見出し画像

おすそわけ日記282「少しの孤独とユーモアがあれば」

もっともっと書きたい。でも、創作意欲が湧かない。

そう云う時はどうすればいいんだろう。

一休さん並に頭ポクポクして、チーンと出てきた答えが

「創作には、少しの孤独とユーモアが必要である」



孤独とユーモアの共通点を考えてみた。

多分、「自分が世界から距離を置いて観察している」じゃないかな。

例えば、大好きな誰かと居る時、私は相手に焦点を当てている。本、映画、ゲームに向かっている時は、物語に没入している。

どれもすごく楽しいのだけれど、対象との距離が近くて、私と世界の輪郭が重なっちゃうんだよね。

私にとっての「ちょうどいい距離感」は、散歩をしている時、ギャラリーで美術作品を観ている時。究極にいいのは、ぼうっと空を眺めている時。

頭に隙があって、心が凪いでいる。

そうすると、世界に目が行き届いて「あ、これ面白いな、書きたい」って反応してしまう。



今の私の生活で、孤独とユーモアの為の時間を成しているのが、近所のお寺の定点観測。

お寺の近くに、ものすごく美味しいパン屋とケーキ屋があるのが定点観測が続いている理由で。

今日も今日とて、猛暑に関わらず、パン買って、ケーキの取り置きを頼んでから、お寺に向かう。



まずは、門の近くに、六体並んでいる笠を被ったお地蔵様にご挨拶。

一体だけ、笠が背中にまわっているお地蔵様がいらっしゃるのが、毎回、気になって仕様がない。頭に直射日光、暑いを超えてるでしょ。

笠の位置を直したら、本当に恩返しに来て頂けそうな佇まいで、これまた毎回、手を伸ばしたくなるのだが、如何せん、手が届かない高さにおられる。

こうやって、私は恩返しをしてもらう機会を、一生逃し続けるんだな。


ご本尊にお参りした後、いつもは堂内でぼうっとする時間を取っているのだが、夏は蚊に喰われることが前回判明。ぼうっとするのをそこそこに切り上げる。

お寺のインスタグラムに「蓮の花が咲きました」とあったので、池の場所をお寺の方に伺う。

「あ、蓮は池じゃないんですよ、鉢に植ってまして」そうなんですね、少し残念。

「それも、昨日の雨で散っちゃったんです」とても残念。

そんな気落ちした気配にお心遣いくださって、本堂を出かけた私の姿をわざわざ追って「鷺草はご覧になられましたか?」と教えてくださった。

わぁ、ありがたいなぁ。感謝の気持ちで、今まで見過ごしていた、蓮の鉢と鷺草が生えている所に立ち寄る。

見事に花がない。

暑いからねー。もう致し方なし。次回の定点観測を楽しみに、お寺を後にする。



ケーキ屋で、先ほど取っておいて貰った、桃のショートケーキを受け取りながら、お店の人にガンガン質問する。

だって、桃のケーキ、いつまであるか知りたいんだもん。この、計り知れない美味しさを一度でも多く、味わいたいんだもん。

納得行くまで話を伺い、いそいそとパンとケーキを持って帰宅。



さぁ、手洗いうがいしたら、掃除して、お風呂入って、美味しいお昼を食べるぞー。

やる気満々で洗面所の鏡を見たら

私、洟水が垂れている。半端ない量。


アレルギーっぽくて洟水出るなぁとは思ってたんだよ。でも、途中から汗と混ざって、わからなくなっちゃって。上唇に届きそうで届かないギリギリのラインなのが、余計に気づかなくさせている。

「で、一体いつから、ハナタレだったんだ、私!?」

自分の行動を振り返り、パン屋は最初だからまだタレ量が少ないはず。お寺の中は暗めだからセーフ。問題は、最後のケーキの引き取り。小洒落た明るい店内でお店の人にめちゃくちゃ話しかけてた。

「うっわー」

恥ずかし過ぎて、掃除機をかけながら叫び、湯船に浸かって、また叫ぶ。

途中、お風呂場の換気扇から「ハナタレ、恥ずかしー!」と叫んでいる声がマンションの廊下に鳴り響いているのではと気づき、恥度MAX。もう消えてしまいたい。



こうして、今日も私は、往復三十分の定点観測から、創作意欲とネタを得るのだ。

少しの孤独とユーモアがあれば、創作は出来る。

それに、鋼のメンタルがあれば、尚、良し。




【今日の二枚】タイトルの写真は、九品仏浄真寺のお地蔵様です。見るからに、恩返ししてくださりそうな佇まいじゃないですか。本文中の写真は、INFINIの桃のショートケーキ。私が今まで食べた桃のケーキの中で最高峰、ジューシーな美味しさが半端ないです。

【#つづく日々に】のタグをつけて、日常で心ときめいたことを投稿中。日常のよろこびをみんなでシェアしあって、笑顔が増えたら嬉しいです。

今日もおつきあい頂いて、ありがとうございます。

この記事が参加している募集

毎日、書く歓びを感じていたい、書き続ける自分を信じていたいと願っています。