今、学校が苦手だと感じる理由を考える❶
学校が好きで、先生が大好きで、それで先生になったと言っても過言ではない私が今、学校が苦手だと思う理由がわかりません。
理由と思しき物事を見つけた時には、書き記していこうと思います。
【学校が苦手の大前提】
勤務している学校のことも、生徒のことも、共に働く先生のことも、私は大好きです。それでも、今、私は学校が苦手だと感じています。その理由の中に、現代の学校について考察するヒントがあるような気がしているからです。
ちびまる子ちゃんの授業風景から
『ちびまる子ちゃん』は原作者の小学生時代(1970年代/昭和45~54年)の日常がモデルとなって描かれている作品です。
ふと目に入った光景で、まるちゃんのお姉ちゃんが作文を発表していました。題目は、「私の家族」
作文を読むお姉ちゃんは、自分の席で作文を読みます。前に来て、みんなの方を向いて読みません。クラスメートは、振り返りや評価をすることなく、ただただ心で作文を聞きます。思い思いに、話を聞いています。
この光景を見た時、ふと心に降りてきた言葉があります。
それは、「ICTは本当に学校を豊かにしているのか」ということです。
ちびまる子ちゃんの中の授業風景と、現在の授業風景、何が違うのでしょうか。
発表する人は、前へ来て発表をする。
話し方、声の大きさに気をつけて、みんなの方を向いて発表をする。
聞いている人は、評価シートを書きながら聞く。
評価シートは、iPadを使って記入する。
評価シートは無記名で、電子共有ノート上で公開される。
あ、私はこの授業がとても嫌なのだと気づきました。つまり、
iPadを使って話を聞いているのか、聞いていないのかもわからない。話が面白いと思っているのか、つまらないと思っているのかもわからない。心の通わない授業が、とても苦手なのだと。
そのような環境整備できないまま、前で生徒が発表するのを黙認しているのが、とても苦痛なのだと。
そして教員として、思考ツールとして使用しているのか、時間潰しとして使用しているのか、それがわからないiPadの使用について指導をすることができない日々に、葛藤していることにも気づきました。
現代の授業でもできること
ちびまる子ちゃんの授業を見て、実践しようと思ったことがあります。
iPadを全く使用しない授業を、行いたい。
話し方など目に見えるものではなく、目に見えない心のやり取りがある授業を、行いたい。
評価につながらないような、その日の出来事や見え方が変わるような、そんな授業を行いたい。
生徒が「人と違う自分」を特別だと思えるような授業を行いたい。
ICT活用の在り方について見直すことで、学校への苦手意識を克服したいです。今、私は、頭を使うことなくICT機器に依存しています。
HSP・エンパスの気づきを無視することも大切なのかな
なんとなく、学校ではタブーになっている「家族」を題材に作文を発表している光景も、とても心に残りました。
実は私も、先日とある豚の家族を題材にしたアニメを用いてリスニングの授業を行っていました。しかし、アニメを見ながらそれを教室で流すのが苦しくなってしまいました。
その理由は・・・
お母さん豚、お父さん豚、弟豚、そして主人公。
理想の家族像が当たり前のように描かれるストーリを見ていて、とても苦しくなってしまいました。その場にいる全員が、見ていて気持ちの良いものではないだろうと考えたからです。
そして、ついには授業で扱うことを断念しました。
しかし、今日のちびまる子ちゃんはどうでしょう。作文では「私の家族」について、みんなの前で発表しています。私は、リスニング教材として家族が登場するだけで、ドキドキ、ヒヤヒヤしてしまいます。
HSP/エンパスだからって、全ての心配や気づきから
誰も傷つかないようにって
事前に防ごうとしなくても良いのかなと思いました。
「不適切にもほどがある」というドラマでも同様の感想を抱くのですが、現代の「思いやり」や「気遣い」の在り方について大変悩ましく思います。
HSP・エンパスの性質上、より一層多くの心配、懸念を抱えて授業を行っていることにも気づきました。
一人一人の状況や性格に応じて最も安全な策を選択するのもきっと大切ですが、時にそれが本当に正しいかどうか、自分の問いかけてみようと思います。
全ての気づきを行動にしなくても、
良い時だってあるのかもしれないと思った、今日も大切な日です。
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