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おすそわけ日記 202「私が母を選んだ基準」

「子供が母親を選んで生まれてくる」
以前、友人にそう教えて貰った。

想像してみる。
天国で雲の間から下界を見下ろす、生まれる前の私。
この人がいいかな、あの人がいいかなと
眼を輝かせながら目移りしている。

私が母を選んだ基準を想像するに。

一、甲斐性
これはもう、絶対でしょう。
私は二十歳の年に「三十になったら、若隠居。
何の役にも立たず、無駄な知識があるような隠居になりたい」
そう、心に決めた人間なのだから。
親の脛は髄まで啜り尽くせ。

二、耐久性
甲斐性とも関連してくる重要な項目。
元気で真っ直ぐに、幾つになっても働いていて欲しい。
七十過ぎた母に着付けの仕事を取って来る自分の所業が
鵜飼いの鵜匠と、いつも重なる。

三、オトボケ
ネタを拾うとは、生きることと同義なり。
日々、ホームラン級のオトボケを打ち返してくれる母。
まさに、生きる「ツッコミ養成ギブス」
笑いがない家庭なんて、私には想像もつかない。

こうやってみると、色々な意味で
私は母に生かされている。

よくぞ、この母を選びましたと
生まれるの前の私を褒めてあげたい。

昨夜ゆうべ、母にこの話をした。
おやすみなさいのハグの時に
「私がこのお母さんを選びました」と力を入れる。
「私がこの娘を選びました」と母も力を入れかえす。

二人でギュッとして、背中をさすりあって、
「今日もありがとう」と、一日を終える。

とても穏やかで、幸せな瞬間。

嗚呼、本当に。

生まれる前の私は
今の私が望むものを
ちゃんと、知っていたんだなぁ。


【今日の一枚】今年は、近所の梅の木の花がまばら。見上げた母が「寂しいね」と言うものの、私は空の青さが気持ちよくて、まぁ大目に見ますよな気分でした。

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毎日、書く歓びを感じていたい、書き続ける自分を信じていたいと願っています。