平準化の大切さを、元お笑い芸人の視点で解釈してみる
はじめに
こんにちは、さわです。
記事をご覧いただき、ありがとうございます。
本記事は元々別のブログにまとめていたのですが、何人かの方に面白いと言っていただいたのと、新年を期にnoteつかってみようかしら、と思ったので転載してみました。
以下転載本文です。
はじめに_2
この記事は、「平準化」をお笑いの観点で捉え直し、「なんで大切なのか?」を明確にする意図で書かれたものです。
なんでお笑いの視点?の方は、こちらの記事を御覧ください。
例にもれず、チームのメンバーに話したところ、評判が良かったので記事にしてみました。
結論からお話すると、
平準化が大切な理由は、改善を推進させる力が強まるから、です。
※この記事はひょっとすると、セールス活動に利用する、「トークスクリプト」に特化しているように読めるかもしれませんが、もっと射程は広いと思っています。
「台本」と「ネタ」から平準化を分析してみる
当たり前の確認ですが、M1のあのネタも、キングオブコントのあのネタも、アドリブでやってません。
全てに台本があります。
ですから、これまた当たり前の確認ですが、彼らの「ネタ」と呼ばれるものは、神様のような才能に恵まれたおもしろ人間が、瞬発的に0→1を生み出しているわけではなく、決まったスクリプトを演じている訳です。
もちろんそのスクリプトは類稀な才能によって生み出され、かつそのスクリプトを演じるために血のにじむような修練があります。
でも、そこには間違いなく「台本」が存在してます。
念の為に補足しておきますが、
一部、ほとんどアドリブでやる芸人さんもいますし、台本に基づいたパフォーマンスであることが芸の質を毀損するとは全く思っていませんし、その意図もありません。
では、なぜ、台本が必要なのでしょうか。
それは品質と再現性を担保する必要があるからです。
品質と再現性の品質の方
例えばネタ番組を作るとします。
著名な芸人さんは置いておいて、その他の芸人さんを使うとします。
そこで採用基準となるのは、「ネタ」です。
「ネタ」は「パフォーマンス」+「台本」な訳ですが、いざ本番となった時に「アドリブでやりますわ」だと、何が起こるかわからないわけです。
「パフォーマンス」は、プロフェッショナルなので一定の担保はありますが、経験や環境によって大きく左右されます。
一方、「台本」は、マテリアルとして決まってたものなので、品質がブレることがないわけです。
一定の「間違いない」を保証してくれるのが、「台本」という存在です。
品質と再現性の再現性の方
台本を作るのだから、それは再現できるでしょう、と思うかもしれません。
ただ、台本製作者=演者であることは100%ではありません。
ネタを作る才能がない人も、優れた台本と一定のパフォーマンス能力があれば、その「面白さ」の再現ができるわけです。
話を極端にすると、一切笑いの才能がない人でも、優れたお笑いセンスを持った人が書いた台本を演じる力があれば、センスのいい笑いを提供できる。
この辺りは、実はお笑いに限らず、「音楽」などでも同じことが言えるかもしれません
品質の担保と再現性が大切なわけではない
「台本」によって「ネタ」は平準化されました。
さて、ここで、その「台本」はいつ書かれたのか考えてみてください。
M1で演じられたあのネタは、いつ書かれたのでしょう?
M1当日の朝、ギリギリまで知恵とセンスを振り絞って、渾身の台本を書き上げたのでしょうか?
冷静に考えればお分かりいただけると思いますが、そんな訳ないわけです。
僕たちがテレビで見るネタの多くは、数ヶ月前には台本が出来ているはずです。
個人的な感覚では、「数ヶ月」ですら、かなり早い仕上がりで、特にお笑いコンテストに出すようなネタは、1年〜数年がかりで仕上げている印象です。
つまりここには「仕上げ」の作業が加わっているということです。
別の見方をしてみます。
今日できた台本が爆笑が取れる、その根拠はなんでしょう?
それは、勘です。
台本というマテリアルはありますが、それがウケるかどうかはわからない。
つまり、台本によって、品質は担保され、保証されるわけですが、それが高品質かどうかはわからないのです。
言い換えると、平準化を実行したからと言って、そこに高い品質が保証されることはない、ということです。
台本の完成がゴールではない
つまり、平準化はゴールではありません。
むしろスタートです。
平準化をゴールとすることは、お笑いの例えを引くならば、
「俺の【面白い】は、お前の【面白い】に違いない」
というおごりです。
ですから、平準化によって、品質が担保されるというのは、作成者のおごりです。
そこに欠けているのは「受け手」の視点です
お笑い観点で「平準化」を掘り下げてみる
ここからお笑いのアナロジーが効いてくるところです(笑)
お笑い芸人は、コンテストに持っていくために、ネタを仕上げます。
では、どう仕上げるのか。
台本を作った上で、ひたすら客前で試すのです。
滑る、ウケる、ややウケる、爆笑など、台本とパフォーマンスに対して、お客さんがリアクションを返します。
舞台を変えて、お客さんを変えて試します。
滑った箇所の言い回しを変え、構成自体を変え、ボケを入れ替えたりします。
台本の効果をアウトプットに基づいて、「観測」するのです。
これが可能なのは、再現性のある「台本」があるからなのですが、この土台となる台本とアウトプットした結果を比べて、さらに台本を磨いていきます。
磨いて磨いて磨ききったものが、ようやくコンテストの俎上に乗るわけです。
この作業は、台本を土台にし、顧客に投げることで、顧客のニーズを探っていくと言い換えられるかもしれません。
このように書くと、セールスにおけるトークスクリプトを連想するかもしれませんが、「サービス」や「社内フロー」でも同様だと思っています。
ビジネスに翻って
あなたが思っている「平準化」は極めてレベルが低い可能性があることを頭に入れてください。
別の言い方をすると、あなたの完璧は他の人にとって完璧であるかはわからない。
このように書くと、息苦しさを覚えるかもしれません。
しかし改めてになりますが、平準化はスタートです。
平準化がないと、何も始まりません。
いかにこの平準化に基づいたアウトプットを観測し、それをコントロールし、改善するか、その辺りが大切だと思っています。
まとめると
平準化によって、品質の担保が出来、再現性は高まります。
しかしそこで担保される「品質」は「高品質」である保証はありません。
目標としている品質に達しているかどうかを判断するものは、「観測」です。
「観測」によって不足を改善し、品質を引き上げていく事が可能になります。
この「観測」を可能にするものが、「平準化」なのです。
故に、「高い品質」の仕事を目指した際に、「平準化」が大事になってくる。
こんなことを、「お笑い」と「台本」のアナロジーから整理してみました。
じゃあ高い品質ってなんやねん、とか、良い台本とは?とか色々こぼれていることがある気がするのですが、それはまた別の機会で。
(お笑いのアナロジーで結構色々説明できる予感がしている今日このごろです)