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焼肉屋さんで一番高い肉
私の父は料理が得意でした。
いや、料理だけでなく何でも得意でした。
スポーツも、書道も、武道も、絵を描くことも、喋ることも。
手先が器用で、裁縫も出来ました。
背は高くないのですが、顔の造りがちょっと外国人っぽくて、鼻が高く、目が大きく、彫りの深い顔立ちでした。若い頃の写真を見せてもらった時は仰天しました。あまりのハンサムボーイで。
歳を取ってからはロシアのゴルバチョフさんに似ていると言われてました。
イイ感じのハゲ具合でした。(笑)
性格は、完全なる親分肌。
熱血漢で喧嘩っ早く、義理人情に厚い任侠的な人。
私が幼稚園から小学校に上がるくらいの頃は、時々家に知らない人がいて、一緒にご飯を食べました。
「パパ、あの人だあれ?」
「腹が減って道で座ってたから、飯を食わせてやろうと思ってな」
「ふうん」
ぼんやりとした記憶ではありますが、少なくとも月に2,3回は全く知らない人と一緒に食卓を囲んでいたと思います。
ご近所や親族からはかなり恐れられていましたが、私にとって父は唯一無二のスーパースターでした。
※父の話はたくさんあって100話近くになりそうなので、いつか必ずまとめて一冊の本にしたいと思っています。(それが私の夢)
ある日、父が
「焼肉食いにいくか」と言いました。
家で生姜焼きのような肉料理はよく作ってくれましたが、「焼肉屋さん」に行くのはその時が初めてでした。
うれしさと緊張で、ドキドキしたのを覚えています。
お店に入ると、あちこちから煙がモクモク・・・・・・
最近の無煙ロースターのような設備はなく、テーブルの上には小さな四角いガスコンロが置いてありました。
4人掛けのテーブルに、私と妹が並んで座り、向かい側に父が座りました。
父はビールを注文。
私と妹は、確かプラッシーか三ツ矢サイダーを頼んだと思います。
世代がバレますね。(笑)
さあ、いよいよ焼肉です。
子供の私たちは、メニューを見てもよく分かりません。
ただワクワクしながら、肉の乗ったお皿が運ばれてくるのをじーっと待っていました。
最初に赤い生肉が白い皿に乗っかってきました。
父は火加減を確認してから、まず1枚、コンロの上に肉を乗せました。
「ほら、自分でやってみな」
私は父に促され、お箸で皿から肉を一枚つかんでコンロの上に乗せました。
ジュー!
「わあ~!」
父子家庭だったこともあり、父は私が幼稚園の頃から火や包丁を使わせました。もちろん、ちゃんと指導して。
だから私は幼稚園児で厚焼き玉子を焼いたり、米をといだりすることができました。
妹は怖がりで、いつも「おねえちゃん、やって」と頼みます。
「もう焼けてるぞ、ひっくり返せ」
「うん」
両面に少し焦げ目のついた肉を、甘辛いタレの入った小皿に移します。
妹の小皿にも入れてあげました。
「いただきまーす!」
そのお肉の、美味しかったこと!
熱くて、甘くて。
それに、自分で焼くのがとても楽しくて。
妹も口の周りにたくさんタレをつけながら、美味しそうに食べました。
あっという間に最初の皿を平らげると、次のお皿がきました。
今度のは赤い肉ではなく、薄茶色の、クルっと丸い肉でした。
「いいか、これは『ホルモン』っていう肉だ。肉の中でも一番高い、高級な肉だぞ」
「ふうん、ホルモンっていうんだ」
私は、その薄茶色の肉をしばし眺めました。
「よし、焼くか」
「うん!」
さっきの肉とは全然違う食感。
噛んでも噛んでも、なかなか噛み切れません。
「パパ、噛めないよ」
「少し噛んだら、飲み込め」
「う、うん・・・・・・」
さすがに高級な肉は大人向けなんだと思いました。
子供にはちょっと噛みにくい。
でも、とっても美味しかったのです。
「オトナの味」を知った感じでした。
これが初めての焼肉の思い出。
それから相当な大人になるまで、私は「ホルモンが一番高くて高級な肉」だと思っていました。(笑)
だから今でも、焼肉屋さんに行ったら必ず「ホルモン」を注文します。
だって、一番高級な、美味しいお肉なのですから。
FIN
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