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お久しぶり

この頃、恋が日々の愛へと変わった。それが、お久しぶりの言い訳である。
好きな人が、心が一番近いところにある人となった。

彼は決して完璧な「理想の人」ではない。彼のどうにかならないかと思う部分を挙げれば、今思いつくだけでも5つはある。人が思う「理想の人」ともちょっと程遠いかもしれない。

それでもいい。他の誰も代わりはいない。

そして、彼にとって私もそうなった。ようだ。

恋人とは不思議なものである。恥ずかしいことも、どうでもいい些細なことも、けらけらと笑って喋りたくなる。誰にも言いたくないことを打ち明けたくなったり、好きだからこそ知られたくない過去もある。

過去の恋愛と比べて今の幸せを噛みしめたりして、それを大声で喜び讃えたいのを、必死に堪えたりもする。嫌な癖のようだけど、決して誰かと彼を比べる、という訳ではない。その頃はその頃できっとこの上なく幸せで、今幸せがひとまわり大きく更新されていることを喜びたいのだ。


マリー・ヴェッツェラは歌っていた。
「愛を知って人は強くなるの」

私は弱くて自信がなくて逃げてばかりの人間だけど、愛を知っている間、その痛みを忘れることができる。忘れてしまえば、不思議とこころは強くて、何も怖いものがなくなる。それは、今日の終わりに電話を鳴らせば、彼と一緒に眠りにつけることを知っているからだった。


些細なすれ違いがあると、たちまちそのこころは弱いものへと魔法が解けてしまう。駅のトイレで泣いたり、何にも手につかなくなったりして。本当にどうしようもない。

でもその弱さはどん底ではなくて、元の自分の立っている場所を思い出しただけのことであった。どん底だと思った瞬間、暖かな愛だったその関係は、たちまち依存という鎖になってしまう。

言葉を探す、声にする、想像する、誰だって難しいことだろう。日頃まわりに頭を下げられて、できる大人と言われていたって、一対一でそんなに器用な人間はいない。若い学生もおじいちゃんも、大して変わることはない気がする。

ただ、あの人を思い出すだけで、笑ったり怒ったりする。

それだけで今は十分なのだ。

そのお金の使い道エピソード、感謝を込めて書かせてください。