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息をするように本を読む94〜O.S.カード「エンダーのゲーム」〜


 いわゆる、ファンタジー小説というジャンルが好きだ。
 ファンタジーとは、おおよそ、異世界を舞台にした(例外的に現実世界が舞台になっている場合もあるが)想像上の物語、という定義でいいと思う。(いいのかな)
 
 ファンタジー小説を書く難しさはその想像上の物語を、いかに本当らしく見せるか、に尽きる。
 想像だからといって決して何でもあり、ではない。現実世界とは違った、著者の空想から生まれた世界ではあっても、その中での登場人物の言動やストーリー展開は書き手の勝手な都合によるものではなく(実際にはそうであったとしても)少なくとも外見上、常に整合性、必然性がなければならない。

 さらに世には、SF、というジャンルもある。これも物語の舞台や設定は、現実からは離れて著者の自由な想像に依るところにある。

 ところで、ファンタジーとSFはどこが違うのか。
 
 SFは、サイエンス・フィクションの略。
 SFはファンタジーと同じように空想物語であっても、その想像はより科学的論理的であることが求められる。
 でも、書き手が本職の科学者でもない限り、完璧に科学的学術的に裏付けされた論理に破綻のない設定は書けないだろうし、読み手もそんなものは求めてない。
 要はいかにもそれっぽく見えればいい、ということか。
 私はさらに、それが本当に近い未来に実現しそうであること、が必要だと思う。
 実際、昔から読まれているSF小説の中に出てくることは、いいことにせよ、そうでないことにせよ、現実のものになっていることが数多くある。

 私は今まであまり、SF小説は読んでこなかった。理系が少々苦手、というのもあるが、良いと言われるものに海外の作品が多いせいだと思う。海外物は、その翻訳の如何によって読みやすかったり、そうでなかったりする。SFはそれが特に顕著な気がして、書店で手に取ってはみても、なかなか読もうという気にはなれなかったのだ。
 
 日本の作家さんで、眉村卓さん、星新一さん、筒井康隆さんなどの作品はいくつか読んだのだけど、これらを果たして、SFと言っていいのかどうか、私にはわからない。
 
 「エンダーのゲーム」は、SFファンの間では有名で、その界隈では熱狂的なファンも多く日本のサブカルチャーにも絶大な影響を与えた、らしい。
 なので、私のような門外漢が語っていいものなのか、少々迷うところではあるのだけれど。

 解説によると、先に雑誌向けに書かれた同じタイトルの短編があり、それを長編に書き直したのが本編だという。
 出版されたのは、なんと1985年。今から40年も前のこと。

 舞台は、まさにこの物語が書かれたのと同時代と思われる地球。もちろん、ソ連はまだ存在していて、ワルシャワ条約機構も機能している。冷戦時代、真っ只中。
 しかし、そんな国家間の瑣末な争いなどたちまち吹き飛ばすようなとんでもない危機が、地球を襲った。
 優れた科学力を持った知的生命体、異星人の襲来である。
 
 その異星人は地球人とは違う系路で進化を遂げた生物で、形態は地球上で言えば昆虫に近い。なので作中では、バガーと呼ばれる。

 バガーによる襲撃で地球は大打撃を受けたが、ある英雄の存在によってとりあえずは、奇跡的勝利を治める。しかし、奇跡は2度目もあるとは限らない。また襲撃を受けたら、間違いなく地球は滅亡するだろう。
 地球上の各国は当座の国同士の争いはさておいて、地球防衛軍を組織し次なるバガーとの決戦に備えて最強の兵士、最強の軍隊、そして、それらを指揮できる最強の司令官を育成するために、優秀な子どもを集めて遠大な英才教育を始めた。
 主人公のエンダーはわずか6歳のときに選出されて、地球から遠く離れた宇宙空間に浮かぶステーションで世界中から集められた選りすぐりの優秀な子どもたちと共に優れた兵士となるための訓練を受ける。
 
 このステーションでの暮らしや訓練が、何というか、身体的にも精神的にも、とても子どもに対するものとは思えないほど厳しい。  
 場合によっては、大人でも耐えられないのではないかと思われるほど。そして、訓練する側の大人たち、教官たちもそのことは先刻承知の上でやっているらしいのだ。
 いったい、彼らは、そして彼らの上位組織は何を考えているのか。
 子どもたちに、エンダーに、何をさせるつもりなのか。
 彼らの本当の目的とは。

 それは、人類とバガーとの最終決戦で全て明らかになる。

 後から聞いたが、この作品は10年ほど前に映画化されているそうだ。
 冷徹で、腹が立つほどクールな鬼教官をハリソン・フォードが演じていたらしい。
 さもありなん、と思った。

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 冒頭でも書いたが、この作品が書かれたのは今から40年も前のこと。
 そこから考えると、この作品はストーリーの斬新さ以外にも、いろいろととんでもない。
 
 まず、この頃はインターネットはまだ黎明期だっただろうと思われる。
 元々はアメリカなどの学術研究機関がそれぞれの施設の資料情報を瞬時にやり取りできるように開発されたシステムがあって、そこからさらに、それぞれの情報を「リンク」させ、次から次へと辿っていけるようなシステムが開発され、やがて世界中を文字どおりクモの網を張り巡らせるように覆ってしまった。
 その仕組みが完成したのは1989年のこと。

 しかし、この小説の中ではすでにこのシステムがあって、それを利用して別人になりすまし、計算された話術、弁舌によって人々の心を掴み扇動し、自分の意のままに操ろうとする者が存在する。
 今、現実にそういうことが大なり小なりいろんなレベルで行われていることを思うと、この著者の未来への想像力には驚かされる。

 その他にも、タブレットを思わせる小さなデスクによる学校の授業とか仮想空間内で行われるゲーム形式の戦闘訓練とか、作者にはまるで未来が見えていたかのようだ。
 
 作家という人種の驚くべき想像力に、驚嘆する。

 これを機会に、SF小説にももっと手を出してみようかな、と思う。

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