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自己紹介「なんとかする人」

次のキャリアを考えているタイミングということもあり、自分を振り返り、1年後の自分に「経験というアセットを活かして周囲に貢献出来てる?」と問うために、自己紹介を書きました。

とはいえ、いろんな仕事をしてきた数十年のキャリアを時系列で書く振り返りだと、長くてつまらない。なのでまず初めに、「何でも屋ではなく、“なんとかする人”」と名前をつけました。

次に、職務経歴書、転職活動で得た評価、仕事をした人・友人など周囲からの評価、ストレングスファインダーなどを元に、自己分析して構成図にしてみました。

なんとかする人の要素構成図

勝手な自己分析ですが、多面的に振り返るのは面白い時間でした。同時に、「機会は周囲の声掛けから始めることが多く、いつも多くの人に助けられていた。全ての機会において、経験×得意×性質を活かしアウトプットにこだわること。経験を能力に昇華していく努力をすること、適切に周囲に頼り、独りよがりにならないで、貢献していくことって大切だよ」を気づきました。

そして、この自己紹介を読んだ人で「自分は何でも屋で、これと言った専門領域がない」と思う人がいるならば、「なるほどね、そうだよね、自分もこういう経験の好循環でここまで頑張ってきたな」と、経験を振り返り、なにか一歩踏み出すきっかけになれば嬉しいなと思います。

それでは、「“なんとかする人”になっていった物語」はじめます。(長いよ!)

営業は楽しい、お客様とチームになれるから

大学卒業後、「株式会社たち吉」に入社。法人外商部で、営業として数億の予算で大企業向けのセールスプロモーションを担当。クライアント企業の叶えたいイメージとゴール、キャンペーン意図を伺いながら、プロモーション企画を提案して商品に落とし込み、キャンペーンを実施。営業活動を通じて、クライアント企業への貢献と、営業成績が自社への貢献の好循環を生みだすワクワクした楽しさを教えていただきました。なにより、クライアントとチームになって一体感で仕事する喜びと幸せを実感できたのは、職業人として幸せなスタートでした。

真っ赤に添削された紙を泣きながら書き直す日々

2003年に株式会社グロービスに、派遣社員入社。(2004年社員転換)

全社員100名に満たない規模、たぶん約25名くらだった時代の法人営業部門(カスタマイズ研修)に配属されました。

仕事内容は、クライアントの人事戦略と受講生傾向を踏まえ、設計したコンテンツが目的と期待値を押さえてデリバリされているかを確認する「QA :Quality Assurance」としての研修アテンド。クライアント・受講生・講師とのリレーション、時にティーチングアシスタント。そして、「研修フィードバックレポート」や「提案書」を作成して、コンサルと一緒にリピート受注の既存営業活動をしていました。

難易度の高い案件にもアサインいただき、東大出身の先輩コンサルに、提案書やフィードバックレポートを真っ赤に添削され、泣きながら深夜まで紙を書き直す日々。ブラック感あるけど、自分の基礎体力になりました。

入社時にコンサル部隊に配属されたことは、物事の見立て、角度が変わる経験でした。人材育成プランの設計とは、先方が望むプログラムをただ提供することではなく、まず組織としてどうありたいか、解決したいことは何をお客様と共に言葉にしていくことが大切だということ。解決、支援するための手段をご提案すること。何より、人と組織の中にある「可能性を信じて育んでいく」前提で取り組むことは、育成・教育・組織開発に携わっていくことになる自分の指針となりました。

自分の仕事を「型」にして「伝えていく」経験スタート

よちよち歩きの私でしたが、お役にたてる状態になってきた段階で、仕事を「型」にして同僚や新人に引き継げるようにしたいと思い始めました。「研修デリバリまでのtodoリスト」「アテンドレポートの作成のコツ」「業務フロー図」を可視化したり、講師と一緒に「研修アテンドに求められる姿勢のプチ研修(名称:QA道場)」を作成。入社した方のオリエンテーションも担当して、「仕事の仕方」を入社時にお伝えすることで、組織のオンボーディングの重要性を知る機会になりました。

