あかり

主イエス・キリストのフォロワー。 あなたを愛される神様の恵みをシェアします。※聖書は新…

あかり

主イエス・キリストのフォロワー。 あなたを愛される神様の恵みをシェアします。※聖書は新改訳2017を使用

マガジン

  • 神様の恵み(証)

    仕事や経験を通して与えられた神様の恵みを振り返ります。

  • 蒼月夜空(聖矢)

    主の恵みをわかちあう蒼月夜空(聖矢)の話をまとめたマガジンです

  • 突然!隣のクリスチャン

    クリスチャンたちの証、つまりイエス・キリストの話をまとめました。

  • Webライターの歩み

    2020年8月よりフリーランスでライターを始めました。超スローペースな歩みの今をお伝えします。誰かの励ましになれば幸いです。

最近の記事

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自己紹介~神を信じるようになって

(2021年11月23日更新) 私は大学生の時に聖書に出会い、人生が激変しました。 しかしキリスト教にはこれまで全く縁がありませんでした。この記事では自己紹介も兼ねて、生い立ちから最近までの、聖書を信じてどう変わったかをご紹介します。 ちなみに、救われたきっかけは自己啓発です。「私はできる」と連呼するセミナーに限界を感じました。同じ疑問をお持ちの方、聖書に興味がある方など、参考になれば幸いです。 1. 幼少期幼い頃は学ぶことが本当に大好きでした。その頃の日課は、日めくり

    • 心配からの解放

      ライターの仕事をさせていただいた時、何をどう書けばいいかわからなくなって重荷を抱えていた時がありました。 しかし、おかげで書くプレッシャーから解放され、もっと楽に肩の力を抜いて書けるようになりました。 今日はそのことを分かち合いたいと思います。 私は書くことが好きで、昔から日記を書く習慣がありました。 成長した時に、ライターとしての道が開かれ、Amazonの商品紹介の説明文を書く仕事に就けました。 Amazonの商品紹介の説明文は、商品の魅力を短いことばで伝えるのが

      • 時間という名の奇跡

        時間というのは、あなたか神様に祈り求める中で最もすぐに与えてくださるものだ。 例えば、「祈る時間をください」と神様に祈ったとする。 多くの人が、ずっと後になってまとまった時間が与えられると思うかもしれない。 急に仕事が休みになったとか。 しかし、時間をくださいと祈る時に、既に「祈る時間」が与えられている。 神様を想う時を求めたら、求めている瞬間に「神様を想う時」が与えられている。 聖書を詠む時を求めたら、求めている瞬間に聖書を与えられた「神様を知る時」を与えられて

        • イエスとともに聖餐式に出たいと望んだ人の話

          ある人が願った。 聖餐式に出たいと。 聖餐式とは、イエス・キリストが十字架でなさったことを記念するものである。 パンはイエスの身体を、ぶどう酒はイエスの血を象徴している。 その人は食卓に食事を用意し、眠りについた。 目が覚めると、扉からノックする音がした。 「入るよー?」 イエス様がノックして入ってきた。12弟子、パウロ、バルナバ、ルカ、アキラとプリスキラ、アブラハム、イサク、ヤコブ、サラやリベカ、ラケル、レアたちも一緒だった。 食卓では豪華な食事があった。

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        記事

          正しさよりも楽しさを

          金曜の夜に混むファミレスのような場所に行くと、自分を見つめ直す機会となる。 店内を見渡せば、いろんな人がいる。 キャッキャとはしゃぐ学生、 子どもがいる家族連れ、 あまり話さない男性同士の客。 そして、その中で一人思い詰めた顔をする私。 頭の中で、私はたくさんのことが頭に浮かぶ。 昔の思い出や、ありもしない未来。 ・・・基本的に明るい想像が出てこない。 しかし周りを見渡せば、実に楽しそう。 たくさんの笑い声が店内に響いている。 どこもかしこも、話が弾んで

          正しさよりも楽しさを

          神様からのプレゼント

          時間が経っても癒えていない傷というものはある。 そして、ふとした時に「自分にもそんな傷があったんだ」と、過去の傷とご対面することもある。 自覚もなく、見ることもできなかった20年前の傷に、神様が出会わせてくださったお話をしようと思う。 傷のきっかけ ある人が言っていた。 人間の悩みは過去か未来にあると。 つまり体はここにあるが、心は過去か未来にあって、それが悩みの正体だって。 私は最近、急に休まざるを得なくなって、約半年ぐらい魂の抜けたような状態になっていた。

          神様からのプレゼント

          わからなくていい。

          noteを開くと以下の記事が目に留まった。 これは、行動のススメだ。 何が正解かなんてわからない。だから正解を探して悩むより、やること全部正解と思って行動しよう、と言っているように思った。 最近私はわかりやすく失敗し、半年強、日々自分を責めた。 今までも、絶えず自己否定し続けてきた。 でも、何が正解かなんてわからない。 何が神様の思い(御心)かなんてわからない。 失敗しない人生はない。 あの時どうすればよかったかなんて、考えたところで答えはない。 だから、わ

