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息をするように本を読む20 〜オーウェル「一九八四年」〜



 昨年、知り合いの大学生が卒論で「創作に於けるユートピアとディストピア論」的なものを書くにあたり、参考としてオーウェルの「一九八四年」を読んだと言っていた。
 私は未読だったので感想を聞いてみると、彼は苦笑いして、まあ、読んでみたら、と言った。

 というわけで読んでみた。以前から気にはなっていたのだ。


 時代は文字通り1984年。
 しかし小説の中の1984年の世界は、詳しくは書かれていないが、世界大戦後の何らかの革命的な出来事のあと、現在とは全く違う世界になっているのだ。

 世界は大きく3つの国に分かれている。
 南北アメリカ大陸とイギリスから続く大西洋の島々、オーストラリア、アフリカ南部で構成されるオセアニア。
 ヨーロッパ大陸とアジア大陸の北部で構成されるユーラシア。
 中国、東南アジア、日本、モンゴルなどで構成されるイースタシア。

 それぞれの国境では四六時中戦争をしている。

 物語の舞台はオセアニアで3番目に人口の多い地域「第1エアストリップ」の首都ロンドン。
 ウィンストンという三十代半ばの青年が主人公だ。

 だが、彼が何を考え、何を成すかということはあまり重要ではない。
 この小説の主人公は、この世界なのだ。
 彼はこの世界を説明し表現するための狂言回しに過ぎない。

 ウィンストンが住むオセアニアは、ビッグブラザー、略してBB、が率いる党に支配された絶対的全体主義国家である。
 国民はBBの下、党中枢部、党外郭、プロールと呼ばれ完全に国運営の蚊帳の外にある労働者階級、に分かれている。
 ウィンストンは党外郭に所属していて、数多く存在する党の役所のひとつ、真理省記録局で歴史の改竄(?!)を主な仕事にしている。

 彼が住むのはヴィクトリー・マンションという皮肉の効いた名前のボロアパート。
 彼の日常や勤務風景をを描くことによって、この世界の全体像が浮かびあがる。

 まず、完璧な監視社会。
 テレスクリーンという金属製の板が至る所に設置されている。
 もちろん、個人の、ウィンストンの部屋の壁にもある。
 モニターとスピーカー両方の機能があり、受信と送信を同時に行う。常に合法的に盗撮、盗聴されている状態、ということか。
 そしてほぼ一日中、党のプロパガンダ放送が流れている。
 テレスクリーンの電源を切ることは許されない。切ったら直ぐに警察よりも恐ろしい思考警察がやってきて、党に対する反逆者として連行されてしまう。

 更には徹底的な情報統制社会。
 党首BBは絶対に失言はしないし、虚偽は言わない。いや、言ってはならない。
 だから、後で辻褄が合わなくなった場合は事実の方をあるべき方へ寄せる。つまりは改竄する。

 党是によるとそれは悪ではない。
           

『過去をコントロールするものは未来をコントロールする。現在をコントロールするものは過去をコントロールする』からだ。
 
 もうひとつは思考の管理。
 この世界には思考警察というものが存在する。その名のとおり、思考犯罪を取り締まる組織だ。
 そのための法はない。全ては思考警察が決定するから、法律は不要なのだ。
 党の転覆を図る恐れのあるもの、あるいはそこに至る可能性のある全思考は罪である。
 溜息、独り言、寝言、愚痴、諸々全部が対象になる。
 党に対する忠誠心を損なうような不満や疑問を感じること自体が犯罪なのだ。
 
 推奨というか、強制されるのは二重思考。
 党の発表が明らかに矛盾していたとしても、現実的に都合のいい方をとり、悪い方は仕舞い込んで蓋をしておく。情勢が逆転することがあれば、そちらを蓋を開けて取り出せばよい。
 訓練すればそれが意識せずとも出来るようになる。

 どうだろう。
 そろそろ恐ろしくなってきただろうか。

 しかし、この小説の恐ろしいところはそこではない。

 後半で党中枢部のある人物がウィンストンに党がなぜ必要か、党支配の正当性、合理性について語る場面がある。
 この人物の唱える説が間違っていることは分かっている。分かるのだが、彼の話をじっくり聞いて(読んで)いると、どこが正しくないのか、どう正しくないのか、反論できない自分がいるのに気がつく。
 気持ちでは、その理屈はめちゃくちゃだ、理論が破綻している、と思っても、感情論ではない合理的な反証が出来なくなってくるのだ。

 この世界では経済が安定的に停滞しているので、ウィンストンたち党外郭員は『平等に』貧しい。しょっちゅう水漏れするボロアパート。変な味のするジン。安いサッカリンに香りのない代替コーヒー。日毎に減らされる配給品。
 ウィンストンは改竄された過去に興味を持つようになる。本当にBBが言うように、党が支配する前の時代は最悪の時代だったのか。
 本当の過去はどこにあるのか。
 
 しかし、もしウィンストンがもう少しだけましな生活を送れていたら、この世界に疑問を持つことがあっただろうか。この世界の成り立ちに誤謬を感じただろうか。

 そして何より恐ろしいのは、この小説が書かれたのが第二次世界大戦が終わって4年後の1949年だということだ。
 オーウェルは、やっと平和を取り戻したばかりのこの世界の未来に何を見ていたのか。
 
 この小説世界の2021年はどんな世界なのだろう。

 
 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 この本を、とにかく一度読んでみたら、と言ってくれた大学生くんに深く感謝する。

 
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