あかり

24歳、まとまらない人。2020年5月16日から

あかり

24歳、まとまらない人。2020年5月16日から

最近の記事

思えば遠くに

思えば遠くに来たものだ。 瀬戸内海に浮かぶ小さな島で暮らし始めて、早くも2ヶ月が過ぎた。 好きな人の近くに行こうとぼんやり思いながら、先に転職先が決まってしまい、あれよあれよと移住をしてきた。都内の実家暮らしとはまるで違う島の暮らしは、驚かされることばかりだった。とはいえ、2ヶ月も経てば、自分の中の「あたりまえ」も更新され、すっかり日々が馴染んできた。 少し前まで、可愛いフラットシューズとイヤーカフに凝っていたのに、今は”ゴアテックス”に夢中である。ちょっと買い物、とい

    • お久しぶり

      この頃、恋が日々の愛へと変わった。それが、お久しぶりの言い訳である。 好きな人が、心が一番近いところにある人となった。 彼は決して完璧な「理想の人」ではない。彼のどうにかならないかと思う部分を挙げれば、今思いつくだけでも5つはある。人が思う「理想の人」ともちょっと程遠いかもしれない。 それでもいい。他の誰も代わりはいない。 そして、彼にとって私もそうなった。ようだ。 恋人とは不思議なものである。恥ずかしいことも、どうでもいい些細なことも、けらけらと笑って喋りたくなる。

      • 好きな人

        好きなタイプは?と聞かれると、明確なイメージが沸かない。仕事とか顔とか、年齢にも特にこだわりがない。ただ、今まで好きになった人を思い出すと、ひとつだけ共通点があった。 「きちんと自分の生活や世界を象っているけれど、埋められない寂しさを隠していて、その隙間を一瞬私に見せた人」 そんな瞬間が、彼らにはあった。 私は誰かに必要とされたかった。いつだってひとりぽっちで自信がなかった。似たもの同士だろうか。いつも明るいふりをした寂しがりやの私は、ありったけの優しさを必要としてくれ

        • 大人になる

          時々、ふとしたきっかけで何年も会っていない同級生と出掛けたりする。今時のことだから、そのきっかけというものは大体がSNSだったりする。「これ気になる!」なんて文字と一緒に投稿した写真に反応があると、「行ってみない?」と言葉をかけてみるのだ。 思えば、共通の友人が多いが同じクラスにはなったことがない、何でフォーローしあったかは覚えていない、という具合だったりする。それでも同級生という事実だけで、懐かしい心地よさがある。 そんな同級生と美術館に行った。高校の卒業式振りの再会で

        思えば遠くに

          まっしろの日々

          まっしろの日々が少しだけ色づき始めた。 予定帳に少しだけ文字が書き入れられた。 半年前の真っ黒いページとは程遠いけれど、私はとても嬉しくなった。 人と会える予定が2つ。 人のお誕生日が1つ。 バイトがいくつかと、提出物の締め切りいくつか。 あとは、見たい映画の公開日と美術館に行きたいな、という予定。 それだけ。 年頃の大人らしくはないけれど、私はとても嬉しくなった。 決められた日々には余白が必要だった。 「仕事がある」「予定がある」という安心感にしがみつい

          まっしろの日々

          夢日記

          ある下宿にいた。 半地下で薄暗く、奇妙な気配をそこ彼処に感じる。廊下には妖気を帯びた虫のようなものが転がり蠢いていた。 私は何某かの修行をしていて、着物姿の女たちに深々と頭を下げて1日を終えたところだった。 暗い階段を降り、手探りで部屋のドアノブへ辿り着く。 狭い自室の小さなオレンジ色の灯を点けると、たちまち心が穏やかになった。廊下の人か何かの気配が無くなる。やっと胸を撫で下ろし、結いた髪をゆっくり下ろした。 もう真夜中だろうか。 埃っぽい灰色のカーテンへ手を伸ば

          ネット生活に思うこと

          今日はですね、驚きの通知に心弾む朝を迎えた訳です。 先日アップした「本の贈り物」という記事 こちらで取り上げた『心地よさのありか』というエッセイの著者、小川奈緒さんからコメントとスキをいただいてしまいました。 読ませる文章には程遠いアカウントながら、「noteやってみてよかった・・・」と目を閉じてしばし喜びに浸りました。 そうして思い入れがさらに強まった1冊が本棚にある、たまりません。 この3ヶ月、人との関わり方の大半がインターネットの中に収まりました。 「会いた

          ネット生活に思うこと

          夢日記

          真夜中、上海あたりの路地裏を走っていた。 背後から追ってくる黒い服の男の気配、拳銃を構える音が聞こえる。一緒にいた友達は足が早くて、だいぶ前の方からこちらを振り返る。わっと叫びかけた時、私は左腕に違和感を覚えた。黒っぽい血が滲む傷口を手で抑え、建物の影へと走り抜く。 痛みはあまりない。何も感じない。恐る恐る手を離してハンカチで汚れを拭うと、そこには綺麗に空洞になった腕の中が見えた。 直径5ミリほど、肌色の銃弾の通り道が細く伸びているのである。血は流れていなかった。元から