野生動物が駆け回るサバンナのようなチームに異動

カスタマイズ部門は例えるなら軍隊で、行動様式もカッチリ。そこから個性的な営業チームに異動。各自が「らしさ」を活かした動きをして、サポートスタッフが千手観音のように職人技で支える。「あぁ、サバンナで生きる野生動物って美しい。野生(個性)は残しつつも規律あるサファリパークにしよう」と決意。

営業が案件を取る際に、個人の魅力は欠かせません。一方、組織として契約した以上は、組織としてお客様に安定した継続できるサービス提供が必要です。

そうなると、営業・業務プロセスの可視化、サポートスタッフへの依頼フロー、営業報告の徹底など「お作法」を作り、組織で案件を継続できる体制作りが大切。

最初は反発されつつも、お作法を守り定着させる怖いお姉さんを演じたことで、この時から「姐さん」と呼ばれることが多くなりました。あと、法人顧客向けのマーケティング担当も務め、マーケ業務の改善と営業メールマガジン編集長も担当して、「伝わる文章とは?」を悩み学ぶスタートの機会となりました。

コミュニティ価値向上と学校ロイヤリティ向上の好循環を作る喜びを経験

2008年にマネージャーとなり、規模拡大のフェーズであった2009年に、グロービス経営大学院に異動。学校の顔、ブランドになるイベントのクオリティを上げながらも、グロービスらしい親しみのあるコミュニケーションは継続させ、人数が増え多様化しても学生のロイヤリティ向上を図るという大切な時期でした。

仕事内容は、「志の醸成」「人的ネットワーク構築」「学びを深める仕掛け」につながる学校行事(入学式、卒業式など)、経営者や専門家を招いてのセミナーを企画・運営。相互学習、相互成長する学生コミュニティの形成と、愛校心の醸成につながる仕組みと仕掛けを設計しながら、在校生、卒業生のコミュニケーションを担当。イベントに関しては、東京キャンパスだけでなく、大阪・名古屋・仙台・福岡という拠点でも組織としてクオリティ高い状態を保てる「型」を作り横展開していくこと。

学校部門に配属になるまでは、ずっとBtoB畑にいたので、初のBtoCとイベント設計とコミュニティ組成におけるコミュニケーションのお仕事は、初めての経験ばかりで七転び八起きで学ぶことばかり。その中でも特に自分を成長させてくれた仕事は、(当時)1000人規模カンファレンス「あすか会議」のプロジェクトマネージャーの経験でした。

半年間、約50名の学生企画委員の皆さんと企画・集客・運営設計を伴走します。当日は、委員会とは別の運営スタッフ、現地の会場スタッフ合わせて100名以上の皆さんと連携しながらの運営統括。全体を俯瞰で把握しつつも、細部に目配り気配りして、カンファレンスを事故なく無事に終えること。そして、参加者、登壇者、スタッフ、関係者全ての「来てよかった」というポジティブな感情を生み出すことで、コミュニティの価値を作り学校へのロイヤリティを上げていく好循環を生み出す体験が出来ました。

あと、総合司会もやりました。緊張がゆるんだ閉会式で「それでは開会します」と言ってしまい、「もう一度、始めるんかーい!」って会場からのツッコミも良い思い出です。(イベント業務については、別noteで書きました)

コミュニケーションのコツを学ぶ

大学院事務局として在籍したのは2009年~2016年。2009年の入学者数は約200名から、2016年は約700名に。卒業生は約100名から2016年には約650名になる規模の中でお仕事をしていました。(数字は学校公開資料から引用)
数多く、濃厚なコミュニケーションを通じて、本当に多くの方に出会いをいただき、今もご縁が続いていることが人生の宝物です。

