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息をするように本を読む28 〜宮部みゆき「模倣犯」〜
最初に
(この記事はあくまで個人的感想です。もし、この記事を読まれて不快に思われた方がおられたら、申し訳ありません)
*****
宮部みゆきさんは不思議な作家だと思う。
時代劇、ファンタジー小説、社会派ミステリー、コージーミステリー。
その引き出しの多さには驚かされる。
私が最初に読んだ宮部作品は「龍は眠る」と「魔術はささやく」だった。
どちらもとても面白かった。
次に読んだのが知り合いから借りた、この「模倣犯」だった。
もうずいぶん前のことだ。
先の2作品とは全然違った。
結構な長さがあり、視点が複数あったり、時系列が前後していたりして、読むのに時間がかかった。
ようやく読み終えたときは、ぐったりしてしまった。
長さに疲れたのもあるが、内容が恐ろしく心えぐるものだったのだ。
物語は、ある無差別連続殺人事件を軸として、その被害者、被害者家族、それとは別の不幸な事件で家族を失い、それを自分のせいだと思っている少年、そして、その事件を追う女性ルポライター、警察、加害者(と思しき人物)、各種メディア関係者、等等多数の視点で進む。
ミステリーサスペンス小説なので詳しい事件の話はしない。
それに、私が心をえぐられたのはその事件の凄惨さも然ることながら、何より、事件の被害者とその家族に降りかかる言いようのない理不尽さだったのだ。
物語では、類を見ない劇場型犯罪を目論む犯人が、警察、被害者家族、マスコミなど関係者全てをさまざまな方法で翻弄する。
結果、被害者やその家族たちの悲しみを置き去りにして、事件はセンセーショナルに報道される。
記者たちはネタを求めて奔走し、テレビでも雑誌でも被害者家族の気持ちに斟酌なく、次々と新たな情報が流れる。
それは、報道あるいは表現の自由があるから、かもしれない。
しかし、多くの視聴者や読者が我先に情報に群がってくるから、でもある。
彼らはそれを知ってどうしたいのか。
もちろん物見高さもある。しかし、彼らは怖いのだ。
普通の人が普通に暮らしていて、なぜこんな事件に巻き込まれたのか、わからないことが。
何か理由があるのだと思いたい。自分たちとは違う何かがあると言ってもらいたい。
加害者に対しても同じことだ。
彼(あるいは彼女)が、加害者になったのには何か訳があるに違いない。
家庭環境? 教育環境? 交友関係? 社会の歪み? 愛読書やゲーム?
ワイドショーや週刊誌で、分析と意見が飛び交う。
そんな無責任な憶測がいったい何を生むのか。
煽っているのは、そして煽られているのは、いったい誰だ。
わかりやすいストーリーとゴールとを作り上げ、事件とその当事者たちをそれに当てはめて自分たちから離れたところに置く。
そうして、まるでドラマでも眺めるように事件を俯瞰する。
誰にでも起こり得ることではないのだと確認したい。
誰にだって、起こり得るかもしれないのに。
私は、自分の心奥底にそういう考えがまったく無いと断言できない。
おまえも、物語の中の多くの人たちと同じように流されやすく、弱い人間ではないか。
まるで舞台を見るようにニュースを眺めている観客の1人ではないか。
そう言われたようで、胸を突かれた。
物語を読み終えた後、しばらく、愕然としてしまった。
宮部みゆきさんは、他の小説でも人の心の中の、自分では知りたくない部分を炙り出し、容赦なく突きつけてくることがある。
それがこの「模倣犯」では強烈だった。
物語の終盤、成長した少年の姿と、被害者の祖父との心の交流に少しだけ救われた思いがした。
犯人と対峙したときの祖父の言葉が、心に沁みた。
でも、被害者の無念、その家族たちの、誰とも分かち合えない悲しみと怒り、虚しさは消えることはない。
少年は思う。
誰かが、加害者たちもある意味、犠牲者なのだと言っていた。
どこもかしこも犠牲者だらけだ。
では、悪はどこにあるのだろう。戦うべき敵はいったいどこにあるのだろう。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
この作品を読んだこと、そしてこの作品を勧めてくれた知人にも、今は感謝している。
#あくまで個人の感想です
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