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世界を置き去りに

今回は長い。

理由は2つある。

感動冷めやらぬから。
もう一つは、人様の名前を用いて書くのでよっぽど己で納得できる文章にしたいからだ。

これは嬉々あかりと、一冊の本との出逢いの物語である、、、

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6月頭、陽射しの中にひんやりとした風が気持ちいい正午だった。
私はヨガを終え、スッキリした身体で軽やかに向かいの図書館へ入った。

だいたい2週間に一度は、ヨガのあとにその図書館へ寄る。
古くって使えない図書館だ。本の数がま〜少ない!
だいたい最近のベストセラーは置いてないし、
調べ物をするにも昔の本ばかりで新しい情報は取り辛い。と、
長らく私はその図書館を舐めていた。

しかし、最近では「狭くて冊数が少ないからこそ、素早く良い出逢いがある」と感じている。
本との出逢いがスマートである点については、忙しい育児中の母親としては大変有り難い。

この日は、なぜかたまたま、いつもは通らない本棚の前を通った。
最近日記やnoteを書いていて、思うことがあった。
難しい語彙を使って、難しい文章を書く人しか、書き物はしてはいけないのだろうか、と...

私はご覧の通り、語彙量が少ないことが一つのコンプレックスである。
私が「読むのしんどいな..」と感じるような漢字やカタカナばかりが米粒のように詰まっている文章は、
書き得ないし、また自分も書きたくない。

文章の中でだけは、いつも正直に、本音で居たい。世間では横目で見られてしまうような自分の感情も、言葉の中でだけは、許してあげたい。
自分の主観や自分の中に存在する世界を抑え込まずに、認めてあげたい。
自分が読むたびに自分を自分でおもしろいと思ってあげられる、自分が何度も読み返してしまう文章を書きたいのだ。


そういうことを考えながら、その本棚の前を歩いていると、
『読みたいことを、書けばいい。』という文字が目に飛び込んで来た。

思わず、「え、いいの?!」と言いながらその背表紙に手を伸ばした。


パラパラと開いてみる。
いちいち文字がデカい!(笑)
文字が少ない!!
隙間時間に「どこまで読んだっけ?!」とならずに済みそう!気軽に読めそう!!

ただ、「文章術」と書いてある、、、
私は「こーしろ、あーしろ、これダメあれダメ」と書かれた本が苦手だ。
初めての子育ての時、育児本を読み漁ってとんと自信をなくした経験がある...
「あー私それも出来てない、これも出来てない、、つまり私はダメ母だ。」と、
本を読んで病んでしまった。
もうあのような経験はしたくない。テクニック系の本にはトラウマがある。

だがしかし、この本はまずタイトルからして私を肯定してくれている(と勝手に思い込む)。
そして最初に書かれている言葉が
「あなたはゴリラですか。」

いや、オモロすぎやろ(笑)

もうそこで否応なしに食いついて読み始めてしまっている自分が居た。


そして読み進めていると、「テクニックは必要ない」とか、「自分が読んで楽しければいい」みたいなことが書かれていて目から鱗だ。

私が日頃書いていて感じていることが全て「それでいい」と書かれている、、、
ほんとはこんなこと思う人は書いてはいけないんじゃないか、と思っていた。

まさか私と同じことを思う人が書くことを仕事にされている、、、
読んでいくうちにどんどん自分が肯定されていき、あーこれでいいんだ、と、納得の嵐と共に
自信となっていく。

決め手は(というかもう読むと決める前に読んでしまっているのだけれど)古賀さんの名前だ!
なぜか古賀さんの本に出逢う運命になっている古賀教の私は、古賀さんとのお知り合いの方が書く本なら、読んで間違い無いだろう、絶対おもしろいだろう、と確信した。

まーまさにいちいちおもしろい。
オチがおもしろい。一人ツッコミがおもしろい。
クスクス、ときにアハハッと、思わず声が漏れてしまうくらい楽しく、
本を読んでいるというより漫才を聴いてるかのよう。

バカバカしい言葉の中にも秀逸な文章もあり、そのギャップが魅力だ。それにそのギャップが飽きさせないおもしろみを出していると思う。
すごく頭のいい方だなぁと感嘆する。


