神様に信頼する
昔、神様に祈って仕事を決めたことがある。
リラクゼーションセラピストだ。
当時は「人に仕える」という漠然としたイメージを与えられ、勢いのままリラクゼーションの仕事に就いた。
面接の時、教会に行きたくて日曜休みを希望した。
面接官からは週2程度なら休めると言われたが、実際は店舗異動なども重なり、ほぼ日曜日は休めなかった。
私は求めた。
「どうかこの仕事のまま、日曜日が休めますように」と。
接客業で日曜日の午前中を休みにするには、いくつか方法がある。
その内の一つ、店舗異動が現実味を帯びてきた。
「もう少しで異動できるかもしれない…!」
実現しそうになった時、突然異動の話はキャンセルになった。
なぜ。。。
私は相変わらず「この仕事のままで日曜日が休めるように」と祈り求めたが、どの選択肢も実現できそうなタイミングでダメになる。
まるで神様が扉を閉ざしているみたいだった。
そんな時に教会に行くことができ、
「神様はどんな者でも用いることができる」
というメッセージを聞いた。
キャリアや日曜休みといった自分の計画は崩れた。今さら何の希望もない。そんなゴミのように腐った私でも、どうやら神様は用いることができるらしい。
じゃあ、あげるよ。こんな奴。
投げやりで、神様に自分のすべてを明け渡した。
思えば、私は二兎を追っていた。
・神様を礼拝するために日曜日を休みたい
・でも今の仕事は辞めたくない
両者は同時には実現しない。
そして何より神様が、退職に導かれている気がする。
聖書にはこうある。
食べ物や着るもの以上に、神様に信頼することが大事とある。
しかし私の心は、
①神 ②仕事 ではなく
①神 ①仕事
となっていた。
そして、私を愛された神様に祈らず、自分の計画が叶うようにと神様を利用していた。
そんな時に、他のクリスチャンから
「自分のこだわりを捨てないと祝福は受け取れない」と教えてもらった。
そして様々な方法で、自分の計画を捨て神様の計画に信頼するようにと励まされ続けた。
主に信頼し御言葉に従った時、私はキャリアを失った。
社会人2年目だった。
主に信頼し御言葉に従った時、私は生計の手段を失った。
来月からどうお金を工面したらいいかわからなかった。
主に信頼し御言葉に従った時、私は自分のやりたいことを失った。
主に信頼し御言葉に従った時、私は自分を信頼する生き方を失った。
しかし主(神様)は不思議な方法で、すべてを与えてくださった。
①お金
当時コロナ禍であり、個人事業主向けの給付金があった。
なんと、私も給付金を受け取れるらしい……!
リラクゼーションセラピストの仕事も、契約上は個人事業主だからだ。
全国民一律給付の支援金なども含め、退職後に受け取ったお金は、のべ250万円。
1年遊んで暮らせるお金だ。
②仕事
ゆっくり今後のことを考える中で、改めて「神様のために生きたい」と思った。
そんな仕事を求めて祈っていたら、教会の牧師からライティングとナレーションをお願いされた。
やってみると、今まで味わったことのない楽しさで、これを仕事にしようと決めた。
③ロールモデル
退職を後押ししてくれたクリスチャンから、YouTubeの動画編集をお願いされた。
私は彼女と関わっていく中で、信仰やフリーランスとしての生き方を教わった。
主はお金と仕事とロールモデルを、事前にすべて備えてくださっていたのだ。
主イエス・キリストは、今日も変わらぬ愛であなたを愛し導かれる。
十字架にかかるほどの主の愛に信頼する時、主があふれるばかりの恵みを注いでくださいます。
どうか、すべての栄光が主イエス・キリストにありますように。
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