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短編小説「バスが来るまで」

 日中降り続いていた雪は夜になると止み、カラフルだった街を白くした。すっかり夜が馴染んだ街では、人々は電気も消していた。
 白くなった住宅街の道を幹太と美咲は歩く。二人の他には誰も見かけない。
 雪で道端は埋められてしまい、二人は道の真ん中を歩いた。会話もなく、ただ白い息だけが溶けていく。車も通らない、人影も無い。
 美咲は大きめのリュックを背負い、両手を上着のポケットに入れて歩く。幹太は手に持ったスケッチブックを落とさないように両手で抱えて歩く。
 そんな空気が気まずかったのか、
「寒いね…」
 と、美咲が歩きながら言う。
「寒いな…」
 幹太も続けて繰り返す。
「寒いね~」
「寒いな~」
 ただ繰り返すことしかできない幹太は歩き始めてからずっと悲しげに下を向いて歩いていた。
「幹太」
 美咲が呼ぶ。幹太はその言葉で顔を上げ、美咲を見た。
「今日は、ありがとう」
 美咲は屈託のない笑顔で幹太に言った。
「うん。こちらこそ…そんなに変わったことはしてないけどね」
「いいの、いつも通りで接してくれたから嬉しかったし」
 幹太は申し訳なさそうな顔をしていた。
「バス停までどれくらい?」
 美咲がたずねた。
「全然、まだだよ」
「そっか…」
 二人は歩き続けている。
「次、会えるとしたらいつになる?」
 幹太が聞く。
「そうだね、会おうとしたときかな」
「なんだよ、それ…」
「だってわかんないんだもん。幹太は絵を描くので忙しいみたいだし」
 幹太はスケッチブックを握りしめた。
「そんなのいつでもやめて会いに行くよ」
「ダメだよ! せっかく仕事が来るようになったんだから」
 美咲は強く幹太に言い放つ。
「うん、ようやくバイトもしなくてよくなったし、美咲には本当に感謝してる」
 美咲は満足気な顔をして、
「でしょ? 私のおかげだよね」
 と言った。その言葉に幹太は頷く。
「これから行くところはどんなところなの?」
「わかんない。でも遠いのはわかる…」
「そっか…」
 幹太は悲しくなった。
 美咲はすでに割り切った顔をしている。
「美咲、もう少しゆっくり歩こう」
「そうだね。ゆっくりね…」
 二人はゆっくりと歩いた。白い道をゆっくりゆっくり歩き続けた。
「そうだ。幹太、これ見て」
 美咲はおもむろに言った。美咲のポケットから手袋を取り出した。手袋はところどころほつれている。
「これ…」
「懐かしいでしょ?」
 美咲は手袋の右手を幹太に渡した。



 去年のクリスマス。幹太と美咲は幹太の家でパーティーをしていた。小洒落たレストランを予約するほどに、幹太には財布に余裕がなかった。
「それにしてもこの部屋寒いね」
 美咲はコートを着たままでいる。
「まあ、家賃安いからね。ごめんね」
 幹太は大学を卒業してからこの部屋で一人暮らしをしていた。お世辞にも良い環境とは言えない。
「大丈夫、カイロ貼ってあるから。それよりさ」
 美咲は話題を切り替えて、幹太にプレゼントを渡した。
「お!ありがとう!え、開けていい?」
「もちろん」
 幹太はおもむろにプレゼントの包装をといた。美咲は包装がもったいないと乱暴に開けられた包装を丁寧に畳んだ。中から取り出すと、それは多色に揃えられた色鉛筆セットだった。
「すげえ…ありがとう!」
「色鉛筆買う余裕ないと思ってさ」
「まじ嬉しい!大切にする!これで絵描くよ!」
 幹太は色鉛筆セットを作業机に置いた。
「美咲」
「なに?」
 幹太は作業机の引き出しから包装された袋を取り出した。
「実は俺からも美咲に…」
「え! 嘘!」
 美咲は驚いた。お金に余裕がないと思っていたからなおのこと驚いた。
「そんな大したものじゃないんだけどさ…」
 美咲は袋を受け取り、中身を取り出した。手袋だった。
「え~嬉しい!嬉しい!」
「ほんとはお揃いのやつをもう一つ買いたかったんだけど…」
「そんな無理しようとしなくていいのに~幹太ありがとう!嬉しいな~」
 美咲は嬉しさに満たされている。すると、美咲が提案をした。
「ねえ、外行こう!」
「え?寒いよ?」
 幹太は乗り気ではない。
「だってせっかく手袋貰ったんだもん!使いたいじゃん」
「使えばいいじゃん、この部屋なんて外みたいに寒いんだから」
「じゃあ外でもいいじゃん! せっかくクリスマスなんだから外出ようよ」
 幹太は嫌々立ち上がった。
「時間がもったいない!早く行こう!」
「はいはい、もったいない、もったいない」
 すると美咲は貰ったばかりの手袋を左手にはめ、もう片方の右手は幹太に差し出した。
「え? はめないの?」
「だって私だけしたら幹太がかわいそうじゃん。だから分けてあげよう」
「そしたら美咲の右手が寒いじゃん」
「大丈夫」
 美咲は右手で幹太の左手を握った。
「あったかい」
 幹太は照れくさくて美咲から目線を外した。



