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「好き」の形


どうにも「推し」の推し方というものがよく分からない。
しっくりこない。

例えば、推しが新曲を出すとなったら、たぶん多くのファンはミュージックビデオの解禁時刻に合わせてYouTube前に待機したり、
即座に感想をコメント欄に書き込んだり、
Twitterで騒いだり
とかするもんかなと思うのだが、私にはどうにもそういった熱量がない。

他にもラジオを聞いたり、
インスタライブを画面録画したり、
それらについてもTwitterに書き込んだり。
あとは身長・体重・生年月日といった基本情報は当然のように頭に入っていたり。

そうやって人は人を推すんじゃないかと思ってはいるものの、私はラジオを聞く手段を知らないし、なんとかしようという気にもならない。
インスタライブは平気で見逃すし、
Twitterには何を書き込めばいいのか分からない。

どういうテンションで?どんな口調で?
そんなことを考えているうちにどうでもよくなってしまう。

セカオワの深瀬と、なにわ男子の大橋和也の誕生日くらいは流石に覚えてるけど、それ以上に彼らの何を知っているのかと聞かれたら困ってしまう気がする。


一方で、新曲のたびにインスタのサブ垢のストーリーに興奮冷めやらぬ感想を書き連ねる友達や、
推しがインスタライブを始めたらその時何をしているかに関わらず画面録画と共に視聴を開始する友達、
Twitterでオタ友を作っている友達に、
好きになったからには過去の流出までも調べ尽くして推しのことを知ろうとする友達。

そんな彼ら彼女らを見てると、自分の推し方は不完全なのだろうかと思ってしまう。

いろんな形で推しを推す人がいるけれども、果たして正解はどれなんだろう。
正解なんて存在しないのかな。

私だってもちろん、新曲が出れば嬉しい。
でも、「後でみよう!」って思ってるうちに次の曲が出ていたりする。
そしてその度に、自分はファンとしてどうなんだろうと思ってしまう。


私は推しのことを推しているけれども、
推しは「推し」として私の人生に存在している訳であって。

そうである限りは他の何を差し置いても夢中になる、というわけにはいかなくて。

と言うのが私の言い訳である。


そうすると、
たまに本屋さんで推しが表紙に載っている雑誌を見つけてにやけたり、
アルバムを買うかどうか何ヶ月も悩んだり、
新曲を視聴するのに出遅れたり、
たまたまつけたテレビに推しが出ているのを見つけて喜んだり、
かと思えばライブに落ちてひどく落ち込んだり。


そんな中途半端ともいうべきファンである私が出来上がってしまう。


優しい優しい私の「推し」達は、私みたいな半端者のこともファンとして受け入れてくれるんだろうけど、周りで推し活をしている友達を見るとどうしても逡巡せざるを得ない。


私の「推しへの愛」が、そこまで強くないということなのだろうか。


うーん、ちゃんと好きなんだけどなあ。


でも、思えば私の「好き」はいつも、私の肉体を動かすほど強くはないのかもしれない。


例えば友達関係。
高校時代、親友というべき存在が2人いた。
仮にリナ(仮名)とレイカ(仮名)と呼ぶことにする。

私とその2人の3人で仲良くしていたわけではなくて、私とリナ、そして私とレイカといった具合に、別々のところでそれぞれと仲良くしていた。

そのためリナとレイカの仲は良くなかった。
私が言うのも変だが、私を巡る嫉妬でお互いバチバチしていたのだ。

リナは、私がレイカと仲良くするのを度々やめさせようとしていた。その件で喧嘩したことも一度や二度ではなかった。

一方のレイカは、「別にリナと仲良くしててもいいんじゃない」といったスタンスで私と付き合ってくれていた。

どちらが良い悪いとかを言いたいわけじゃない。

おそらくリナの「好き」はかなり激しいものだ。
彼女の「好き」は体を突き動かすほどのものなのだと思う。
だから自分が好きならば、自分から働きかけて相手の「好き」も求める。
彼女の恋愛事情を見ていても、そんな姿勢は一貫している。

反対にレイカの「好き」は、別に心のうちに留めておくことができてしまうものなのだと思う。
もちろん「好き」だけど、それは体を動かすほどのものではない。
だから相手の「好き」が自分に向いていないとしても、基本的にはそれを受け入れるだけなのだ。

そして私の「好き」は、レイカ寄りのものなのだと思う。

私も仲良くしていた子が他の子と仲良くしている時、寂しいなとは思うものの、それをどうにかしようという気にはとてもならなかった。
「それならそれで、仕方ないかなあ」、「彼女の行動をどうにかする権利なんて私にはないもんなあ」と思っていた。

もちろん「好き」だけど、その感情が自分の体を乗っ取って動かしてしまうなんてことはない。ただ心の奥底で、誰にもバレずに「好き」を大事に大事に育てて守る、といった感じなのだと思う。

そっちの方が冷静でいいよ、とも思えるかもしれないが、見方を変えれば少し寂しい「好き」だなとも思う。


恋人に対する「好き」も同様である。

私は恋人のことが好きだけれど、でも「何をどうしても手放したくない」というわけではないような気がしてしまっている。

例えば彼が他の人を好きになってしまうとして、それならそれで仕方ないかなーなんて思っている節があるのだ。

だからこちらも、友達への「好き」と同様に、「体を動かすほどの好き」ではないと思う。



そんな私の「好き」の形が、私の推し方にも表れてしまっているのではないだろうか。

うだうだ言っているけれども、つまり私は「求めても得られなかった時」が怖いんじゃないかな。
だから最初から期待しない、求めない。

そんなんでいいのかな。



結局私が大学に入ってからも仲良くしているのは、私を何がなんでも引き止めようとしたリナの方である。
レイカとは、お互いがお互いを気遣いあって傷つけないように波風を立てないようにしているうちに、どうにも埋められない溝が出来あがってしまった。



皆さんの「好き」の形は、どんなものですか。
どんな「好き」が理想だと思いますか。
正しい推し方って、どんなものなんでしょう。









おわり。






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