私は仕事家事育児の隙間の数分や数十分を見つけて、読み進めた。
早く読みたい!早く読みたい!と、
読めない時間が恋人と離れている時間かのように感じながら、時間を見つけては読んだ。

これ、文章術どころか、自己啓発本じゃないか。
自己啓発本は嫌いだなどと著者は述べてらっしゃるが、これは間違いなくJKBである。


そして6月8日、ずっと笑いながら読んでいたのに、
泣いた。

私は来週誕生日を迎える。今年こそ一人でケーキを食べに行って自分を自分で祝う、というのが今月の1つの目標だった。
来週からは忙しく、時間が取れそうに無い。

この日子ども達を夫に任せた私は、一人でケーキを食べに行った。
ケーキセットなんて無駄でしかないものを頼むことはほとんど無い。
贅沢にもこの日はケーキセットを頼み、ケーキを一瞬で頬張った。
わたし、おめでとう。

39歳、39年間、私はずーっと自分探しならぬ"自分迷子"だ。
物語が好きな私は、いつも最初パッとしない主人公に自分を重ねてきた。
いつも周りに置き去りにされてきた。自分が勝手にそのように感じながら生きてきたのだが...
寂しい。いつも孤独だ。先月読んだタコジローなんてまさに私だ。

インスタを見れば映える母達...キラキラ女性起業家?そんなものは興味ない。
ただ自分が創るものに満足して生きられたらいい。自己満の世界が誰かのためになればさらにいい。
私からしたら映えてる人たちは田中さんのおっしゃるショウジョウバエでしかない。
がしかし、そんなバエたちに、自分が置き去りにされているように感じるのだ。

いつか物語の主人公みたいに最後大きなことを成し遂げ、パッとしたい。
そうなれると信じて、今は物語の渦中だと思い、毎日の小さな幸せを大切に生きよう。
そう思った。


夜、子どもらを寝かしつけて、またあの本に会いたくて、眠い目をこすって起き(だいたいいつも子どもらと寝落ちする)
続きを読んだ。すごい勢いで読んだ。

そしてもうあと少しで読了だ、という項に、その言葉は書かれていた...

「人生は寂しい。そして、人生の寂しさとは、誰かが何かをしている寂しさだ。友がみな我より偉く見ゆる日の寂しさ。世界が自分を置き去りにしていると感じる寂しさ。
それならば、自分が世界を置き去りにすればいい。だれもまだ知らない景色を、知らない言葉を、見つければよいのだ。その一瞬だけは、世界の寂しさに勝てる。
あなたが書いたものは、あなた自身が読むとき、たった1日だけ、あなたを孤独から救ってくれる。...」

その言葉を読みながら泣いた。

そうだ、私が文章を書く理由はそこだ。
孤独から救われるから。
自分を救いたいから書きたくなるのだ。

そして本を読むこともそうだ。
田中泰延さんのこの本は、私を孤独から救ってくれた。


自分の世界を言葉にしよう。
そして暗い部屋で一人、「あ〜..ええな」と言おう。

いつかこの文章が田中さんに届き、
「あー、こいつ、つまらんっ。」と思ってもらえれば喜びもひとしおである。

私の背中を押してくださり(勝手に押してもらった)ありがとうございます。

結局わたしはパッとしない人生が好みなのだと気付けた。
実際パッとしないが、文章の中でパッとさせて、一瞬でも世界を置き去りにできればそれでいい。


泣ける文章術の本、こんな本は唯一無二でしょう。
田中さんにしか書けない本。


田中さんのもう一つの著者、
『読みたいことを、書けばいい。episodeV帝国の逆襲』ならぬ『会って、話すこと。』も読んでみたい。
しかしいつもの図書館には置いてなかった。
やっぱりあの図書館は使えない。

田中さんの本にこれだけ励まされたのだから、敬意を表して1,500円払わせて頂こう。
コスパ良すぎでしょ。

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これが私とこの本との出逢いのストーリーである。
なんてことない話だ。ほんとは
「本を読んだ。」
「感動した。」
その2行で終わる話だ。
でも私は、この時の感情を記しておきたかった。私にとっては衝撃の出逢いだ。


...しかしだな、この本、開いたの私が初めかな?(笑)
綺麗に閉じている。誰も興味無かったのか…
仕事を奪われてはいけないから、それが田中さんの本望なのか(笑)
出逢えたことに感謝。

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