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息をするように本を読む35 〜松井今朝子「吉原手引草」〜


 かつて日本に三大花街と言われる場所があった。
 
 長崎の円山、京都の島原、そして江戸の吉原である。(大阪の新町を入れる場合もある)

 言わずとしれた遊郭の建ち並ぶ色街だ。
 
 起源や経緯は諸説あるが、それなりの体裁を整えたのは江戸時代のこと。
 その時代、およそ色街と呼ばれるものは数限りなくあっただろうが、公認の花街はこの3つ(或いは4つ)だった。

 そこで働く女性たちは、実家の困窮を助けるためにまだ子どものときに売られてきた者がほとんどで、下働きをしながら芸事の修業をし、18で遊女として店に出てからは、大金持ちの贔屓客に身請けされるか年季が明けるまで、里の外に出ることは許されなかった。

 よく映画や小説の題材にもなる江戸の吉原は、東京ドーム1.5個分ほどの敷地に、多いときは4000人とも6000人とも言われる数の遊女が住み、それ以外にも遊郭の運営を支える様々な職種の人々も大勢暮らす、巨大な街だった。

 そこで働く遊女たちにも序列があり、自室を持ち、豪華な衣装で身を飾った高い位の遊女は花魁と呼ばれ、浮世絵のモデルや芝居の題材になり、庶民の憧れの視線を集めてその髪型や装いは当時の最先端の流行を作った。
 吉原は文化、流行の発信元という役目も担っていたのだ。

 吉原では毎日毎晩、贅沢で派手な宴会が催され、それを支えたのは、戦乱の世が去って経済が飛躍的に発達した巨大都市江戸に現れた莫大な富を所有する豪商達だった。
 彼らは「粋」で「大人」な遊びを楽しむことに執心し、「野暮」と言われることを殊更に嫌った。
 そしてそのために、信じられないような額の小判を一晩でばら撒くように使った。
 まさに現実離れした、この世の幻か夢のような街、だったのだ。
 
 
 この物語「吉原手引草」はミステリー、と言っていいと思うが、ちょっと面白い構成になっている。
 吉原で突然行方知れずになったある花魁について、ひとりの人物が調査をしているらしいのだが、それがいったい誰なのか読者にもわからない。
 その人物は吉原を訪れて、さまざまな人間にその花魁についての聞き込みをし、それに対する答え手の話だけで物語は進んでいくのだ。
 
 引手茶屋の女将。
 妓楼顔見世の呼び込み。
 楼主。
 吉原で派手に遊ぶ旦那衆。
 男衆。
 妓楼芸妓。
 
 その他にもまだまだたくさんの語り手が、聞き手の巧みな問いに口がほぐれてついつい喋る。
 
 語り言葉は、それぞれの語り手の立場気質そのままで、まるで芝居を見ているように、読者は吉原の世界に引き込まれていく。

 聞き手はいったい誰か。
 その目的は何なのか。
 行方知れずになった花魁には何があったのか。
 そもそも、その花魁の正体は誰なのか。

 謎は読むほどにどんどん深まり、ページを巡る手は止まらない。
 そして、終盤に近づくと、あちこちにばら撒かれていた伏線がみるみるうちに拾われていく。
 これはもう、一気読みコースだ。

 この小説は吉原案内書のようにもなっていて、読むと吉原という街がいかに特異な世界であったかよくわかる。
 粋で華やかで豪勢で、現実とはかけ離れた、まさに夢の世界、この世の極楽のような街。

 しかし実際には、お歯黒溝と呼ばれるどぶ川で囲まれたそこは、嘘と見栄と欲望で塗り固められた虚飾の舞台だ。
 その舞台は貧しい女性たちを金で縛り、過酷な生活を強いることによって成り立っていた。
 吉原の遊女たちは年季10年ということになってはいたが、身体を壊したり病気になったりして、その年季明けを生きて無事に迎えられる者は少なかったということだ。そして、たとえ年季が明けても、幼い頃から廓で育ち、外の世界のことはまるで知らない女性たちに、生きていける場所はそう多くない。
 
 吉原の魅力に取り憑かれて通いつめた男たちの中にも、遊里の華やかな嘘と欲望の渦に巻き込まれ、身を持ち崩す者もいただろう。
 その一方で、何らかの理由で娑婆では生きられない、ここでしか暮らせない者たちも多数いたに違いない。

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。


 吉原を始め、数多の花街が時代の文化を作ったことは否定出来ない。
 しかし、そこで生まれた華やかな文化は、泥の池の上に咲いた美しい仇花だった。

 登場人物のひとりが言う。
「世間は廓が嘘のかたまりだというが、しかしここほど人が本性を剥き出しにする場所もない。それこそがまさにこの世の真実なんだよ」
 そして、その中で人間は確かに生きていた。

 
 
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