とはいえ、私にとっても「コミュニケーション修行」の時期でもありました。コミュニケーションは、人によって「よいの定義」が異なります。ただ、違いは善悪や優劣でもはなく、お互いの前提や背景が異なることから生まれているのです。

社会人大学院は、多様なキャリアとバックグラウンドを持つ多くの人の集まりです。自分とは異なる背景を持った人と共に学び、数多くのコミュニケーションを繰り返しながら、卒業をしていきます。しかも働きながら学ぶのはとても大変なことで、仲間との出会いは宝でもあり、多様性のあるコミュニケーションは、学生さんにとってもストレスになることがあります。

多くの違いが存在することは、多様な経験とスキルを持った人同士で、多角的に意見を出し合いながら「共に成長をする」喜びが存在するということ。事務局としては、学生同士の「違い」を「楽しさ」に変換していく工夫を提供することが求められます。

大学院事務局としてコミュニティ組成のコミュニケーションという仕事を通じて、3つのコツを学んだと思っています。

  1. お互いが、安心・信頼できるルールを作り守ってもらう環境をつくる

  2. 作りたい世界観を言葉にして、皆さんもよい未来を創る仲間になって欲しいとお願いする

  3. 「人は誰かのために役に立ちたいと願い生きている善良な存在」である前提に立ち、誰かのために行動をした方に「みんなのために、ありがとう」と御礼を伝える

部門戦略から新規事業を考える

2016年に法人営業部門(カスタマイズ研修)に出戻り異動しました。異動理由は、「執行役員以上のエグゼクティブプログラム(知命社中)」を新規サービスとして立上げるミッションを頂いたからです。

「知命社中」は単なるサービスではなく、部門の中長期戦略としての取り組み。目的、組織として解決したいこと、サービスオーナーの思いなどをおさえながら、無関心にみえる組織を巻き込み立ち上げるアレコレは本当に大変でした。書けないから、興味ある人は個別に聞いてくださいw

自分で作った振り返り資料

結果としては、プログラム単体も成長、皆様のネットワーク構築にも寄与し、波及効果の最初の一歩に立ち会い貢献できたことは、自分の誇りになりました。関係者皆様、数々のお力添えをいただき本当にありがとうございました。

カンファレンス業務から経営者の視点を学ぶ

代表室の直下にある、「G1サミット」というカンファレンス業務にも、タスクフォース的に携わっていました。

2011年からG1サミットの運営設計を担当し、裏方として運営マニュアルをゴリゴリ作成。参加者は政財界など第一線で活躍する方々、粗相があってはなりません。あらゆる想定外を想定して運営設計を行い、スタッフが動きやすいようにマニュアルに落として、当日運営を行うのです。この仕事を通じたプチ自慢は、私が作ったマニュアルは、運営の基盤として10年以上も更新されながら使っていただけていること。

2017年からは、「G1経営者会議」のセッション企画を担当しました。

アドバイザリー・ボードの第一線で活躍する経営者・リーダーの皆様と一緒に、企画立案、テーマとコンテンツ設計、登壇依頼、リレーション全般を担当する中で、「そうか、経営者とはこういう視点で経営という大変なお仕事に向き合っているんだ」のリアリティを学ぶという貴重な経験をしました。

なにより、経営者とのコミュニケーションのあり方は、学びことばかり。そんな経験はこちらにまとめてみました。

転職後、Chief Communication Officerに

「やり切った」思いで約18年のキャリアに終止符を打ち、2021年5月にKADOKAWAグループのDXを推進する戦略子会社、KADOKAWA Connectedに、Communication Managerとして転職。2021年11月Chief Communication Officer就任。広報、ブランドマネジメント、Internal Communication領域を担当。2022年8月で退任し、在籍期間は1年数か月でしたが、とても多くの機会をいただき感謝しかありません。

1.社長、Chief Officer執行役員クラスの外部発信強化の企画、編集、サポート
外部講演、メディア出稿(ダイヤモンドオンライン、ビジネスIT、産経新聞、ITmedia、JB Press、日経クロストレンド、インプレス、企業オウンドメディア等)

