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16歳からの贈り物

そのお寺の前には小さな公園があり、私たちは並んでブランコに乗っていた。夕暮れも近くなり、カエルの鳴き声がこだましている。
彼女は高校生だった。

「ねぇ、どうして勉強しなきゃいけないの?」

ブランコをギコギコとこぎながら、彼女は言った。

「なんでだろうね」
「なんで勉強しろと言われるのかわからない」
「ふーん」

わたしは隣でグイン、とブランコを蹴り上げた。
髪が後ろにふわり、と流れる。

その日、朝からテンパっていたわたしは、全く頭が回らないまま、京都でクリエイティブライティングという講座に参加していた。
ずっと楽しみにしていたのに、このコンディションはなんだ。
それを少しだけ、いや、とても悲しく感じていた日だった。

それぞれが自由に綴り、語り、感想を交換する。
そんな文章講座の最後の時間でペアになった私たちは、荘厳なお寺の空間を抜け出し、ブランコで二人、揺られていた。

「勉強か~」
「意味がわからない。無駄だと思う」
「無駄か~」
「勉強しろって言われるのが嫌やねん」
「それはたしかに嫌やなぁ」

わたしはぼんやりとした頭で答えながら、空を見ていた。
最初は無口だった彼女から、どんどん言葉が泉のようにあふれてくる。

苛立ちとほんの少しの悲しみ。
途方にくれながらも輝く、美しい光。
それがわたしの胸を、耳を、目を、ひたひたにする。
まるで新鮮な湧き水のように、空間がゆっくりと満たされていく。
思わず口から言葉がこぼれた。

「ねえ。可能性ってなんだと思う?」

「可能性?」

「うん。ぶっちゃけ、
 いまこうなりたいとかって、なかったりするじゃん。
 明確にもっている人はいいけど、
 ないほうが多かったりするやん」

「うん」

「でもさ、もしこれからの時間を過ごしていく中で、
 あっ、こんなことしたい、
 こんな体験をしてみたいって思った時にさ、
 すぐにそこに飛び込めたら
 きっと嬉しいんちゃうかなぁと思うねん」

「うん」

「もしさ、外国で勉強してみたいとか、
 こんな仕事やってみたいとか思った時に、
 じゃあここが足りないとか、
 そこ積み上げる時間が足りないとか、
 そういう理由で選ぶのが難しくなるのは
 残念やと思うねん」

「うん」

「いまはまだない未来の自分がさ、
 やりたいっていうことを
 思いっきりさせてあげられるって
 いいなと思っていてね」

「うん、うん」

「そう思うと、勉強って、
 自分の人生を楽しくするものやと私は思う」

「……ふーん。そっか」

気がつくとブランコは止まり、私たちは顔を見ながら話していた。
彼女の黒い瞳が小さく笑っていた。
そこでタイムアップとなった。

二人で一緒にお寺の中へ戻りながら、
自分がここにいる、という感覚を取り戻していることに気がついた。

彼女の柔らかでまっすぐなあり方、問いかけ。
それがこれほどまでに、自分を立ち上げる力になっている。

ああ、私はこんな人間だったのか。
こんな風に感じ、今まで生きてきたし、
それはきっとこれからもそうなのだ。
何かがキラリとした。

自信って、一体どこから湧くのだろう。

わたしは自信がなくなるとSNSで流れてくる有益そうな情報で頭を満たし、結果パンパンになって動けなくなる。
そんな私をわたしが責める。
行動しない自分を痛烈に責めることをもうずっと繰り返していたことに気づいた。

ああ、わたし、疲れていたんだな。
いけてない自分を見続けることに。

高校生の彼女のまっすぐな瞳に照らされ、
自分の中に見た、キラリとした光。
彼女がいたからこそ、立ち上がってきた光がここにある。

うっすらと細い月が夕空に透けて見えた。


文章講座の最後の時間、
わたしたちは短いメッセージを交換した。
その中に名前のない一枚を見つけた。
そこにはこう書かれていた。

「一緒にお話ししてて
すごく色々な事を考えていて面白くて。
こんな大人になりたいなと思いました。

「無駄だな」といつも思っている事が
もしかしたら有意義な事なのかもしれない。

いましか味わえない無駄かもしれない。
と思うと見方が変わるなと思いました。

面白かったです。今日はありがとうございました」

彼女がくれたであろう、手書きの言葉だった。
これが彼女が見たわたしだ。

びっくりした。
何度読んでみても、人ごとのようにしか思えない。
ここに書かれているのがわたし?
あまりにも自分が思う自分と違いすぎる。

だからといって彼女の言葉を否定することなんて、絶対にできない。
したくもない。絶対にしたくない。
ならば認めるしかない。

でも受け入れがたい。
ああ、認めたくない。
だって認めちゃったら。
もし認めちゃったら、わたし。

別人になっちゃう。

自分の思っている以上に、自分が「よき存在」だと認めるのが怖くて怖くてしょうがない。
そんなにいいもんじゃないんだって。
それは誤解だよ、誤解なんです。

そう言いながら、そのまま小さく消えてしまいたい衝動に駆られる。

セルフイメージが低すぎる? 低くてけっこう。
その方が安心。馴染みもあるし安全。
いけてる自分なんて怖くてしょうがない。ああ、なりたくない。
いけてない自分を見続けて、文句いったり疲れているほうがいい。
ねえ、だってわたしってそんなもんでしょ。ねえ、そう思うでしょ。

ヒステリックな断末魔が頭に響く。

でも奥底にいる静かなわたしはすでに決めていた。
彼女が手渡してくれた贈り物を絶対に捨てない、と。
ありがとう、と受け取ると。
震えながらも強く、そう決めたのだった。


あの日の空とブランコと、彼女の瞳が、
一人ぼっちで狂気の世界に浸っていたわたしを正気に戻してくれたように思う。

わたしはこんな大人になりたいな、と言われるような大人だったのだ。
知らなかった。

人間って不思議だ。

いま、これを書いていて涙が出るということは、
まだ認めていないのかもしれない。
まだ慣れていないのかもしれない。
嬉しいのか悲しいのかさえわからない、
葛藤と安堵と抵抗と喜びの涙。

それでも柔らかに涙を流す自分に気づくたび、きっとわたしはまた顔をあげる。
何度でも何度でも。
きっとこうして泣きながら、笑いながら、
わたしはわたしの望む未来へつれていくのだ。

何度でも何度でも。

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