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息をするように本を読む77〜横山秀夫「クライマーズ・ハイ」〜

 その岩壁に魅せられ、命を落とした者は数知れない。
 朝日に輝き夕陽に照り映え、人を招き人を拒む。
 その岩は、谷川岳一ノ倉沢の衝立岩(ついたていわ)という。

 2002年の初秋、ひとりの男が切り立つ岩壁を見上げている。
 彼は17年前に友と登るはずだったこの岩に、これから、その友の忘れ形見の息子と共に挑もうとしていた。
 
 男の名は悠木。群馬県の地方紙、北関東新聞(略して北関)の記者だ。
 17年前の1985年8月12日の夕方。
 翌日に同僚の安西と谷川岳の衝立岩に登る約束をしていた彼は、前夜のうちに一ノ倉沢に移動するため、社を出ようとしていた。
 そこへ共同ニュース速報が入る。

 東京発大阪行きのジャンボ機が墜落した。
 今も語り継がれる世界最大の航空事故、御巣鷹山日航機墜落事故だ
 18時過ぎに羽田空港を離陸した日航ジャンボジェット123便は群馬・長野の県境の上空で突然制御不能になり、40分もさまよった後に通信が途絶え、やがて山に激突して爆発炎上した。
 死者の数は520人を数え、高さ2000メートル近い道なき山奥の捜査や遺体の回収は困難を極めた。

 事故原因は機体後部の圧力隔壁と呼ばれる部分が金属疲労によって吹き飛び、更にその上の垂直尾翼が破損したため、と後に発表されたが今なお多くの不明な点が残る。
 
 悠木はこのとき40歳。
 年齢や経験からいって、本来なら若い記者たちを総括指揮するデスクという立場にいるはずなのだが、ある事情があって部下も持たず「独り遊軍」の記者として北関本社に在籍していた。

 その悠木に編集局長の粕谷はこの日航事故の全権デスクを命じる。
 ここから、悠木の記者人生は大きく変わる、いや、何よりもこれまで自分の人生において曖昧なままで見ないふりをしていた諸々に否応なく向き合うことを強いられる。

 この著者の作品で「64」を読んだことがある。
 未解決事件に絡む警察官たちの意地と執念が描かれていたが、一方で警察という巨大な組織の中の激烈な出世競争や権力争い、足の引っ張り合いからの潰し合い、縄張り意識、など、凄まじいドロドロの生々しさに辟易した。
 この「クライマーズ・ハイ」でも新聞社内の似たような人間模様が描かれていて、結局大きな組織というものはどこも同じようなものなのかと、溜め息が出てしまった。

 しかし、先を読んでいくうちに「64」でもこの「クライマーズ・ハイ」でも感じたのは、そんなさまざまなドロドロを超えた先にある、その職業に就いている者同士、その現場を知っている者同士にしかわからない熱い職業魂、絶対に譲れない矜持、だった。
 それはお互いの立場によって、相和すときもあり相反するときもある。
 
 どんなに取材に追われていても、締め切りの時間が来たらどうしようもない、無理矢理にシャッターを下ろし記事編集を終わらせて印刷所へ送る。送ってしまえば、今日は終わり。明日はまた別の紙面で新しい記事を書く。昨日までのことは忘れられていく。 
 そんな追い立てられるようなブンヤの日々にいつしか麻痺し慣らされていた記者たちが、かつて無い大事件に直面して、いつ終わるともわからない興奮と高揚と無力感に巻き込まれる。日頃身につけている、醒めて悟りきったような仮面は音をたてて崩れ落ちた。
 現場、編集局、社会部、販売部、その他の誰もがそれぞれの立場から、自分たちが絶対に譲れないものを主張して怒鳴り合い、生々しい感情をぶつけ合う。
 組織と自分の間で行き戻りつつ、迷い、怯懦し、怒りに震える。
 
 他から見たらくだらないものかもしれない、プライド、意地、嫉妬、恨み。
 自身がいつもは蓋をして閉じ込めている心の奥底のさまざまな思いに、否応なく向き合わされたのは悠木だけではなかった。
 それは奇しくも、一緒に衝立岩に登るはずだった友が言った、クライマーズ・ハイという言葉に重なる。
「普段冷静な奴に限ってね、脇目もふらず、ガンガン登っちゃうんだ。アドレナリン出しまくりながら狂ったみたいに」
 「新聞紙」ではなく「新聞」を作りたい。
 その熱に、いいも悪いも好きも嫌いもなく圧倒された。

 著者の横山秀夫氏はかつて群馬県の地方紙、上毛新聞に勤務していた。この日航機の事故が起きたときはまだ入社して数年の新人記者だ。
 この作品の中の人間模様や渦巻く感情、葛藤は、まさに著者自身がその只中で目撃体験したことなのだろう。
 全てがゾクゾクするほどリアルだった。
 
 空前の大スクープを目前にして、躊躇し迷い悩む悠木と一緒に煩悶した。
 上層部の都合で現場記者渾身の記事が潰されたとき、悠木と同様、食いしばった歯の間から荒い息が洩れた。
 生存者発見のニュースに歓声をあげる記者たちに胸が熱くなった。
 事故で亡くなったビジネスマンが家族に宛てて書いた遺書に落涙する悠木にもらい泣きした。

 記事を書くのも読むのも人。
 活字の向こうにもこちらにも生身の人間がいる。
 
 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 アンザイレン。
 登山をする者がザイルでお互いを結ぶことをそう呼ぶ。
 
 そばにいなくても、そのときにはわからなくても繋がることは出来る。
 心のザイルは目には見えない。
 仕事でも家庭でも常に疎外感に苛まれ、自分は孤独だと信じていた悠木が、その繋がりにやっと気づく瞬間に心からほっとした。
 
 
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