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自然から教わったこと

今年5月に友人に誘われて登り始めた
高尾山。
今日で13回登りました。

高尾山ではその自然から
いろんなことを教わりました。

忘れていた心、
忘れていた視点、
忘れていた感覚…
忘れていた自分自身、
忘れていたあらゆる大切なもの、

全て自然から教わり、
この7ヶ月で
私は成長したと思います。

何より生きづらさが
次々と解消され、
ちょっとしたことにも感動し、
感謝できるようになりました。

その結果、
なんとも幸せな気分で
毎日を過ごすことができています。

効率を求め、効率的に動くことで
失われていくもの。

心の余裕、
自らの頭で考えること、
ちょっとした疑問に気づき、
考えること、
自分の直感、

早く動くこと、
時間を無駄にしないことで
やることに追われていた毎日。

それで時間ができるか?というと、
対して出来ないことに
気づかされました。

効率よく動くことで、
充足感を得られる時期も確かに
ありました。
でも、その欲はもっと、もっと
と増幅していき
終わりがないことになるとは
気づいていませんでした。

そしていつしか、
心が枯渇していき、
疲弊していく。
疲弊していく自分が弱いと
責めてしまうから
もっともっと落ちていく。
この悪循環が、
うつ病や自律神経失調症が増えている
原因ではないか?と思えるほどです。

商品(物)などで考えてみても、
効率良くできた物の価値は低い。
大量生産できるため、
おなじものでも価値が下がる。
壊れてしまえば他のものを
手軽に買って取り替えればいい。
ということは、お金の価値も下がる。

昔の風習が絶対にいいとは
言いませんが、
私たちは物の価値、人の価値など
現代の私たちは
大切にしなければいけないことを
忘れていっていることに
気づいていません。

物に対する価値観が、
人に対しても反映されているように
感じてしまうのは私だけでしょうか?

例えば、
できて当たり前と言われ、
もっと、もっと、と仕事の量は
増えていく。
そして、それをこなせなくなると
排除されていく社会。
交換がされていく。

これって誰の陰謀か分かりませんが、
世の中の流れが管理する人にとって、
しやすい方向に
進んでいるなと、
高尾山の自然に触れて
わかってきました。

対した価値がないものに
価値があると思い込み、
それを得るために
馬車馬のように働き、
疲弊していく。

そんな人生は私は歩みたくは
ないなと思いました。

今ある幸せが全て。
幸せは足し算ではなく、
引き算で感じられるものなんだと
今は感じています。

12月の寒空の中、
せせらぎに足をつけるということ。
一見、変態行動ですよね。
靴の中に窮屈に収まっている足を
靴を脱ぐことで解放し、
冷たい水につけて
ジンジンしてきた後に
また靴を履く。

そうすると、不思議と冷たさで
キュッとしまった血管が
一気に解放され、
血流が良くなり、
ポカポカしてきます。

今年最後のアーシング

昔でいう、荒療治ですが、

自然の力を借りて、
体を整えられます。

自然は自分の力では
どうにもなりません。
それなのに、私たちは
なんとかしようとして、
いろんな技術が発展してきました。

それは、それで
素晴らしいことですが、
一方でその代償は大きいものに
なっています。

でも自然の恩恵は
私たちはたくさん受けています。

水と空気と太陽と大地があれば
農作物は育ち、
私たちは生きていけます。

そう思ったら、
今の生活への執着が無くなりました。

自然を感じられる心、
いつまでも忘れたくないですね。


私たちも自然の一部ですから、
自然を忘れると言うことは、
自分を忘れることに等しいと思います。

1年の感謝を込めて、
頂上に到達した時、
その景色は私たちの全てを
包み込む景色でした。

ダイアモンド富士が見れたクリスマスイヴ

最後に、
こんな素敵な体験をするキッカケを
作ってくれた友人、
いつも事がうまく運ぶ様に
段取りを考えてくれる友人、
食べるものを分け合う
必要なものを必要な時に
提供しあう
温かい心をお互いに示し合い、
贅沢で価値のある景色を
一緒に堪能し、
その素晴らしさに一緒にため息をつく
その感動をわかり合えることが
何よりの宝です。

私に関わってくれて本当に
ありがとう!
素敵な一年のプレゼントです。
来年もどうかよろしくお願いします!

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