母というひと-094話
少し前のこと。
「あんた悪いなあ、わざわざO県から来てもろうて」
実家に到着した私を、母がねぎらう。
ガン、と頭を殴られた気分だった。
O県は母の出身地だ。私がそこに住んだことは一度もない。
「これから(母の)徘徊が始まるな」と父と不安を交わして二週間経つかどうかの時期から、母はいきなり「徘徊するひと」になった。それも数日に一度の頻度で。
困ったことに、徘徊の回数と反比例するように記憶が抜け落ちて行くものだから、自分が徘徊したことは片っ端から忘れてしまう。
遠いところから来てもろうてと繰り返す母に、「私が住んでるのはK市だよー」と平静を保ちつつ答えてみたのだが、全く思い出せない様子だ。
「はあ?あんたなんでそんなところにおるんね?」と目を見開くばかり。
「母さんも住んどったろ、昔?」
重ねて聞いてみたけど、「いやあ」と首を振られてしまう。「知らんなあ」。
夫(私の父)の存在を初めて忘れた時は、数十分ほどで記憶が戻ったと聞いている。けれどその日、母はこの世から出ていくドアを開けて、一歩踏み出したのだろう。
私の住んでいる地域を忘れた日は、とうとう、生まれ故郷以外で住んだことのある地名をひとつも思い出せなかった。
転勤族の夫について、九州一円から山口県まで、ほぼ毎年のように引っ越していたことも。
そして一生懸命、同じ場所の話をする。
「あんたの家の前の坂を上ったら、すぐに銭湯があるやろう」
「うちの家の前の坂を上ったら、すぐに銭湯があるんよ」
どちらも同じ行き先だ。
しかしスタート地点が違う。
自分で話していて、起点がどこかも分からない。分かっていないことに気づけない。
母は、父が寝ている時間や買い物に出ている隙を狙って、家を出るようになった。
行き先は生まれ故郷のO県B市。幼少期の辛い記憶がぎっしり詰まった場所だが、なんとしても帰りたいらしい。
普段はパーキンソン病の軽度の発症により、すり足で半歩ずつくらい進み、時間をかけて目的地へ辿り着く。なのに、徘徊する時はどんどこどんどこ歩けるようだ。
財布も持たず、時にはヨレヨレのパジャマのズボンをマフラーよろしく首にぐるぐる巻きつけ、大通りへ出てタクシーに乗り込んでしまう。
「O県までやってください」
運転手からすれば、どう見ても異常な風体で、まともに支払えるかどうかも怪しい老婆だ。
「5万円はかかりますよ」と返してみると、
「家に帰ったら着物がたくさんあります。それを売ったらお金になるから、それで払います」と母は答えたそうだ。
その場で警察を呼ばれ、付き添われて帰ってきた。
パトカーで送り届けられたこと3回、見知らぬ人に送ってもらったこと3回。それが突然ひと月の間に起こってしまって、父と私は頭を抱えた。
難しいのは、全てを忘れるわけではないために、本人がいつも自信たっぷりだということ。
「1人で出歩いたら危ないでしょう」と声をかけると、「何が危ないんかね。私はどこでも1人で行ける。じっと家におったら頭がおかしくなるわ」などと憎まれ口を叩くようになってきた。
認知症の症状の海は深くて荒くて、いつ何を思い出すのか分からない。母は木の葉の船のようなあやふやな乗り物で荒れ狂う海にぷかぷか浮いているようなものだ。
少しでも波が揺れれば簡単にのまれて何も分からなくなり、束の間の凪の瞬間だけ、正しい記憶がチラチラと浮かんで来る。まあ、すぐに沈んで行くのだが。
そして凪の時間が目に見えて減り続けている。今はもう、私の名前を呼ぶこともない。徘徊が始まった頃から、一度も呼ばれていない。
おそらく、名前は思い出せないのだが、私が母の娘だという認識はある。そして、困ったことがあったら真っ先に相談できる(もしかしたら唯一の)相手だと思っているのだろう。不安が高じた時にはすぐに電話がかかるようになってきた。
どこで見つけたか思い出せないのだが、<認知症の人の記憶は、一枚一枚の絵のように独立して存在している。時系列に並んでいるわけでもない。時には過去の絵と現在の絵が重なって見えていることもある。>という表現に出会って、思わず「これだ!」と叫んだことがある。いや出先だったから声には出さずに。
なんてうまい表現なんだろう。
書かれている事柄は深刻だが、ややこしい現象をすっきりとまとめて、誰にでも伝わる表現に仕上げているところがまた私の胸を打った。ライターならではのツボなのかもしれないが、早速、父にも伝え、2人で「うまいこと言うなあ」「いい表現だなあ」と感嘆の気持ちを共有して満足を得た。
2人とも間違いなく文章オタクだ(この本のタイトルを失念し、探しています。どなたかご存知の方がいらっしゃったら教えてください)。
だがもちろん現実はもっと泥臭い。
例えば、母が繰り返し訴えるようになった「着物がたくさんある家」だが、それがどの家を指しているのかが分からない。
前回、私に電話を掛けてきた時は、私の家にあると言っていた。
しかし、たちの悪い着物屋から丸め込まれて、着る機会もない着物を山ほど仕立て、ふた棹もの箪笥にぎっしり詰め込んでいたのは両親がいま住んでいる家だ。
最初、母が言うのはこれらの着物のことかと思ったが、タクシーに乗り込んだ一件を考えるとどうも違った様子が見えてくる。
父と結婚する前、貧乏でお金がなかった時に着物を質種にしていたという話を聞いたことがあるのを思い出したのだ。
その記憶が蘇っている可能性もなくはない。
それとも、母の母(私の祖母)の話をしているのか?いや、祖母の着物は売れるような代物はなかった。普段着ばかりだ……。じゃあ、自分が買った着物の記憶と、祖母の普段着が混ざった箪笥の記憶がミックスされて支離滅裂なことを言っているのか??
