親の心得【2】押しつけない
親の心得シリーズ第3弾です。
今のところ、親の心得シリーズ【5】まで書いたら、次は子どもの心得シリーズを書くつもり。
子どもの心得シリーズでは、わたしが生徒たちに伝えていたこと、伝えきれなくてもどかしかったことを、親の心得シリーズと対応するかたちで書こうと思う。
あ、でも途中で閑話もしたい。
まじめな話ばっかりってのもねえ、と思ってます。
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塾講師をしていた頃、小学生と中学生に関わっていたのだけど、彼らはなかなかに大変そうだった。
わたしが言うのは変かもしれないが、はっきり言って子どもが塾に来ることは大変なことだ。
来る以上は気合い入れて勉強してくれ、とは思っていたが、自分が学生だったときのことを思い出すと、まあいつもいつも頑張れるわけじゃないよなあとも思っていた。
子どもにとって塾に通うことの何が大変か。
考えられるもの、そして実際に見たものとして、
・塾、つまり新しい環境に慣れなきゃいけない。
・遊べない。
・寝る時間が削られる。
・すごい量の宿題に追われる。
・テストの点数や偏差値をずっと意識しなきゃいけなくなる。
・友達の目が気になる。
・親との衝突で消耗する。
・場合によっては、そもそも何で頑張らなきゃいけないのか分からないまま頑張らなければいけない。
というものが挙げられる。
何か他にもあるかもしれないけど、ほとんどがこれらにまとめられるように思う。
…え、塾に行くってそういうことでしょ?
何言ってるの?当たり前じゃない?
と思ったそこのあなた。
あなたはこれまですごく努力をしてきた人だと思います。
そして今もかなり何らかをがんばっているのでしょう。
自分、わりとがんばってきたな、そこそこがんばってるよな、ってぜひ認めてあげてください。
ここで、「いや、まだまだ自分なんて」って思いがちなあなたは、気をつけてください。
自分へのハードルを高く課す人は、無意識のうちに他人にも厳しくなりがちです。
つまり、本来なら自分自身にとっての課題や理想を、他人にも押しつけがちになります。
…あー、塾に行くってそういうとこあったかも。
まあ言われてみたらそんなもんかもね。
くらいに思ったあなた。
もしくは特に何も感じなかったあなた。
たぶんあなたは塾には通わなかったか、ちゃっかりしてたか、ぼんやりしてたか、それとも塾通いを本当に心から楽しんでいたのではないでしょうか。
いずれにしろ素敵です。
でも楽天的すぎないようにお気をつけください。
備えも大事です。
ちなみに、わたし自身は前者でもあり後者でもある。
もともと前者の気質が強かったけど、講師として働くうち、だんだん後者の気質も備わるようになった。
わたしの子ども時代よりも、講師になってから見た子どもたちの方がかなり忙しそうで、君らハードな生活してるよね…と感じることが増えたからだと思う。
講師として働いていた頃に、身近な人何人かに言われたのが、「本当に、大変な仕事だろうね。でも、勉強したいと思って来てる子たちの面倒を見られるのはやりがいがあるんじゃない?」ということば。
が、実際にはそういう子どもはかなり少ない。
親に言われて塾に来ることになる子がほとんどだ。
なので塾に通っていても勉強しない子は全くしない。
そりゃあそうだろう。
小学校3年生男子/女子が、わたしは将来こういう職につきたい、そのために○○学部のある大学に行きたい、そこに入学するために、どこそこの中高一貫校で勉強したい、だから●●中学受験に備えて塾に行きたい、ということを自分で判断するのだろうか。
そういう子どもがいないとは言わないけれど、そしてそういう子どもがある意味ではこれから増えてくると思うけれど、現時点ではそう多くないと思う。
例として小学校3年生を挙げたが、わたしが勤めていたところでは小学校1・2年生向けのクラスもあったし、集団授業という形以外のサービスなら未就学児向けのものもあった。
彼らが通塾について意思決定をすることができるとは思えないし、そもそも彼らはまだ意思決定権を与えてもらえない。
低学年に限った話ではない。
中学校3年生の秋になって、保護者にお尻を叩かれてしぶしぶ入塾する子や、「先生、志望校どうすればいいでしょう」と言って入塾する子なんかざらにいたので、自分のことを自分で決めていくのはやっぱり子どもにとって難しいことなのだ。
塾に通うこと
=(なるだけいいところに)進学を希望すること
=必然的にガンガン勉強しなければならない
というのは子どもにとって、
頭ではなんとなく理解していても、心と体がなかなか受けつけられない現実だ。
特に、それが自分の意志によるものでないなら、なおさら。
進学塾では、どう見ても親だけがはりきり、先走り、つまずき、不安になり、カリカリし、疲れはてているというパターンが時々見られる。
そこまでではなくても、あれ、保護者の方が受験するのかな?みたいなパターンも見られる。
学歴コンプレックス/学歴信仰にどっぷりはまっているように見受けられるパターンもある。
ただでさえ自分で意思決定することが難しい子どもに、親が自分たちの思うところを半ば強制的に押しつけたとしたら。
たぶん子どもは、それが正しいことなんだろうと頭では受け入れるしかない。
でも心と体は納得できない。
それはぼくが、わたしが、望むこととはちがうような気がする。
そう感じたことに、子どもが積極的になるわけがない。
そんなの親であるわたしたちだって同じである。
塾に通うことに限らず、子どもに何かを押しつけているかもしれない場面はたくさん考えられる。
しつけ、習い事、人づきあいのしかた、ファッション、好きなこと、苦手なもの…。きっとまだまだある。
もちろん、いつも子どもの意思(志)だけを尊重するわけにはいかない。でも、
・子どもがもっている意思(志)を観察する、
直接聞いてみる。
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・親がもっている意思(志)を子どもに素直に伝えてみる、そして親の意思(志)をいっしょに観察してもらう。(←親の押しつけじゃないかどうかを子どもにも判断してもらう)
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・親は、子どもに対する希望とか理想とか答えではなく、さまざまな選択肢や情報があることを伝える。
これを選ぶと、こうなることが予想されます、みたいに、子どもには想像がむずかしそうなところも伝える。
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・その上で、子どもが何を感じたか、どうしたいと思ったかをさらに親もいっしょに掘り下げていく。
というステップで、子どもが自分で意思決定する練習ができるはずだ。
そして、この『押しつけない』に気をつけることは、親自身の他人とのコミュニケーションを変え、親自身の心に余裕をもたらすものだと思う。
ということで心得みっつめは、押しつけない、でした。
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