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短編小説「カッフェー」

 恋人の沙織との喧嘩ほど精神と体力を減らすことはないな。同棲するあのワンルームから逃げるようにこのカフェに入店して1時間ほど経つのに、俺はまだイライラしている。
 イライラしている時は関係ないことにも苛立ってしまう。例えば、俺の席から通路を挟んで向かいの席にいる女子2人。歳は20代後半といったところか、チーズケーキを完食しておいて「私、ダイエットするって決めたの」じゃねぇよ。
 そして後ろの席の男子大学生集団。同じサークルの女子をランク付けしている場合か。鏡見てこい。特に蛍光色ピンクのパーカー着て中途半端な茶髪のお前はいろいろと間違ってるぞ。
 盗み聞きをしたわけじゃないが、ひとりで席に座ってぼーっとしていると自然と聞こえてくる会話にツッコミたくなる。
「今度の授業、俺休むから」
「え、なんでですか?」
「いや、地元の仲間とラウンドワン。だから俺の出席票代わりに出しといて」
「いや、兄さんそれズルいっすわ〜。俺も連れてってくださいよ〜」
「お前だけ浮くだろ」
「あ、もうガンガンにイジって大丈夫なんで〜」
 と、こんな感じで聞こえてきてしまう。しかし、「兄さん」って。芸人の上下関係真似してイキるなバカが。どんなバカが言ったのか確認したくて自然な流れで後ろを振り返りチラッと大学生集団を見た。おまえか、ピンクパーカー。やっぱり間違ってるぞ。
 何の気なしにスマホを開き、時間を確認して画面を消した。日曜日の午後2時か。嫌いだな、午後2時。何もすることがないと退屈を1番感じやすいし、仕事などのやらなければならないことをしているとこのままでは夕暮れを迎えてしまうと焦ってしまう。しかも3月中旬の今日は雲ひとつない快晴でほんのりと暖かい。じわじわと暖かさを感じるのも嫌いだ。なんでこんなに日に限って心地良いのか。
 俺はまたスマホを開いてTwitterをながめた。別に気になる情報なんてない。ダラダラとタイムラインを流し見ているとアニメアイコンのユーザーが日本国憲法に関する記事を引用リツイートして政権批判を呟いていた。俺はそのユーザーのプロフィールを覗いた。こういう政治ツイートをしている人は何が趣味なのかと気になった。
「SSRゲットしました」
 知らないソーシャルゲームだ。画像には明らかに守備力なんて考えていないほど肌を露出させた装備で長槍を持っている少女キャラが写っている。政治とはギャップがありすぎてなんだかむず痒さを感じた。
 トレンドワードには炎上とあった。火事かと思い調べてみれば、YouTuberが食べ物を粗末にするような動画を投稿していたらしい。あるあるネタで有名な人気者らしく、ファンの間で物議を醸しているとのこと。
 そのYouTuberの動画をいくつか見た。番組終了が近くなってきた頃のエンタの神様を見ているかのようだった。
 俺は無言でスマホを閉じた。あー、無駄な時間だった。分かりきっていたことだが。
 目の前のアイスココアはほぼ無くなっていた。また注文することとしよう。俺は呼び出しボタンを押して店員を待った。
 注文の対応は女子大生バイトさんと思われる店員がしてくれた。彼女はアイスココアのおかわりとフレンチトーストのオーダーをハンディに打ち込み終わると俺に一礼して厨房へと戻っていった。俺は後ろを振り向いた時に見えたその店員の三つ編みハーフアップの髪型に目を奪われた。
 あの店員さんはこの後彼氏とどこか出かけるんだろうか。そう思ったのも、恋人の沙織と出かける時にはその髪型を沙織がいつもしているからだ。俺が数分で出かける支度を済ませるのに対して、沙織は何十分と鏡と睨み合い、ドライヤーやヘアアイロンを握っている。隣町のショッピングモールに暇つぶしで出かける時でもその髪型をしてくれていた。いつだったか俺がその髪型が好きだと伝えてから頻繁にしてくれるようになった。
 先ほどの店員がアイスココアとフレンチトーストを運んできてくれた。俺はその店員が厨房へ戻るまでその髪型を見ていた。
 俺は少しアイスココアを口にして、フレンチトーストへと手を伸ばした。少し熱が残っていて焼きたてであることがわかる。
 俺は自宅でフレンチトーストをよく作っている。気軽に作れるから小腹が空いた時は頼ってしまう。ひと口トーストを食べてみて感じた。俺がいつも作っているのと少し違う味がする。その違いは牛乳なのか卵なのか、それとも砂糖の分量なのか分からず、メニューを開いた。フレンチトーストのページには、ハチミツを使用していることが記載されていた。なるほど、ハチミツか。今度試してみよう。沙織も喜んでくれるだろうか。
