DADLA第二回:『傷つきやすいアメリカの大学生たち:大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体』


ごあいさつ

DADLAって何だよ!?って人は第一回の記事をご覧ください。
要は読書感想文です。

 大学生でいられる期間があと二週間を切ったみたいでゾッとしています。よく大学生活は「人生最後の夏休み」と言われますが、私の人生最後の夏休みの最後の春休みは就活と仕事でほとんど終わってしまったんですよね(お仕事の方は昨日(17日)で一区切りとしていただけたのでようやく春休みが始まる!)。ということで大学生でいるうちに、大学生に関する本を読みます。それでは、イクゾー!

『傷つきやすいアメリカの大学生たち』

タイトルは長すぎるので省略しました。

なんかAmazonの紹介欄によると本書とは、

暴力を伴う講演妨害、教授を糾弾し罵倒……
キャンセルカルチャーやポリコレ問題の背景を知るための必読書。
全米ベストセラー、待望の邦訳!

立場の異なる論者の講演に対し、破壊と暴力をともなう激しい妨害を行う学生たち。
教員の発言の言葉尻を捉えて糾弾し、辞任を求める激しいデモを展開。
さらには教授や学部長、学長までを軟禁し、暴言を浴びせる――。
アメリカの大学で吹き荒れるこれら異常事態の嵐は、Z世代の入学とともに始まった。
彼らはなぜ、そのような暴挙を振るうのか?
言論の自由・学問の自由を揺るがす現象の実態と背景、
さらには対策までを示して高く評価された全米ベストセラーがついに邦訳。
キャンセルカルチャー、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)問題を知るための必読書。
」みたいな感じらしいです。間違ってないといえば間違っていないのですが、売ってやろう売ってやろうという魂胆が透けてみえて腹が立ってきますね(良いモノは下品な広告を打たなくても自然と売れる、というようなナイーヴな考えを捨てろ!)。

3つのエセ真理

  1. 脆弱性のエセ真理:困難な経験は人を弱くする

  2. 感情的決めつけのエセ真理:常に自分の感情を信じよ

  3. 味方か敵かのエセ真理:人生は善人と悪人の闘いである。

 この本は上記「3つのエセ真理」と筆者らが呼ぶものが若者及び大学、特にリベラルの若者に対してどのような影響を与えてどのような問題を引き起こしているかについて論じています。要は「広く信じられるようになってしまったこの3つのエセ真理は間違っている!」ということと、翻って「かわいい子には旅をさせよ!」「子どものスマホは1日2時間までにしろ!」といった一見するとジジイの繰り言に見えなくもないことが主張されています。

 特に第一のエセ真理である「困難な経験は人を弱くする」の例示過程においてが顕著です。ピーナッツアレルギーの子供が急増している理由が、アレルギーを恐れる親や先生が子供たちを幼児期にピーナッツから遠ざけていたことだったというあたりは十分納得がいくのですが、「トラウマ」という言葉の意味の拡大のあたりからはなんとも言えない香りが漂い始めます。2000年代初期までに治療共同体において「トラウマ」の概念が下向きに拡大し、トラウマか否かを判断する上で「傷ついた」という主観が大きな意味を持つようになったというのです。

 そして「『(心的)外傷後成長』に関する研究では、トラウマ的な経験をしたほとんどの人が、その後ある意味で、より強く、より良い人間になれたと感じているとの結果が示されている。何も若者を潜在的トラウマから守るのを止めよということではない。人間の本質、ならびにトラウマ体験やそこからの回復のダイナミクスを根本的に誤解しているから安全イズムのような文化が出現するのだ。暴力を耐え抜いてきた人たちが、日常生活に織り込まれているトラウマ体験を想起させるものに慣れていくことは極めて大切である。苦痛を思い起こさせるものを避けるのは、PTSDの症状であって治療ではない」(pp. 50-51)という生存者バイアスがかかってないかと疑ってしまうような一節で違和感は極に達します(でも「苦痛を思い起こさせるものを避けるのは、PTSDの症状であって治療ではない」って一節はしゅき)。個人的にうつ病っぽい高校来の親友がいるので、それはちょっと強人(つよんちゅ)ぬ論理なんじゃないのかなぁなんて思いながら読み進めていました(余談ですが、その友人がうつ病という診断結果が出たとカミングアウトしてくれたときに私は大爆笑してしまいました。困難な経験が人を強くすると信じているので……)。

本書の構造の巧みさ

 とかなんとか文句をつけてきましたが、でもやっぱり本書が面白かったと胸を張って言えるのは「対象が大学生だから」なんですよね。この本は、今困難を目の前にしている人にその困難に立ち向かう方法を授けるための本ではありません(もちろんそういった側面もあると言えばありますが)。先程「強人(つよんちゅ)ぬ論理」と書きましたが、むしろ「大学生は強人にならなければいけない」にもかかわらず「若者が強人に育つことを妨げる環境に社会がなってしまっている」というのがこの本の主眼です。

 そして私が何気なく感じた「それは生存者バイアスなんじゃないの〜〜?」という問いに対しても、この本は構成の段階で回答をしています。2つ目のエセ真理である、「感情的エセ真理:常に自分の感情を信じよ」への処方箋がそれと結びついています。感情的エセ真理を論じる章では、講演によって一部の学生が不快・怒りを感じるならば時には暴力的な手段を使ってでもその講演をキャンセルさせる学生の姿が描かれます。そうした事例や是非を論じたのちに「教育は人々を心地よくさせるものではなく、人々に考えさせるものだ」と述べます。そして、不快な意見であっても寛容の精神で受け止めること、クリティカルシンキングを行い根拠をもった主張を行うことなどを勧めるのです。この本自体が「学者(というか人)がちゃんとエビデンスをもって言ってることに対して、エビデンスを使わずに気分を害するからという理由で排除してはならない」という構造によって守られています。

今わかりました。「強人ぬ宝」はクリティカルシンキングだったんですね!

おわりに

 読者の方には死ぬほどどうでもいいと思うんですが、DADLAってヤツ、やめたほうがいいと思うんですよね。今回のサブタイだって、絶対「強人ぬ宝」とかの方がよかったと思うし、DADLAってよくわかんないし、毎回説明とか参照の断りを入れるのもアホくさいし、ナンバリングが続いていくと初見の人がアクセスし辛くなるだろうし……

私の大学生活、こんなふうに見切り発車での失敗ばっかです

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