見出し画像

執着と数字の奴隷からの解放。

これまで私は自分の仕事に対して
使命感を持ってやってきました。
でも必ずいき詰まってしまいます。
いき詰まるということは、
どこかで何かが間違っているのだ
と今は思っています。

自分の体調や家族の体調が
芳しくない状態になって、
改めて、医療とも向き合うように
なりました。

そんな時、
使命感が執着になっていないか?
なんてふと、頭をよぎったのです。

私は社会に出て初めて仕事をした時には
アパレル業界に身をおいていました。

そこで、「ノルマ」という壁に
ぶち当たりました。
誰にでも課せられる数字。
この時、
「あー、こうやってずーっと
数字に縛られて生きていかなきゃ
ならないのかぁ」と
大人になっても私たちは
「数字の奴隷」なんだと
思いました。

その時は数字を達成することばかりに
目が向き、
そこに執着していたので、
接客していても私の焦りが、
私の発する言葉、態度に出ていたの
だろうと思います。
全然、ノルマを達成出来ずにいました。

あまりに成績が悪いので、
上の人から「給料泥棒」とまで
言われてしまいました。

その時は、
ノルマを達成出来ない自分が悪いと
思って自分を責めていました。

この時、私はそのブランドの服が好きで、
そのブランドのストーリーが
大好きで、就職しました。

だから、この私の好きなものと
共感する人を増やすことが
私の使命と思っていましたが、
いつの間にかノルマを達成することに
すり変わっていました。

そして体調不良を理由に辞めました。

次の仕事は数字の奴隷にならないもの、
いわゆるノルマが無いもの。
と思って、医療関連の仕事を選びました。 

医療業界…
ノルマはありませんが、
時間に追われる、
分量を間違えてはいけない。
命に関わることだから、
更なる緊張感で気が狂いそうに
なりました。

ここでも私は数字の奴隷になって
しまったのです。

そんな緊張感の中で働いていると、
他のことは自動運転したくなるものです。
つまり、「深く考えなくなる…」

ここでは、私にとって
数字は麻酔みたいなもので、
見えている世界に霧をかける。
おかしいと思うことも
霧がかかっていると、
ボヤっとさせるので、
こんなもんかと、疑問に思わなくなる。

医療業界に入ってから、
同期よりも遥かに知識をいれ、
エビデンスもわかった上で
働いていたつもりでいました。

当時は新人でありながら、
師長さんに間違えられるほど、
堂々と医療の知識を
ひけ散らかしていたのだと思います。

でも、
エビデンスって時代と共に変わるんです。
「それ本当に正しいの?
じゃあ、今までのはなんだったの?」
と思って混乱し始めましたが
今はこうだから、
そういうもんだと思って受け入れる。

考えて、調べる時間すらないくらい、
時間に縛られ、疲れ果ててしまう
環境だったので、

どこかで「何かが違う」と思っても
身動きが取れず、
結果的に自分でそのエビデンスの
正しさなんて調べもせずに
受け入れていました。

俯瞰して見ると、
医療の言いなりになって
本当にいいのか?と思うことも
今となっては多々あります。

見る目を養わないと
自分にとって何が適切で、
何が適切でないか見分けられ
なくなります。
その見る目を養うには、
自ら考え、他の意見もいくつか聞き、
また、自ら考え…を繰り返す必要もある。

私も医療は命を扱う場だから、
人的ミスも絶対に許されないと
思っていましたし、
お薬を飲んでいれば、
症状のコントロールはできて
楽になると信じ込んでいました。

現場にどっぷり浸かっていると、
人がやっていることなのに
絶対と決めつけること。
薬を飲んで副作用で他が具合が
悪くなる。
抗がん剤治療をしていた患者さんは
副作用が出ればそれだけ効いている証拠
なんて、思わされていましたが、
ちょっと考えれば
おかしなことですよね。

そんなおかしなからくりは、
気にすることもなく、
ただ、ただ患者さんの笑顔を
見たいという純粋な気持ちは
そのままで
仕事をしていた感じです。

これは
私の個人的な意見であって、
今の医療に対しての悪口ではないし、
否定するものではありません。

今の医療体制でも恩恵は受けているし、
治療してもらえるから、
症状がよくなったり、
軽減したりもしています。

私たちの生活にはないと困る業界です。

でもそれだけでは何の解決にも
ならないこともたくさん
ぶち当たってきました。

特に病院という場を離れ、
訪問での仕事をするようになった時、
世の中って病名がつかないと
優しくできない、
そんな特性があるんだなって思いました。

一般社会でもそうですよね。 
頭が痛いくらいで休むなんて…
熱がないなら出勤しなきゃいけない空気。
だるいだけではサボってるだけとしか
受け取られない。

病院でもそうです。
本当にひどくならないと病院側は
受け付けてくれませんし、
検査しても異常値が出なければ
気にしすぎ、メンタルのせいと言います。

保険診療での検査では、
本人が自覚している体調不良
全てがわかるものではありません。
いや、わかっていたとしても
検査結果というエビデンスに基づい
治療の選択肢がないと言ったほうが
表現的には、いいのかもしれません。