          わからなくていい。

          神様に信頼する

          昔、神様に祈って仕事を決めたことがある。 リラクゼーションセラピストだ。 当時は「人に仕える」という漠然としたイメージを与えられ、勢いのままリラクゼーションの仕事に就いた。 面接の時、教会に行きたくて日曜休みを希望した。 面接官からは週2程度なら休めると言われたが、実際は店舗異動なども重なり、ほぼ日曜日は休めなかった。 私は求めた。 「どうかこの仕事のまま、日曜日が休めますように」と。 接客業で日曜日の午前中を休みにするには、いくつか方法がある。 その内の一つ

          神様に信頼する

          生きていることが神様の恵み

          本当にしんどい時は、誰からの話も聞きたくないものだ。 褒め言葉もいらない。 心配してもらわなくていい。 何も考えられない。 イラナイ。 そんな時、私はただベッドから天井を見上げることしかできなかった。 ふと横を向くと、外の景色が目に入った。 天気がよく、カラッと晴れている。 木に太陽の光が当たり、奥の竹はゆらゆら揺れている。 外の景色をぼーっと眺めていると、たくさんのことに気づく。 木の葉の一つひとつは、同じようで向きが違う。 光の入り方も、全部同じでは

          生きていることが神様の恵み

          神様の恵みはその時その時に与えられる

          最近の彼のことばをまとめました。 世界のどこかにあなたと祈りをともにする者がいる 一人だと思う時、実は一人じゃない。聖書には「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。(ローマ11:36)」とある。 人は神によって造られた。 そして人となってこられた主イエスが、神と人との間の仲介者として、今も天でとりなしておられる。 だから祈る時、祈る人→イエス→父なる神 と、主イエスを通して祈りが父なる神に届く。 私たちが祈る時、世界のどこかで誰かが祈っているかも

          神様の恵みはその時その時に与えられる

          2日連続の投稿、またnoteのフォロワーさんとのつながりにより、たくさんの人に記事が届いているのは嬉しい。 また新しい出会いも与えられて感謝。

          2日連続の投稿、またnoteのフォロワーさんとのつながりにより、たくさんの人に記事が届いているのは嬉しい。 また新しい出会いも与えられて感謝。

          ずっと書きたかったことが書けた話

          先日noteで、こちらの記事が本日のおすすめに出てきた。 ここ半年の出来事をずっと書きたいと思いながら、書けない日々が続いていたので、そのまま2.3記事読んで公式LINEに登録した。 おすすめの記事も、公式LINEも、どちらも情報発信の大切さが書かれていた。 書き続けることで、こんなにも変わるのかと驚いた。そして、短い文章でも投稿して良いんだと、自分に丸が出せた。 そしてなんと、感想を伝えたら、ご本人がFacebookやnoteで私の感想をシェアしてくださいました(´

          ずっと書きたかったことが書けた話

          神様に心を向け続ける祝福

          どんな仕事をしたらいいかわからなかった時、神様が人を通して「神を優先できるならどんな仕事でもいいじゃない」と教えてくれた。 本当の本当は ――、そんな生き方を望む私たちの背中を、神様は押してくれたようだった。 結果、事務職の仕事に就いた。 といっても、人数の関係で実質データ入力。紙の情報をデータに打ち込むお仕事だ。 だからもちろん、頭も使わない。 難しくない単純作業。 これが良かった。 頭を使わない単純作業のため、何を考えても自由だ。 何なら頭の中でずっと歌を歌い

          神様に心を向け続ける祝福

          わたしが自分を嫌いでも

          私が自分を呪っても、 主はすでに私の代わりに呪われた者となってくださった。 わたしが呼ぶ時 主は呼ぶ前から聞いておられた。 わたしが祈り求める時 主は私が祈る前からすでに最もよい導きと備えをしておられた。 人は目に見えるものを見て、 あれがほしい、これがないと言うが、 主は私たちが求める前から既に与えておられる。 わたしは、ある。 という神が、 あなたと、また私とともにおられる。

          わたしが自分を嫌いでも

          神としてのあり方を捨てられないとは考えず

          聖書を詠んで思ったこと2:6「神としてのあり方が捨てられないとは考えず」が心に留まった。 人が友のために死ぬ。これよりも大きな愛はない。 と聖書にはある。 上記の箇所から、愛とは、喜んで相手のために苦労を負うことであると思った。であるなら、神が神としてのあり方を捨てられないとは考えなかったのも、一重に愛によること。   最近を振り返って私はどうか?自分の考え、プライドに凝り固まっていないだろうか。 自分を正当化して相手を裁いたりするなど、自分を守ることに必死で柔軟

          神としてのあり方を捨てられないとは考えず

          書くことが好き?

          仕事でライターをしていたら、周りから当然「あなた=書くのが好きな人」と見られる。自分でも公言していたので当然である。 しかし「書くのが好き」と言う度に、本当に好きなのかといつも自問してしまう。 私にとって書くことは、自分を表現できる唯一の場所だった。 頭に思い浮かんでくる思いを、ただ吐き出して知るための手段。それが書くということだ。 しかし、書くことに焦点を合わせると書けなくなる。 なぜなら書くことは、伝えるための一つの手段に他ならないから。 だから 書くのではな

          書くことが好き?