2.新体制移行外部コミュニケーション
新体制移行に伴う背景と就任と退任メッセージを作成し記事形式のプレスリリース。この記事から、新社長の取材も獲得できました。

3.コーポレートサイトリニューアル
制作会社・プロジェクトメンバーと一緒にリニューアル。デザインの「<」は、KADOKAWAのカド、それぞれの魅力や個性をEdgeとして表現。エンジニアリングでEdgeをつなぎ、KADOKAWAグループの成長を広げていく思いが込められています。グループ各社からも好評で、「リニューアル企画について教えてほしい」と問い合わせも多数いただきました。

4.Internal Communication
組織のことなので退任した以上は書けない内容が多いのであえて割愛しますが、組織コンディションのアンケート・ヒアリングを実施したり、KADOKAWAグループ新卒・若手社員交流企画の支援(メンター活動)などもしていました。

まとめ・1年後の私へ

「赤崎さんが評価されていた一番の理由は、どんな時でも、わからないながも人を巻き込みながら、途中放棄しないで最後まで形にして、やり切ってきってきた実績だよ」

同僚がくれた言葉に、自分自身で納得する瞬間がありました。

私がなんとかする人キャリアになれたのは、「とありあえずやってみて、出来ることを増やす。出来ることが増えたら、周囲と協業してやってみる。任せてもらえることが増えて、また出会いと機会が増えて、やりたいことが増えていく。挑戦の機会に自ら出ていくことでさらに仲間が増えて、お声掛けいただく機会も増えていった」というわらしべ長者なのです。

経験したことの全てが後からの仕事で活かせるという幸運もありました。

  1. 最初の営業経験で、クライアントと信頼関係を築く喜びを知れたこと。

  2. クライアントと信頼関係を基盤に、人材育成を提案する際にはあるべき姿を描き提案していく姿勢、細部まで目配り気配りしながら、その場で求められる役割を全うすること。

  3. 個人から組織への展開思想で、業務を型に落とし横展開する

  4. 達成したい目的を念頭において、俯瞰的にかつ細部まで目配りしたイベント運営設計を行うこと。規模や展開場所が違った時でも、類似と違いを見出し、どう進めていくかの仮説を検証しながら横展開していくこと。

  5. 人のよい部分に光をあて言葉にすることで、ポジティブなコミュニティを育むコミュニケーション

  6. 新サービスをローンチ経験を通じて、組織戦略の意図と背景を理解をしたうえで、リーダー陣と現場の間にある視点のGAPに「コンテキスト(文脈)」という架け橋を作ること。

  7. カンファレンスのテーマ設計(企画)を通じて、多様な意見を掛け合わせることで、人と情報の交差点を作り、その交差点は人の行動を生みだすという好循環を理解できたこと。

これらの経験は、新しいことに向き合う時、「これはあの経験を活かせばいいかも!」という、踏み出すことを怖がらない体質にしてくれました。それは、転職してからの広報PR、インターナルコミュニケーションという仕事に活かせたように思います。

長らく、「何者なのか定義しにくい役回り=何でも屋」で悩んできたけど、 課題や未来の種は、組織の三遊間に転がっていて、名前がついてないことが多い。だからそれらをキャッチして拾う人にも名前がつかない。 一方で人に決められた定義がないなら、自分で定義を作れるということ。だから何でも屋ではなくて「なんとかする人」って名乗っていきます。

なにより、いつの時代も顧客、上司、先輩、同僚、後輩、友人、魅力的な関係者の皆さんに助けていただいてました。「ひとりで出来たことなんて、何一つなく、常に誰かに助けてもらってきたのだ」と感謝の気持ちでいっぱいです。皆さん、私の人生に関わってくださって本当にありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

ってことで、新しい挑戦に踏み出すときは、先入観を持たず、広く平らな心、「虚心坦懐」でがんばろう。


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