 お互い休みの日で遅く起きた時は俺がフレンチトーストを作っていた。特に寒い冬はココアとコーヒーを淹れて2人で暖め合っていた。コーヒーの飲めない俺に向けてドヤ顔でコーヒーを飲む沙織には憎めない愛嬌があった。食べ終えた後、寒さに負けて2人ともベッドへ戻ってしまったり、2人で録画しておいたバラエティ番組を見たりする時間がとても楽しい。
 今、食べているフレンチトーストはパンの生地も素晴らしかった。またメニューを確認するとこのカフェ独自のパンらしい。どうやって作っているのか知りたいな。
 フレンチトーストを食べ終え、アイスココアで口を潤していると、店内にゆずの「桜木町」が流れた。
 流れた瞬間、俺はすぐに桜木町だと分かった。よく沙織が歌っているからだ。沙織はこの曲を事あるごとに口ずさんでいる。俺と一緒にいる時は、俺が北川悠仁パート、沙織が岩沢厚治パートを歌ってハモるのがお決まりとなっている。歌詞の内容を読めば別れた彼女との思い出を歌った曲ではあるが、俺と沙織にとってはお互いの仲を深め合う曲だった。2番の歌詞にある岩沢厚治パートの「大きな観覧車 花火みたいだねって 笑った君の横顔 時間が止まってほしかった」を沙織が歌った後、俺が隣で時間が止まったフリをして、沙織が俺をくすぐるまでがお決まりのパターンだった。
 アイスココアを片手に桜木町を聴く時間が心地よい。客がいなければ歌ってしまいそうなほどだ。周りを見ると向かいの席の女子2人組はすでに店を出ていて、空席となっていることを知った。
 しばらくして、その席に老夫婦が座った。お婆さんはお爺さんがまだ座っている途中だというのに、店員にミルクコーヒーとエスプレッソ、そしてナポリタンと取り皿を2皿注文していた。店員が下がるとお爺さんがメニューを開いた。
「おとうさん、もう頼みましたよ」
「え、なにをだ?」
「エスプレッソ。私はミルクコーヒー」
 お爺さんはお婆さんが注文を済ませたことに気づいていなかったようだ。
「エスプレッソが飲みたいってよく分かったな」
「最近、砂糖無しでコーヒー淹れてたから苦いのが好きになったんだと思って」
「ありがとう。そうだ、まだ昼食べてないだろ。ナポリタンでも頼むか」
「もう頼みましたよ」
 そう言うと老夫婦は笑い合っていた。
 アイスココアももう少しで飲み切ってしまいそうだ。いつのまにか大学生集団も若いカップルに変わっていた。
 俺は沙織に「さっきはごめん。今から帰ります」とLINEのメッセージを送った。
 俺は卓上の伝票を手に取りレジへ向かった。するとレジの隣にこのカフェ独自のトーストが販売されていた。6枚切りのトーストを手に取り、会計を済ませた。
 店を出ると少し風が吹いていた。日も落ちてきて気温もグッと下がっているようだ。ホットココアを飲んでいればよかったと思った。
 そういえば、家に卵はまだ残っているか心配になった。念のため買っておこうと思い、家には帰らずスーパーに寄ることにした。
「ごめん、スーパー寄ってから帰る」と沙織にLINEのメッセージを送る。先ほど送ったメッセージには既読が付いていなかった。まだ怒っているのかな。
 俺は自宅近くのスーパーに行き、卵とココアパウダーを買った。スーパーを出る頃には外はだいぶ暗くなってきていた。
 自宅とスーパーの間にあるコンビニを通り過ぎようとした時だった。コンビニから沙織が出てきた。
「え、どうしたの?」
「いや、ちょっと暇つぶしに出てきた」
「LINEしたんだよ」
「あ、ごめん。気づかなかった」
 沙織の手にはビニール袋がぶら下がっている。
「何買ったの?」
「ココア」
「え?」
「寒くなってきたから飲むかと思って。そっちは何買ったの?」
「トーストと卵と…」
「もしかしてフレンチトースト作る?」
「うん」
「いいね!ちょうど食べたかった」
「あと、ココアも買った」
「マジか。偶然だね」
 俺と沙織は少し笑った。
「さっきはごめんな。言い過ぎた」
「私もいろいろ言ってごめん」
「帰ろ?」
「そうだな」
 沙織が家に帰ろうと歩き始めた時、俺は気づいた。
「あれ?髪結んだの?」
「あ、ちょっとね。ハーフアップだけど編み込みがないパターン」
「それも似合うね」
「ほんと?」
 そう言うと沙織は微笑んだ。俺もそれにつられて口角が上がった。
 俺は沙織の隣を歩いた。歩幅を合わせて同じ速さで歩いた。
「大きな観覧車 花火みたいだねって」
 沙織がゆずの桜木町を歌い始めた。
「笑った君の横顔 時間が止まってほしかった」
 そして俺は足を止めた。それを見計らったかのように沙織が腰をくすぐってきた。
「はい、これで喧嘩したことはチャラね」
 そう言いながら沙織は自宅へ駆け出した。





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