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移籍の流儀を考えてみた

最近、移籍について考えさせられることが多い。

会社を変わる、記者であればメディアを変えることもあるだろう。いずれも「移籍」と考えると、移籍は人生を左右する大事である。今回は記者キャリアという視点から、移籍で心掛けたいことを考察したい。

過去の実績を捨てる

僕自身、建設会社からフリーライターへと転職1回、フライデー編集部から文春編集部への移籍を1回経験している。連載「週刊誌という世界」を読んでもらうと分かると思うが、僕は割とウェットなので移籍の数は多いほうではない。

移籍する理由にはいろんなケースがあると思う。今の職場が嫌だ、キャリアップしたい、いい会社に行きたい、年俸を上げたいetc。僕の場合は「原稿を書きたい」(詳しくは連載「週刊誌という世界」に)という理由がいちばん大きかった。

個人的な経験上、移籍する上で最も重要なことは「過去の実績を捨てる」ことだと思う。過去の実績は過去でしかない。移籍先で問われるのは新しい会社でどう実績をあげるかであり、会社に馴染むか。それぞれの会社にはそれぞれの流儀があり、移籍当初はまずは馴染む努力をすべきだと思う。

自分で言うのも何だが、僕は文春に移籍してスンナリ受け入れられた方だと思う。文春流に馴染む努力を半年は続けたつもりだったし、その半年で結果を出さないといけないという緊張感も持っていた。

僕の後にも、文春には様々な移籍者が来た。彼らを見て思うのは、移籍して文春でも名前を上げた記者に共通して言えることは、仕事に真摯で謙虚であり、編集部の流儀に合わせる努力をした人が全て成功している。逆に「僕は自分流で取材しますんで」と言って自己流を貫こうとした記者は全て燻っているか、もしくは文春を去ることになっている。

結果で答える大谷流

もし自己流を貫きたいなら大谷翔平を見習うしかない。大谷翔平は二刀流批判に対して「結果で黙らせるしかない」と考えていたという。日ハムからエンゼルに移籍した当初、アメリカでは、「二刀流は無理だ」「投手に専念すべき」という議論が噴出していた。日本でも最初はそうだった。大谷はそうした声を結果で封じてきた。今年はホームランをバカスカ打ち二刀流の価値を確立することで唯一無二の存在となった。だがご存知のように、野球界では大谷は100年に1人の逸材だからこそ出来たことでもある。

つまり何が言いたいのかというと、自己流でやりたいなら結果で黙らせるしかないということなのだ。

それは不満を抱えがちな新人記者にもいえる。

「大学を出てまでこんな地味なことをしないといけないのか?」

新人からこうした不満の声を聞くことも少なくない。もし今の会社の仕事の流儀に不満があるならば結果を出すしかないのだ。新人でもスクープを取る術はないことはない。だが結果を出すことが難しいというならば、調和するしかないのだ。現場に調和をするということは記者の資質の一つであり、その意味でも職場の流儀に合わせることは記者修行の一つになるからである。(*ここでの指摘は「夜回り」など、現在のメディアで必要とされる地味な仕事についての話だとご理解を頂きたい。トップ記者でも「ここぞ」という時には夜回りをする人がいるくらい重要なスキルだ。けっしてハラスメントを受けて職場を変えたい、職場の人間関係が悪くて移籍したいという考えを否定するものではない)


キャリア移籍の場合はどうすればいいか。同じことの繰り返しになるが、自己流を貫くならスクープで黙らせるしかない。具体的に言うと移籍(編集部に入ってから)して一か月以内に180メートルホームラン級のスーパースクープを出せば、誰も文句を言わなくなるだろう。

記者移籍で留意しておくべきことがある。記者は常に"人を疑ってかかる人種"であるということである。例えば「僕は週刊●●のエース記者でした、文春でも同等以上の扱いをしてもらうべきだ」という記者が移籍してきたとする。編集部員は「あいつ本当にエースだったのか? まずお手並み拝見」と必ずなるのだ。結果を出せばやがてリスペクトも集まる。結果がないままに自己流を貫こうとすると、「あいつは調査報道の基本である”協業”が出来ない」と早々と失格の烙印を押されてしまうのだ。

僕が取材班キャプをしていたとき、よくこんなことがあった。

僕が「エリア分けして地取りをしようか」と提案したら、移籍者が「僕、ネタ元と約束してるので会ってきますね」と言ってサーっと現場からいなくなるのだ。

僕は各人のやり方を尊重はするフリをするので「わかった」と了解する。たが心中では「協議での地取りをしないなら、最低でもスクープ情報を取って来ないと許さん」と思う訳である。

このケースでスクープ情報を持ってきた記者は、経験上皆無だった。彼らの評価も下がり、次からはキャプも重要な取材を頼まなくなる。

つまり自己流を貫くということは、結果でしか評価されないという茨の道をあえて選ぶことになるのだ。

移籍成功の2パータン

まとめると移籍で成功するには2パターンしかないのだ。1つは編集部馴染み、努力する姿勢を見せながら評価を再構築していくパターン。もう1つは移籍と同時かスグにスーパースクープを放って結果で黙らせるというパターン。僕みたいなタイプの記者は当然前者で行くしかないのだ。

レジェンドと評されるサッカーのビエルサ監督は「偶然の結果を過信してならない」と語っている。選手が成長する為には正しいプロセスを踏むことこそが大事だと彼は続けるのだ。

これは記者業も同じで1つの成功が永遠の成功を約束するものではない。常に初心から始め、地味な仕事の積み重ねをしなければならない。スクープは努力から生まれるが、努力したからといってスクープが必ず取れる訳ではない。移籍者も記者としての実力を証明するためには、結果と努力のサイクルを力強く回して行くことによって実力を証明し。評価を得ないといけない。

評価は時間と深い関係性があると僕は思っている。僕が最初に所属したフライデー編集部には3年いたが、3年間僕の仕事を観察してきたデスクは確固たる評価をしてくれる。

しかし移籍初年度では、そこのデスクは自分のことをよく知らないから1から観察されることになるのだ。つまり、少なくとも3年は経たないとフライデー時代以上の評価を受けることは出来ない可能性が高い。そしてフライデー時代以上の評価を受けて、初めて移籍は成功だったと言えるのだ。

期は熟しているか?

そもそも作家ではないので、記者は「協業」をすることが多い。週刊誌は特に協業と分業で成り立っている世界だ。だからこそ馴染む努力は必要なのである。

付け加えると、移籍には「期は熟す」という考えが僕は大事だと思っている。特に週刊誌は常に優秀な人材を求めているので、移籍を打診されても慌てる必要はない。いまの職場に義理を欠かない形を考えるとともに、自己を見つめる時間も大切となる。

某記者の相談に乗ったとき、僕は彼の現状と悩みと目標をなるべく丁寧に聞くようにした。つまり熟慮を重ねれば、おのずと導かれるように答えは出てくるのである。導かれて出た答えは正解であることが圧倒的に多い。

「今の編集部でやりきった感はあるのか?」

「自分は記者としてある程度成熟したといえるか?」

「新しい職場で1から実績を再構築する気概はあるのか?」

「そして更なる成長を目指すモチベはあるか?」

 こうしたことを鑑みて熟慮すべきかなと思う。拙速な判断はときに「後悔」を産むが、熟慮は「決意」を育むことのほうが多い。だから「期は熟しているのか」を考えることが必要だと僕は思うのである。移籍するタイミングは自分で選ぶくらいのほうが丁度いい。

 




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