だから、病名がつかないものは
全て本人の思い込みみたいな感じ
(不定愁訴)で
処理されてしまいます。

症状として出ているのなら、
何かが、身体の中で起こっていると、
考えた方がいいです。
気のせいではありません。
自分の身体が悲鳴を上げているんだなと
思って休ませてあげる。

病気の8割~9割がストレスが原因と
近年では言われてきています。
できる限りストレスを軽減し、
体にストレスをかけない食事をし、
体を休める。

そうすれば、
大抵の病気は治ると。
自分の直感を信じて欲しい。
それをいろいろ突き詰めていくと、
自分の中に必ず病気になった原因、
生活習慣といった
改善した方がいい応えがあります。

でも、それを受け止めるところが
今の保険診療にはないんですよね。
かろうじて受け止められるのは、
自由診療と
メンタル領域となってしまうのです。

メンタルも受診すれば、
保険診療内でできること、
対処療法という形で
メンタルのお薬などが
出されてしまいます。

一時的にそれを使って気持ちが
落ち着くのであれば、それもよし、
なんですが…

大概の人はそれがないと不安になったり、
処方されるから飲み続けることになり、
薬が手放せなくなります。
薬への依存という副作用です。

医原病という言葉を知っていますか?
これは医療行為が原因で生じる病です。                                                         
薬が出れば薬の副作用っていうものが
ついて回ります。
アナフィラキシーショックで
命を落とすこともありますし、
ステロイド剤で肺炎を起こして
酸素を必要になるケースもあります。

手術をすれば、
免疫力の低下と感染症のリスクが
上がります。
創を負うことで関節などの
可動域(動かせる範囲)が制限されて
日常生活に支障が出るものもあります。

医療は投薬や手術をした方が
メリットが大きいのか?
デメリットが大きくなるのか?
で治療が検討されます。

そもそもそれで病気が
完全に治ると思わせるような
傾向が根付いています。
治療には色々な意味で
副作用というものが
ついて回ります。
いわば賭けみたいなものです。

でも、患者さん側は
治ると思ってしまう。 
だから、トラブルにもなるんです。

保険診療はファミレスの
メニューみたいなもので、
そのメニューにのっていない治療は
出来ないということなんです。

たまに機転のきくお医者さんは、
裏メニュー、賄いみたいな
治療法を出してくれますけどね。
ごく稀です。

患者さんの中には
「医者に匙を投げられた」と
落胆されている方もよくみかけます。

再度お伝えしますが、
今の医療がいけない
医者がいけないと
言っているのではなく、
私は医療を受ける側の意識を
もう少し変えていきましょうよと
言いたいんです。

自分の体のことだから、
医療に身を委ねすぎず、
自らも考え、自分の体をどうしたいのか?
自分で出来ることはして、
自分で出来ないことは薬や治療に頼る。
いまやネットで調べれば、
正しい情報も沢山あります。

なので、自分の体のこと、
はじめから自分で匙を
投げないでくださいね。

自分で匙を投げたら、
病院にかかっても匙を投げられます。

自分の体のサインに耳を傾け、
調べてみて
治療を希望するという意識になったら、
いいなと思っています。

私自身、病院に来た人は
治療するのが当たり前で
そこに疑問を持たなかった時は、
お薬をちゃんと飲むことや、
治療を継続するようにアドバイス
していくことが使命を全うしていることだと思っていました。

でも、今はそこに執着する意味が
わからなくなり、

今は執着と数字の奴隷から解放されて、
患者さん本人の体は何を求めて、
どうしたいのか?
に患者さん本人に気づいてもらうことが、
医療者として本当の私の使命なのかな?
と、いろんな気づきを経て思いました。

ある期間、自分が疑問に思う医療や治療を
患者さんに勧める立場にあること
にものすごく罪悪感を持ち、
自分が信じる身体のあり方を
伝えることで、
逆に患者さんを不安にさせてしまう
こともあり、

どうしたらいいのだろうか?
と悩み、
私のいる場所はここではない気がして、
辞めることしか考えていませんでした。

でも、今は上手くバランスを取りながら
やること、私がやれることに
フォーカスが向くようになりました。

執着と数字の奴隷…
今の社会に生きていたら、
付き物ですが、
本当にそれは付き物として
持っていなきゃ
いけないものでしょうか?

手放せないものなのでしょうか?
本当に?絶対に必要なの?
思い込んでいるだけじゃない?
と、今日も私は自分に問いかけます。





この記事が参加している募集

#転職体験記

6,482件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?