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私の部屋

私の部屋はそこそこ散らかっている。いや、あるべき所にあるべき物は置かれている。ただ少し物が多い。

実家のマンションの6畳の自室。すっかり使わなくなった電子ピアノの前に、段ボールが2つ積んである。

この部屋の真ん中に鎮座する段ボールは、去年の夏に詰められたものだった。私は男と暮らしていて、そして出てきたのだ。

上の箱にはメルカリに出した服が少し、下の箱は本がびっしりと入っている。片付ければいいのに、ということは言われなくても分かっている。しかし、これを片付けてしまえば一生この部屋から出られなくなるような気がしていた。

この段ボールに下着と服とを少し足して送ってしまえば、新たな生活が始まる。頭の片隅でそんなことを考えながら、部屋の間取り図を眺める日々が半年くらい続いていた。都心にアクセスのいい部屋、いや、空気の綺麗な海の見える街、遠く南の島だろうか。それでもなかなか答えは出なかった。



24歳。周りには結婚ラッシュの第1波が押し寄せている(嫌な言葉だ)。親戚の集まりに行けば「次はあかりちゃんね」と安易に言われる(嫌なものだ)。

この部屋に戻ってきてからというもの、優しくされるとすぐ人を好きになっては結婚ってなんだろう、などと考えてしまう。そんな時代ではないとは言われても、女はいつだってそんなものではないか。

映画を観れども本屋に行けども、「人生を変える恋」なんて言葉が目に留まる。私は本当に男に人生を左右されてばかりだった。そりゃそうだ、他人同士が身も心も1番近いところに入り込むのだもの。世の女性はそんなに自分をしっかり保てるのだろうか、といつも不思議でならない。


ちらと相変わらず部屋の真ん中に佇む段ボールをみる。

行き場をなくして目障りだった段ボールが、今はすっかり部屋に溶け込んでいる。存在すら忘れられてしまったかのように、静かにそこに居る。


自粛生活がいつの間にか2ヶ月も続いている。窮屈に思えたこの生活もすっかり馴染んでしまった。人と会えない、出かけられない、ないない尽くしに思えた非日常も、知らぬ間に慣れてしまうものである。

朝は連続小説で目を覚ませ、家中の窓を開けて風を流し込み、軽い食事を挟みながらパソコンに向かう。パン屋のバイトは週3程度、人との接触も私にはちょうど良いようだ。日が暮れる頃には三味線を弾き、遅くならないうちに唄をうたう。

外へ外へと目をやっていた生活は、自然と身体から抜けてしまった。あらゆる欲というものをすっかり忘れている。


ふと、ほとんど寝るだけだったこの部屋は、やさしい西日が差し込むことを知った。



そのお金の使い道エピソード、感謝を込めて書かせてください。