神様からのプレゼント
時間が経っても癒えていない傷というものはある。
そして、ふとした時に「自分にもそんな傷があったんだ」と、過去の傷とご対面することもある。
自覚もなく、見ることもできなかった20年前の傷に、神様が出会わせてくださったお話をしようと思う。
傷のきっかけ
ある人が言っていた。
人間の悩みは過去か未来にあると。
つまり体はここにあるが、心は過去か未来にあって、それが悩みの正体だって。
私は最近、急に休まざるを得なくなって、約半年ぐらい魂の抜けたような状態になっていた。
時間があると悩んでしまい、過去のことがいろいろと思い浮かぶ。
そうして悩む中で、結果的に過去のいろんな傷を見ることができた。
傷の正体
過去の傷の中で一番心に残っていたもの。
それが「感情を持つことを禁じる」というものである。
当時小学生だった私は明るかったが、笑ったり意見を言ったりするといつも睨まれ、クラスの中で独りになった。
今思えばただの理不尽である。
そうして親に助けを求めても学校は休めない。
学校で過ごす内に、自分には価値がないと本当に思うようになり、心のおもむくままに動くことを禁じた。
目的地まで何歩で歩かなければならないとか、
ご飯をおかわりしたいなんて、言ってはいけないとか。
そんな中で、家での喧嘩を目の当たりにすることが多くなった。
「逃げたい」と思う自分と、
「逃げてはいけない(お前にそんな権利ない)」と思う自分がいる。
結果、心を守るために「逃げたい」気持ちを体から分離させ、嵐がおさまるのを待っていた。
どのようにして気づけたか
以下の記事が目にとまって、詠んでみた。
私もまた、自分を否定する鬼軍曹のような自分がいることを、はじめて知った。
今は今で違うストレスがかかって限界だったたので、もう過去の「約束」を手放したくなった。
つまり、感情をそのまま受けとることを自分に許可した。
声に出して許可しますと言ってみた。
そしたら途端に元気になった。
同時に、心を切り離した時に自分がどう思っていたのか、知ることができた。
「私が何をしたって言うんだ!!!」と学校での出来事に激昂する姿。
あるいは両手で耳をふさぎ、泣いておびえながら「もう聞きたくない」と言う姿。
20年経って、私は幼いわたしと はじめて 出会えた。
思い込みからの解放
些細なことをきっかけに「愛されていない」と思うと、自分の思い込みが正しいと錯覚してしまう。
やがて私は、
愛されていない → 自分には価値がない → 感情を持ってはいけない
と思い込んだ。そうすることで、いろんな理不尽に耐えようとした。
これは当時、学校や家の中で生きていくための手段。
誰にも話していない、神様しか知らない話。
でも20年経ってはじめて、幼い私がどう思っていたか知れた。
そして幼い私に、今の私から伝えてみた。
「あなたは愛されているよ」と。
自分を否定したことは、あなたのせいじゃない。
人間はもともと自分勝手にしか生きられない生き物なんだ。
自分を愛そうとしても愛せないのが人間なんだ。
そんなあなたを縛る束縛(自分勝手さ)を背負い、あなたのために死んで復活し、あなたを自由にした神様がいる。
このイエス・キリストっていう神様からのプレゼント受け取るなら、あなたは本当に生まれ変わって、ずっと神様と一緒に生きられるんだよと。
すると幼い私が「信じたい」と言うので、「イエス様を受け入れます」と一緒に祈った。
そして幼い私が「戻りたい」と言うので、大人になった私は彼女を受け入れた。
やっと私は、本物の自分になれた。
神様からのプレゼント
どうしようもなく追い詰められないと向き合えないこともある。
壁にぶつかったことで私は知らなかった傷を知れた。
そうして20年前の自分と和解できた。
神様を信じた大学生の時から、神様は私を助けたのではない。
私は神様を信じるまで、見放されていたのでもない。
実に、生まれる前から私たちを知っていて、今に至るまでずっとプレゼントを与えてくれていたんだ。
今回の場合は、自分で思い込みに気づいて傷を手放せるようにと。人との出会いとか気づきとか試練とかを通して。
そして時が満ちて、今この瞬間に傷があることを教えてくれた。
向き合う時間と環境を整えてくれた。
私が苦しみに遭うようにと、神様がわざとプログラミングしていたとは思わない。
もらったプレゼントをどうするか、決める自由が人にはある。
しかしどのような原因であれ、苦しみによって傷に向き合えたのなら――。
今なら、この苦しみもまた、神様からのプレゼントであると言えるだろう。
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