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息をするように本を読む47 〜芥川龍之介「地獄変」〜

 
 芥川龍之介の短編小説「地獄変」を最初に読んだのは中学生のときだった。

 「地獄変」は、平安時代に編纂された「宇治拾遺物語」の中の「絵仏師良秀」を元に書かれたものだそうだ。
 芥川龍之介は他にも「鼻」や「羅生門」などの短編をこの物語集を題材にして書いている。

 
「地獄変」は、堀川の大殿様と呼ばれる公家の家に仕えている「私」の語りで物語が進む。


 平安の世、京都は堀川の大殿の屋敷に仕えるごく若い小女房がいた。
 気立ても見目も愛らしくて気働きも利き、屋敷中の者から可愛がられていた。

 この娘の父親が良秀というたいそう高名な画家だった。
 気難しくて人を人とも思わない傲岸不遜な男で、周囲からあまり好かれていない、というか、寧ろ嫌われている。
 見た目は小柄で貧相で、ちょっと猿に似ているため、「猿秀」と陰口を叩かれていた。
 しかし、この画家の恐ろしいほどの画才は誰も否定出来なかった。

 ある日、ふとしたことがきっかけで良秀の娘は堀川の大殿の目に留まり、大いに気にいられた。
 
 絵のことしか考えていないような良秀も、娘のことだけは溺愛していて、出来ればお屋敷から引き取って自分の手元に置きたかったらしく、何度も娘の宿下りを願い出たが、大殿は承知しなかった。

 そんなころ、大殿は良秀を召し出して、屏風絵を描くように命じる。
 題材は「地獄変」。

 良秀は、寝食を忘れてこの絵の制作にのめり込む。そのための行動は常軌を逸していた。
 地獄の亡者を描くため、往来の行き倒れの遺骸を写したり、地獄の化け物に襲われている者を描くために弟子に猛禽をけしかけたり、鉄の鎖で縛り上げ床に転がしたり。

 ある日、良秀は大殿の屋敷を訪ねてきた。
 そして、完成間近の地獄変の絵の最後の仕上げのために、大殿にあるとんでもない申し出をする。
 それは、人道から外れた恐ろしい願いだったが、何を思ったか大殿はその申し出を実現することを約束する。

 そして、ある夜半、大殿が所有する今は誰も住んでいない古い屋敷に集められた大勢の見物人の前で、良秀のその恐ろしい願いは叶えられる。それも、思いがけない形で。

 そのおかげで、一目でもその絵を見た人の心を鷲掴みにして離さない、凄まじい力を持った屏風絵「地獄変」は完成する。

 さすがの大殿も出来上がった絵を見るや、「でかした、良秀」と叫んだという。
 しかし、この絵を世に生み出すために払われた犠牲はあまりに大き過ぎ、良秀でさえも、その重さに耐えられなかった。

 中学生のときにこの本を読んだときには、大殿や良秀の行動がよく理解出来なかった。

 大人になってから読み返したとき、つらつらと考えてみた。
 これは芸術至上主義者の良秀に、娘のことが絡んで少々鬱屈の溜まっていた俗人の大殿が意地の悪い挑戦をしたのではないか。

 良秀の、人を人とも思わない非人道的な申し出もどうかと思うが、それを逆手にとって良秀に残酷な意趣返しをする大殿も、大した俗物だ。
 が、結局、良秀はその一瞬、人としての心より芸術へのあくなき欲求を優先した。
 その良秀の画家としての凄まじいまでの欲深さに、芸術の鬼と化した良秀に、俗人の大殿の賭けは敗れたのだ。

 とてつもなく大きな犠牲を払い、屏風絵「地獄変」はこの世に存在することになった。
 もし、この絵が実在するものなら、見てみたい、と思う。人の心を鷲掴みにする、そんな恐ろしくも凄まじい絵とは、どんな絵なのだろう。
 そう思ってしまうのも、また人間の残酷さ、か。


 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。


 正直言って、私は芸術と言われるものがよく分からない。
 だが、美しいにしろ醜悪であるにしろ、それは人の心を奪い、根底から揺り動かすものなのだろうと認識はしている。
 
 それを生み出す人は、引き換えに必ず何かを犠牲にし続けなければならないのだろうか。
 もしそうなら、芸術の神はどうしてそこまで嫉妬深く欲深いのだろう。
 


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 この物語「地獄変」は、青空文庫で読むことができます。
 興味がおありの方はぜひ読んでみてください。


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