見出し画像

あきらめると世界は苦痛になり壊したくなるこころの動き

初めまして。今週遅ればせながらAmazonの配信で「IQ246〜華麗なる事件簿」を拝見したものです。

わたしにとってこのドラマとは何か、どんな意味があったのか。お伝えしたくなり筆をとりました。
つねづね私たち人間が恐れているのは、生きることが「退屈」であるということ。それが人生の悲喜こもごものドラマを自ら生み出す源だという仮定をもって、生きてきたものです。

そのせいでしょうか、このドラマを見ている時間、つねに奥底で揺さぶられるものがありました。
IQの高さゆえの世界への失望とあきらめ、そしてそこに差す光の希望のようなものを感じたからです。

わたしは言うに及ばず凡人ですが、IQに関わらず、世界への絶望感は誰もが心のどこかでもっていると思っていて。
付け加えると才能、お金、もっと手に入れば・・と望むきもちは、多分にもれず、常にわたしにあります。ありました、というほうが今では近いかもしれません。

ですが、そういった全てを手に入れたとて幸福になることはない。

わかっているのです。そう、頭ではわかっていても、結局腹落ちできてないわけで。
日々モヤつきながらも、日常をジタバタと生きていたりします。
そんなときに、このドラマをなんとなく見始めたのは、なんとも幸運なことでした。

自分が生きていることに対する信頼

安堵感、希望、明日に向かうための好奇心...

これらは、結局のところ世界を自分がどうみるか、ということでしか手に入らない、思考回路の問題だということを、
このドラマでは高度な会話と心理のうごきで見せてくれたように思います。
非常に揺さぶられました。

表にではでない権力の裏舞台といった描写においても、真理が含まれていたように思えて、
だよね、まあそうなるよねきっと、という感じで不思議ですが、見ていて腹落ちの連続でした。

主人公は貴族の血筋をもつIQ246で、暮らしぶりも非日常です。
その家系と環境で培われたであろう、とんでもなくステージの高い意識のありようにワクワクしながら、かぶりつくように見てしまいました。

一番心惹かれたのは、「美しいものとはなにか」という定義がそこにはっきりとあること。

人間誰もがもっているであろう、美点を美しいと認めるあり方です。たとえば人をあやめたとしても、美しい旋律を奏でるピアニスト。類まれな演技力で魅了する女優。

その美点を正面から認め、賞賛するあり方は、何かしらの失態を犯した人を、それまでの功績も含めて真っ黒に塗りつぶす、昨今の風潮に否という態度そのものでした。
そういった世間一般的なスタンダードからかけ離れている主人公のあり方を見るにつけ、とてつもなく胸のすくような思いがしました。

それは人のしがらみや関係性、社会においての善と悪にまったく影響をうけない。美しいものは美しいという、シンプルさ。

自分が美しいと感じるものに対して、自分のあり方を貫く存在の仕方は、みていてなんとも小気味のよいものでした。
それは、主人公とは相反する結論を持つIQ300の女性においてもそうです。

未来のよき展望が見えない世界をゼロにするためにいとわない、はるかに高度な策略とハッキング、人の弱いこころを操り、いのちを奪うことに躊躇せず、淡々と一手を繰り出すありようは、
非道ながらもあまりにもまっすぐな美しい線のように思えるほどの一貫したものでした。

レビューを見ていて、事件のトリックやそれを暴いていく過程が、荒っぽいという感想も見かけましたが、個人的にはあまり気になっていません。
謎解きは(もちろん重要な要素ですが)ストーリーのエンタメの一部分にすぎず

このドラマを通してわたしが受け取ったのは

「自分以外の人間を一切信用せず、世界をあきらめのメガネを通して見て生きるか」
→絶望と破壊行動の発動

「自分以外の人間がもつ可能性と存在を信頼し、共に考えて起きる変化を信じて生きるか」
→あきらめず未来を信じて歩む力の発動

の対比です。IQ関係なく、この力は誰もがどちらも発動可能だということ。

自分の話でいうと、後者の人生を望むと同時に
本音を言えば、前者の世界観が自分の中にあることにも気づいていて
自分の奥深くで共鳴している心の動きを、どうすることもできず、今も眺めています。

これからもどちらも併せ持ちながら、生きていくでしょう。
自分がどう生きてどう死にたいのか
この先、どんな風景、世界を誰と見たいのか

自分に問いながら日々の選択を繰り返していくと思います。

このストーリーで受け取ったこの問いかけは
IQが高かろうが低かろうが
お金が潤沢にあろうがなかろうが関係なく、誰もが受け取れるメッセージだとわたしは思います。クライマックスに向かって急展開していく、IQ頭脳戦を通して、こういった思考の展開の片鱗を受け取れたのはとても幸運なことでした。
とにかく、忘れられない作品の一つとなりました。

脚本は、映画・ドラマ作品において、最重要のかなめだと私は認識しています。
この作品を執筆された泉澤さんに心からの敬意と感謝をお伝えしたく、思わずこちらにメッセージをお送りした次第です。

もちろん、俳優の方をはじめ、スタッフみなさまの総合的な創造物だとは重々承知していますが、それでも、この作品においての脚本の力を感じずにはいられません。
こちらのお問い合わせ先においては、お門違いな内容で恐縮に存じますが、お許しください。

本当に素晴らしいドラマをありがとうございました。
とにかく、これからも応援しています。


・・・といった感想文を、思わず脚本家の方に送るくらい、ハマってみてしまったというお話です。

画面にいるだけで、つきぬけた知性と美を体現している中谷美紀さんの素晴らしさよ。そして体を張るときにだけ、そっと優雅にメガネを外す仕草を、永遠に見ていたいと思わせる、完璧な執事っぷりのディーン・フジオカ氏...ときめきをありがとう。

追伸:この後、事務所の担当の方から丁重な謝辞のメッセージを受け取りました。ありがたき幸せ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?