この辺まで考えて、私はすっかり疲れてしまう。
そんなことを追求したって意味はない。
正解は母の頭の中にしかなくて、誰も永遠に知ることはできないのだから。
***
全国で行方不明になっている認知症の高齢者の数は、年間1万7,636人と言う(2022年警察庁発表)。どうして彼らが家を出てしまうのかずっと疑問だったが、TV番組で専門家が「不安から来る行動」と説明しているのを聞いて合点がいった。
確かに母は、「ここはどこか」「横にいる人は誰か」「ここは自分の家ではない」「帰りたい」というようなことを言い始めている。
新しい記憶から失われるため、40年も暮らした家すら「知らない人の家」になってしまう。それは誰だって不安だろう。
そしてやおら立ち上がり、「(昔々に暮らしていた)安心して過ごせる我が家」を求めて家を出ていってしまうのだ。
一度などは、風呂敷に下着だけをぎっしり詰め込んで歩き続けていたそうだ。大事そうにその包みを抱っこして。
先日は昼間に電話がかかり、「Mちゃん(母の長兄)が帰ってこん。Kちゃん(次兄)に聞いたのになんも言わんで出ていってしまった」と繰り返し訴えられた。
その時は(ああ、幻覚が始まったか)と冷静に受け止められたので、母の頭の中を少し知りたいと思い、状況を問うてみることにした。
「Kちゃんは目の前におったん?」と聞く私に、母はしっかり「そうじゃ」と答える。
私「Mちゃんもその家に一緒におったと?」
母「Mちゃんはおらんのじゃ。出ていって帰ってこん」
私「じゃあ、Sさん(父の名前)はどこにいるの?」
母「Sさんが出て行ったんじゃわね」
私「SさんもMちゃんも家に一緒におったん?」
母「いやKちゃんだけがおって、Mちゃんが帰ってこんのじゃわ」
うーん、と思わず苦笑する。
私「Sさんはおらんの?」
母「Sさんが出て行ったんじゃわ。お風呂に行った」
私「Mちゃんはいつ出ていったん?」
母「20日くらい前じゃ。それから帰ってこん」
私「Kちゃんはいつ出て行ったん」
母「Kちゃんが出て行ったんじゃわ」
私「Mちゃんもいい大人やん。遊びに行っとるんやない?Kちゃんはどこにいったん」
母「お風呂に行った」
私「お風呂に行ったのはSさんやないん」
母「そうじゃSさんがお風呂に行ったんじゃ」
こうなるとループするので、口には出さずに仮定を立てた。
M伯父とK伯父が家にいるはずは、もちろんない。
母の脳内に、10代の頃の家の風景が湧き出てきたのだろう。
目の前にある現実の風景と、昔の記憶が重なって進行しているのだ。
おそらく父がどこかへ出かけ、その後ろ姿がフックとなって兄達を思い出したのではないか。
と考えると、最善の落ち着かせ方は、<父が帰るまで待たせる>ことだ。
よし、と試してみる。「Mちゃんの職場に電話して、働きよるかどうか聞いてみようか?」と提案してみたのだ。
母は、途端に明るい声を上げた。
「ああ、それがいい。それがいい。あんた聞いておくれ」と。
私は、「じゃあ電話するけん、家を出らんで待っとってね」と頼んだ。おとなしく家にいてもらうために釘を刺した形だ。
機嫌を直した母にホッとして電話を切った。母よりだいぶ年上のM伯父が定年退職したのは、30年ほど前だろうか?今、母は30年の時間を遡っているのだなと想像しながら、仕事に戻る。
しかし(やっと集中できる)と思ったのも束の間、数十分でまた電話がかかった。
「あんた電話してくれたんかね。待っちょるのに」
明らかに苛立った声だ。
(こういうことは忘れないよね……)とちょっとガックリ来る。
興味のない話題は秒で忘れてしまうのに。
「今は業務中で邪魔をしたらいかんけんね」となだめて電話を切る。また掛かる。その繰り返しの中で、とうとう私は、母を落ち着かせるためではなく、自分が仕事をしたいがために嘘をついた。
「今ね、外に出とるらしいよ。帰ってくるのは夕方みたいやけん待っとって」
これが良かった。
「そうね。外に出とるんね。じゃあ職場には行っとるんやね?じゃあ良かった。ああ良かった。ああ心配やった」と何度も何度も繰り返す。
「認知症の人の気持ちを落ち着かせるための嘘は、嘘じゃない」
これは自分が訪問介護の仕事をしていた時に言っていた言葉だ。
でもね……というご家族に対して理解を示したつもりでいたが、とんでもない思い上がりだった。
家族や相手のために言った言葉では傷つかない。
でも自分が楽になるためにつく嘘は、こんな小さなことなのに、チクリとした痛みを感じるものなのか……。
16時を過ぎて買い物から父が帰ってきて、騒動は終了した。
「今帰ってきたわ。良かった。あんた仕事の邪魔して悪かったね。ああ良かった帰ってきた」そう電話口でまくしたてる母に「良かったね、ほら大丈夫やったろ?」と合わせながら、口に出せない思いが溢れそうになる。
(一体、誰が帰ってきたの?)
母は誰の名前も呼ばなかった。ただ「帰ってきた。良かった」を繰り返すばかり。
私も尋ねなかった。
それが誰であれ、母は家族がいなくなったと不安に陥り、家族が帰ってきたと安堵したのだ。
それで十分ではないか。
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