見出し画像

息をするように本を読む86〜中山七里「笑え、シャイロック」〜 

 シャイロック。
 シェイクスピアの戯曲「ベニスの商人」に登場する金貸しの名前。
 おそらく、主人公のアントニオやバッサニオよりも世間に周知されているだろう。 
 
 シャイロックは苛烈な取り立てをする守銭奴の代名詞に使われることが多く、今年の初めに公開された池井戸潤さん原作の、銀行が舞台の映画のタイトルにもこの名前が使われていたように記憶する。

 およそ、金銭の貸し借り問題は難しい。友達を失いたくなければ、借りるのはもちろん貸すのもご法度、とは誰が言ったセリフだったか。
 頭を下げて頼み込んで必要なお金を貸してもらって、そのときは感謝していたとしても、その後もその気持ちが続くとは限らない。
 何の問題もなく返却できる場合はいいが、返せなくなったとき、もしくは返すのが非常に困難を極めたとき、同じ感謝の気持ちを持ち続けられるかどうか。

『貸すまでは貸した方の立場が強いんだよな。ところが返せなくなった途端に客の立場が強くなる。担保も返済余力もない客ほどそうなる。できるものならやってみな、って態度でな』
 この物語の主人公、結城の元上司の言葉だ。もちろんこれには、いろんな場合があるだろうが。

 結城はメガバンクとは言えないもののかなりの大手銀行に就職して3年目。
 ある日、銀行の表道、営業部から渉外課への転属を命じられる。
 渉外部の主な仕事は焦げ付きかけた債権の回収業務。言い方を変えれば、取り立て屋。

 何だかなぁと少々凹む結城だったが、向かった渉外部で、ある人物との運命的な(?)出逢いを果たす。
 「シャイロック」の異名をとる、渉外部のエース中のエース、山賀。
 山賀は、債権回収に対して独自の理論と信念を持ち、容赦なく債権を取り立てていく。
 最初はその強引なやり方にビビり、恐れ慄いていた結城だったが、次第に山賀の金銭美学とでも言おうか、その独特の哲学に惹きつけられていき、その背中を追うことを決めた。

 この世で一番大事なものは金だ。異論は認めん。
 経済にとって、金は生物の血液と同じだ。血液が大量に身体の隅々にまで敏捷に流れてこそ、生物は活動が可能になる。経済も同じことだ。
 真っ当な貸し方をすれば真っ当に返済される。真っ当に返済されないのは最初に真っ当な貸し方をしなかったからだ。

 借りる側に都合があるとすれば、貸す側にも都合がある。
 借りる側に責任があるのと同じように貸す側にも責任がある。
 その責任を誰も引き受けることをせず、ズルズルと先送りにした結果、債務はどんどん膨らんで手がつけられなくなり、出血を伴うほどの荒療治が必要になってしまう。
 
 渉外部に転属になって2ヶ月が過ぎ、ある突発事項によって結城は山賀が担当していた4つの最悪、最恐の債権回収事案を任されることになった。

 いつまでもバブル期のときのような場当たり的な放漫経営を続ける2代目社長。
 父である先代の社長に対する劣等感と対抗心を抱きつつも、多額の負債も行き詰まった会社の業績も全て、他者のせいだと思っている。
 まるで高級なスーツを着た子ども、のようだ。

 8万もの信者を集める中堅新興宗教団体。
 人々の魂の救済を唱え、信心は金儲けではないと断言しつつも、実態はあからさまな宗教ビジネスに汲々とし、銀行や信徒たちから金を巻き上げることしか考えていない金の亡者。
 そのくせ、経営手腕は壊滅的。
 
 政治家。いや、先の選挙で落選したので、今は「ただの人」となった、元与党(現野党)の元幹事長。
 人を人とも思わない傲岸不遜さは以前から、そしてそれだけは今も変わらず。金銭感覚はいわゆる一般常識からことごとくズレており、それに対する自覚も皆無。

 表向きはカタギの不動産会社だが、裏を返せば、どこに出しても恥ずかしくないフロント企業。早い話が経済ヤクザ。
 世間一般の常識はこちらでも通用せず、下手をするとこちらの身が危険に晒さられるだろう。

 渉外部の他の誰もがサジを投げる、どころか、ケツをまくって逃げ出すような案件が並んでいる。いったいどうして、こんな輩たちに融資を決めたのか。(でも現実世界にも、こういう人たち、結構いるんだよなあ)

 このとんでもない債務者たちから、結城がいかにして債務を回収するか。
 一見、不可能に思われた。(だから山賀案件、だったのだ)
 何度も頭を抱え諦めそうになる結城だったが。

 責任ある融資と責任ある回収は銀行業務の両輪だ。どちらが欠けても成り立たない。
 
 山賀の教えを胸に、結城は絶望的に焦げついた債務をなんとか整理しようと奮闘する。
 物語は何とか借財を踏み倒、いや、逃れようとする債務者と結城の知恵くらべの様相を呈してくる。

 この作品はいちおうミステリー小説の形をとっている。だがどちらかと言えば、謎解きの部分にはあまり重きは置かれていないようだ。
 
 見どころは、やはり結城と海千山千の債務者たちとの丁々発止のやり取り。これがまた、ものすごく面白い。そして、それを通しての彼の銀行マン、いや、社会人としての、目を見張るばかりの成長だろう。
 
 回収の手法はどれも、そこはフィクションということもあり、なかなかにアクロバティックというか合法非合法スレスレというか、正攻法とはとても言えないものばかりだが、この、何とも痛快な(?)後味は癖になる。そして、その後に少なからず残る一抹の苦味も。
 

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 世間では言いたくても言えないことが少なからず、ある。最近は特にそれが増えた気がする。
 中山七里さんの小説は、そんな言いにくいことをズバッとついてくることが多い。
 そしてそれは文章に直に書いてあるというよりも、登場人物にセリフとして言わせ、
そこにチクチクとした棘や毒が垣間見える。
 ときどきちょっと効きすぎ?ではないかと思えることもあるにはあるが、そこも含めて、私は中山作品が好きだ。
 

 
#読書感想文 #読書好き
#中山七里 #笑えシャイロック
#銀行 #取り立て屋


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,937件