、穏やかな賢王として臣下たちから慕われていたし、マクベスも(この段階では)立派な将軍として仲間から尊敬を集めていた。この地位で何が不満なのか。
 戦争で武功をたてたばかりで、ハイ状態になっていたのか。それとも、妻に「この機会を逃すなんて、それでも男か」と言われたから? それとも、現状に満足したら男がすたる、とでも思ったのだろうか。この絶好の機会を逃して後から後悔したくない、と思ったのだろうか。
 その全て、かもしれない。
 
 このあたりが、シェイクスピアお得意の人間心理描写の妙、ということなのだろう。絶対的善人のダンカン王と比べ、とても人間ぽい、そんな気がする。
 ともかくもマクベスは散々悩んだ末、優秀で頼りになる家臣に恵まれた喜びと安堵感でぐっすりと眠っている王を短剣で刺殺し、夫人がその剣の血を王の隣で酔い潰れていた護衛の兵士になすりつけた。
 その後、後からやってきた同僚の将軍が王の悲惨な姿を発見すると(まあ、そうなるように仕向けたのだけど)、敬愛する王の突然の死に絶望し嘆き悲しむという、非常に白々しい芝居を夫人と共に演じ、気の毒な護衛兵士を弁解の機会も与えずに切り捨てる。
 
 しかし、こんな猿芝居が完全に通じるわけもなく、何となく皆には察せられていて。
 それが証拠に、身の危険を察したダンカン王の王子2人はそれぞれイングランドとアイルランドへ逃亡した。
 後継のいなくなったスコットランドの王冠は、あっけなくマクベスの手に落ちる。
 魔女の予言はこうして完遂した。

 これでお終い、めでたしめでたし、なわけはなく。
 ここからが本番。
 恩人を殺し、その罪を罪なき者にかぶせたマクベス夫妻には、それぞれに地獄が待っていた。

 武人であるマクベスは、何だかんだ言っても人を殺めたことがある。それこそ、数えきれないほど。だが、夫人はおそらくそんな経験はないし、今回のことも直接に手を下したのは夫人自身ではないにせよ、焚き付けたのは彼女。
 
 よく言われることなのだけど。
 罪なき人を死に至らしめる、つまり殺人という行為は、ハードルのようなものらしい。
 人それぞれ受け止め方は違うだろうが、それ自体はそこまで高いものではない(場合もある)。
 しかし、そのハードルは一度でも超えたら絶対に後戻りはできない。どんなに罪を償おうとも、なかったことにはできない。死んだ人は帰らないのだから。
 そしてその、後戻りはできない、とは、決して償えない、ということだけを指しているのではない。一度でも人を殺した人間にとって、そのハードルはもう意味を持たない。
 人の命を奪うことに対してのためらいがなくなる。つまりは人として、何かが欠落してしまうのだ。
 そして、その後の人生を、その欠落を埋めるためだけに生きていかなければならない。
 その方法はもちろん、人さまざま、なのだろうけど。
 
 マクベス夫妻の運命はここには書かないので、ご存知ない方はぜひ、物語を読んでいただきたい。
 
 
 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
 
 最近知ったのだけど、この物語は実話らしい。
 マクベスもダンカン王もマルコム王子も、実在の人物。
 11世紀のスコットランドで、当時スコットランド王だったダンカンをマクベスが倒し、王位についた。
 ただ、ダンカン王が穏やかな賢王で皆から慕われていて、マクベスはその名君から王冠を無理矢理に簒奪した大悪人だった、というのは、ちょっと違うようだ。
 逆に、いきなりマクベスの領土に攻め込んできたのがダンカン王側で、その戦いでマクベスが勝利をおさめた、ということらしい。
 その後、スコットランド王になったマクベスは長く善政を行ない、なかなかの名君だったのだが、14年後、イングランドを味方につけたマルコム王子に攻め込まれ、王位を奪われたそうだ。
 
 シェイクスピアの4大悲劇のひとつ「マクベス」は、史実を基に書かれた歴史物フィクションなのだ。
 でも、物語の上ではマクベスは一方的に悪人にされてしまった。
 このほうがストーリー的に面白いからかもしれないが、もしかしたら、シェイクスピアの時代、その当時のイギリス王家に何か配慮しなければならないところもあったのかもしれない。
 
 歴史はこうやって書き換えられていくものなのか、なんてことをふと、思う。
 

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