          夢日記

          優雅な生活

          アズミハルコはこう言った。 「優雅な生活こそ最高の復讐である」 スペインの諺らしい。 男に縋ったり依存したり、分かっちゃいるけど女の癖のようなもの。無償の愛で信じても、あっけなく裏切られたりする。あたり前のように。 そうだよ。自分が消えたって、あの人はすぐに忘れるだけ。 でも、「フランス人と結婚した」と噂を聞けば、ぐうの音も出ないのだ。 あほらしい。 優雅な生活って、インスタなんかに溢れている。 旅行三昧で美味しいお寿司を見せびらかして、財布も入らないレディデ

          優雅な生活

          本の贈り物

          帰り道、本棚のある近所の雑貨屋さんに寄ってみたのです。 本当は、スマホのケースとサンダルとかわいいバッグを探していて、ちょっと覗いてみようという気だったのです。 けれどもこの頃の癖で、本棚というものは何がなんでも端から端まで目を通さなければ気が済まないもの、どうにも止まりません。 美しい絵本、気になる題名、中身の想像できない変わった装丁・・・ 気づけば2冊の本を腕に抱えていました。 稲葉俊朗さんの『いのちを呼びさますもの』 こちらは少し前にも古本屋で出会い、その時

          本の贈り物

          クラシノウタ

          必要なもの 多くは持たず 決して時間に振り回されず ボロボロの服もおかまいなしで 人の目などに惑わされず 間違ったことは素直に認め 人の悲しみに寄り添い歩き 笑う顔には光が溢れ 涙はまっすぐしたたり落ちる 悩んで笑って日々は過ぎてく そういう私になりたいの mountain mountains 『クラシノウタ』より この歌に巡り合った。 色々と思うことの多い日々の中、「そう。ただ、そういう私になりたいの」とピンとくる。 誰だって思うようにいかないと、

          クラシノウタ

          コーヒーは人に淹れてもらった方がおいしい

          「コーヒーは人に淹れてもらった方がおいしい」 『かもめ食堂』という映画の中に、確かこんなセリフがあった。 昨日の買い物の帰り道、営業を再開したばかりのカフェを見つけた。途端に重たい荷物と足取りを忘れ、すーっと吸い込まれた。蒸し暑い昼下がり、「アイスコーヒーをひとつ」と迷わず注文する。 丁寧に注がれたアイスコーヒー、思わず恍惚と眺めてしまう。 そういえば、カフェや喫茶店に寄るのは2ヶ月ぶりではないか。私は喫茶店には目がない。はたまた、スタバや上島珈琲、猿田彦といったチェ

          コーヒーは人に淹れてもらった方がおいしい

          私の部屋

          私の部屋はそこそこ散らかっている。いや、あるべき所にあるべき物は置かれている。ただ少し物が多い。 実家のマンションの6畳の自室。すっかり使わなくなった電子ピアノの前に、段ボールが2つ積んである。 この部屋の真ん中に鎮座する段ボールは、去年の夏に詰められたものだった。私は男と暮らしていて、そして出てきたのだ。 上の箱にはメルカリに出した服が少し、下の箱は本がびっしりと入っている。片付ければいいのに、ということは言われなくても分かっている。しかし、これを片付けてしまえば一生

          私の部屋

          好きなことを仕事にする

          ここ最近のニュースを見ていて思うことも色々ありますが、好きなことを仕事にするってめちゃくちゃ大変なことではないかな、と考える訳です。 私は高校卒業をした後、好きなことを仕事にしました。約5年間勤め上げて、契約満了のようなタイミングで廃業しました。 その間、周りの流れや大人の期待に答えて進学や就職をした友人、日々接する「好きではないが安定した仕事」をこなす人には、よく「あなたはいいよね」と言われたものです。 「そうですね、私は幸せ者です。本当にご縁に恵まれました。」 と

          好きなことを仕事にする

          パン屋さんで働きはじめました

          こんにちは。 毎日3つも4つも記事を投稿していた割には、何もしない日が2日続きました。と言いますのも、最近新しいアルバイトを始めました。 パン屋さんです。 今までの仕事が3月から途切れ、フリーでしていた仕事もお休み状態の頃のこと。家でひたすら過ごすことにも疲れてきた私は、近所のパン屋さんでアルバイト求人の張り紙を見て、思わず「今も募集はされていますか?」と声を掛けたのでした。ほんの出来心です。 こんな状況下でも丁寧に対応をしてくださり、雇ってもらえるとは恵まれています

          パン屋さんで働きはじめました

          今日の躁鬱大学

          坂口恭平先生の躁鬱大学、もう16日目になるのですね。 珍しく日中に受講、本日も収穫の多い講義でした。 躁鬱人って、人と接する仕事がやはり向いているのですよね。人に喜ばれることを提供するのは、何故だか得意です。以前、ホテルのサービスマンをしていたことがありましたが、(坂口さんも経験者と知り、まじか!となりました)とにかく毎日が全力で、うまくいっていたものです。 なぜなら、人に好かれたい認められたい気持ちが、そのままサービスに反映されるからですね、きっと。披露宴会場の担当に

          今日の躁鬱大学