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おすそわけ日記281「親孝行やりきりました宣言」

「大事な話があります」

深夜に五十六歳の娘(特技、親のすねかじり)からこう切り出された、八十一歳の母の胸に去来した想いは、果たしてどのようなものであろう。

恐らく

わー、まためんどくさいこと言い出してきたよ、であるとか。

ワイン飲んでお風呂入ったから、もう寝かせて欲しい、であるとか。

はたまた、iPadに夢中で娘の言うことなんかてんで聞こえてなかった可能性もあるのだが。

勇気を出して、私は言葉を続けた。

「お母さん、私はもう、親孝行をやりきりました」



さて、我が家の事情をご存知ない方々の為に、ざっくり説明申し上げると、我が家は母子家庭である。元々、家が置き屋で芸者をしていた母、花柳界では結婚と云う概念はほぼ無いに等しく、私もまた、愛人の子供として生まれた。

狭い社会は狭いが故に結束が固く、子供は皆の宝として、家族だけでなく周りの芸者衆からも可愛がられ、私は愛情と云う栄養をいっぱい貰って育った。

ただ、大人の中で育った子供は、機を見るに敏すぎるのである。常に大人に喜ばれるいい子として振る舞い、それが計算ではなく地になってしまう。

さらに、私のいい子っぷりと老成を助長するものがあった。

それが母である。

正確には、後先を考えずに飛び込んで行く、うっかり八兵衛的な母の性格が、子が親の心配をすると云う、関係性の逆転を私の中に定着させた。


ここから、母のとんでも行動を母に内緒で列挙していきたい。内緒の理由は、母に見つかると、ネタの提供料を請求されるから。

一、旅先で小学一年生の私を祖母に任せ、一人、別荘の壊れた自転車で出かけて堀に落ち、頭から血を流して帰ってきた。祖母の膝枕で、撃たれた子鹿の様な母の姿に「お母さんが死んじゃうよぉ」と私、号泣。

一、四十代で車の免許を取った母、足の骨を折った私を中学校に車で送ってくれたまではいいが、一方通行を逆走、他の車からクラクションの嵐。更に、家の前の曲がり角をぼうっとして毎回通り過ぎ、いつも近所をぐるっと一周してからでないと家に戻れず。

一、仕事から帰った私に机の上の置き手紙「ワケは聞かないでください」見ると、ベランダの窓ガラスが割れている。終電で帰宅した母を問い詰めると、やかんをガスコンロにかけたまま、植木の水やりにベランダに出たら窓の鍵が閉まってしまった。急いで隣家に助けを求め、窓ガラスを割って家に入った云々。

枚挙にいとまがないとは、このことか。こうやって、ネタと心配が私の中に降り積もっていった。



ところがところが。人生とは思いもよらぬもので、私が四十代になって一発大逆転な事態が発生。別れた恋人の自死で私がパニック症状から何も出来ない鬱状態に突入してしまったのである。

逆転親子の更なる逆転。当時、母も私も仕事を辞めたタイミングで、四十年以上働き続けて余生をのんびり過ごそうと思っていた母の思惑は大きく外れ、私の看病に翻弄されるはめに。

「いや〜、あの時は辛かった」今だから二人で言える、この言葉。母は誰にも頼れず、一人で本当に大変だったと思う。


以降、定職に就かない娘を赦し、見守り、半ば諦めてきた母。私が五十近くになって、突然と「二人でワークショップをしよう」「着付け教室やって」と数々の挑戦を突きつける度に、一緒に試行錯誤して頑張ってくれた。

言葉にすると、ここ感動的なシーンだが、一方で、私の母を心配する気持ちもむくむくと再発動していった。


その心配が山場を迎えたのが、母が七十七歳で新しい仕事の機会に巡り合った時。奇しくも、私が新たに選んだのと同じ、ファシリテーターと云う職種であった。「私が手伝いますから!」自分の仕事をおざなりにしてボランティアを買って出たはいいが、結果、私の方が消耗してしまった。

その時関わった皆の頑張りが実を結び、今夏、再度、母に仕事の機会が巡ってきた。昨秋から皆で準備し、家でも練習を重ねる母。私はビシバシとツッコミを入れて練習に付き合い、自分の仕事以上に告知に専念した。

無事、二ヶ月に渡る仕事が終わった時には、完走できたことが我が事の様に感慨深く。いやもう、いっそ、自分の伴走の完走に感動していたのだ、私は。



ここで、冒頭の「お母さん、私はもう、親孝行をやりきりました」宣言に戻る。

数日前、自分が好きなこととストレスに感じることを書き出してみた。私は子供の頃から変わらず「書いて、本を読んで、ゲームをしている時間が好き」で、告知やSNSは今はやりたくない。

そのやりたくないことを、ここしばらく、お母さんのために随分やったなぁ。そこに子供の頃からのあれやこれやが重なって、ふと「ああ、もう充分、親孝行してきたんだ」と云う想いが湧いてきた。

それは、穏やかな感情で、ぽっかりと空に浮かんでいる雲みたいに、ただそこに在って、それ以上でも以下でもなく。

大切な人を送る度に「もっと何かできたんじゃないか」と後悔に苛まれて来たのが、今なら、後悔しないでいられる。

別に、今後は親孝行しませんと云うことではなくて。今この瞬間、やれるだけのことはやってきたな、これで一区切り、そんな感じ。

とても大事なことに思えたので、母に伝えたかった。



私の宣言を聞いた母が

「私も子孝行をやりきりました」


聞いた瞬間、心がふんわり柔らかくなった。

そうだね、私たち、二人とも、やりきったよね。

いろいろなことが思い出されて、次に口をついて出たのは

「お母さん、親孝行させてくれて、ありがとう」だった。

「こちらこそ、ありがとう」と返してくれる母。


「私たち、孝行親子だねー」

二人で笑い転げて、ハグをして、涙ぐんで。

やっぱり、言葉にしてよかった。



私たちはもう自由だ。

自分のやりたいことを大切に、つづく日々を過ごそう。

それでもきっと、孝行し合うのだと思うけれど。

その孝行は、笑顔や愛や思い遣り、そんなもので出来ている、心地よいもの。




【今日の一枚】母が今夏の仕事を終えた日に買ったエキナセアの花。本当は、花束を抱えて職場に突撃したかったけれど、自宅待機で花とご飯とケーキでお疲れ様を伝えました。

【#つづく日々に】のタグをつけて、日常で心ときめいたことを投稿中。日常のよろこびをみんなでシェアしあって、笑顔が増えたら嬉しいです。

今日もおつきあい頂いて、ありがとうございます。

【2024.7.16追記】最後の二行を四行に書き直しました。発表後の修正はお読み下さった方に大変失礼だと思っているのですが、私が大切にしたい想いが言葉足らずで伝わりきらないと感じ、手を入れさせて頂きました。申し訳ございません。

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