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努力してる人は努力しない人が嫌い

Twitterでふと目にした一節である。

もともとの投稿は、ハイスペックな異性を手に入れるためには、それなりに努力してきた経験(例:受験・就活)と実績(例:学歴や・職歴)がないと、パートナーには選ばれない。どんなに可愛くても、もし仮に接点があったとしても、遊ばれてワンナイトで終わっちゃうよね、という主旨だったけど、その中にあった一文を要約すると「努力している人は、努力しない人が嫌い。いくら可愛くても、Fランク女子とハイスペック男子は話が噛み合わない。何も頑張ってこなかった人は他に何を頑張ってきたの?化粧?」とあって、なんだか、これが妙に魚の小骨のように、細くチクチクと私の心に刺さった。さて、なんで刺さったのか?

努力の方向性が似ているかどうかなんじゃないか?

ワンナイトの良し悪しや、異性を落とす方法などは、とりあえず脇に置いて、ここでは触れない。書きたいことは「努力ってなんだ?」である。

「努力している人は、努力してない人が嫌い」という言葉に、「うん、うん、すごくそう思う!」と共感したと同時に、「ん?でもさ、自分の努力って、誰かから、とやかく言われないといけないことだっけ?」と立ち止まった。

好き嫌いは、自分との類似性と連動するのだろう。

他者の努力の方向性が自分と似ている場合は「すごい」になるし、異なると「ずるい」にもなる。

誰しも、その人のなりの生存戦略がある

努力というと、「あるべき姿」に向かっていく手段のように思えるけど、必ずしもそれだけではないだろう。

努力する理由が、自分の存在を許されたい、認めて欲しいという切なる願いだったり、その人が受けてきた傷の癒す手段かもしれない。それは、その人なりの生存戦略だったり、人生哲学に近い。だから、どんな努力であれ、他者が良し悪しを評価するものではない。

共感できないなら、放置すること、かまわないこと。

でも、それが中々出来ないのは、なぜか?

それは、「ずるい」と思う気持ちがおこるから。そして、自分の選択や努力の方向性を否定されたような気持ちになるからではないだろうか。

配られたカードで勝負するしかない

「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」(配られたカードで勝負するしかない。それがどんな意味であれ)

なんかモンモンと考えている時に、スヌーピーがルーシーに「どうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ」と問われた際に返した言葉を目にして、刺さった。いや、刺さりすぎるだろ。

あるべき姿なんてわかんないけど、「何者かになりたい」そう思って生きているから、努力する。「ずるい」と感じてしまう人は、その人が持っているカードで勝負しただけなのかもしれない。

誰しも、配られたカードを最大限使って勝負するしかない。他のカードを持っている人を妬んでも、ずるいと思ってもしかたない。

でも、誰かのことが気になる時は「むやみに否定しない」こと。

違うなと思ったら、静かに離れること、手放すこと。

自分のやわらかい部分を守るために、人の心に否定という言葉の棘を刺さないこと。

だって、相手に与えた傷は、いつか自分の傷になるから。




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