 幹太は渡された手袋を右手にはめた。
「あったかいな…」
「でしょ?はい、こっちも」
 美咲は右手を出した。幹太はスケッチブックを右の脇に挟み、左手を出す。
 二人は歩き続けた。
「今でも持っててくれたのか、嬉しいよ」
「そりゃあね。捨てるなんてもったいないもん」
「出た。美咲のもったいない。よく言うよね」
 二人はそんなことを言いながら歩く。
「俺も美咲からもらった色鉛筆、いつも持ち歩いてるよ」
 幹太は背負ったリュックを指した。
「スケッチブックも入れればいいのに」
「入れるにしてはスケッチブックが大きくて…」
「もっと効率的なバッグ使えばいいじゃん」
「持ってないよ。それに、スケッチブックは俺の…なんというか、夢なんだ」
 幹太は美咲を見つめる。
「だからさ、その夢はリュックに収まりきらないくらいデッカイ…みたいな?」
「はいはい」
「え…流すなよ…」
 美咲は少しあきれてしまったが、微笑んでいた。
「あー、温かいもの食べたいな~」
「いきなりだな…まあ、わかるけど」
 二人とも温かいものを想像する。すると美咲は、
「グラタンがいいな~」
「グラタンね~」
 幹太が何か思いつく。
「グラタンと言えばさ、作ってくれたよね。夏に」
 美咲は吹き出した。
「あった!あった!そんなこと」
 幹太もつられて笑う。
「びっくりしたよ。夏だから逆に暑いもの食べたいって言ったら、グラタンだもん。普通はラーメンとかさ、カレーとかさ」
 幹太は笑っている美咲を見ながら話を続けた。
「あのときはごめんね。おかしいね」
 美咲は笑いながら謝った。すると今度は美咲が思いついて、
「幹太だってさ、クッキー作ってくれたじゃん?」
「あー、あの時ね。何回するの?その話」
 今度は幹太が吹き出す。
「だってさ、クッキー作ったって出されたのが餃子みたいな形だったんだもん」
「仕方ないじゃん。型に入れるっていう発想がなかったんだから。適当に千切って加熱すれば膨らむと思ったんだよ」
 美咲はさらに笑う。
「ありえなかったな~。甘い餃子だった」
「もういいって!」
 幹太は笑いながら美咲に言った。
 二人は歩き続ける。それでもなお温かい食べ物を思い浮かべている。
「そういえばさ、季節関係なく、美咲って湯豆腐食べたいって言ってたよね」
「え?それ聞く?」
「え?どういうこと?」
 幹太が不思議がる。
「いや、幹太って豆腐ばっか食べてたじゃん?」
「うん、安いからね」
「だから冷蔵庫には豆腐ばっか…」
「うん」
 幹太は食い入るように美咲の話を聞く。
「でも確かに湯豆腐は好きなんだけど、それが原因じゃないんだよね」
「え?じゃあなんで?」
「幹太さ、部屋でいつも作業してるじゃん?」
「うん、そりゃあね」
「よくスケッチブック広げてさ、さあ何描こうか!みたいにして」
「そうだね」
「でも、ネタが浮かばん!とか言って全然描けないじゃん?」
「はい…もっと頑張らないとな…」
 幹太が少し反省する。
「頑張れ~って思うんだけどさ、白紙のスケッチブック見てたら…」
 幹太が察する。
「それ以上は言うな」
「ごめん」
 美咲は笑った。幹太はスケッチブックを持ち直した。
「あ、見て。バス停」
 美咲が指をさす。話をしているとバス停まで着いた。
「あっという間だね」
「そうだね…」
 二人は黙ってしまった。二人はバス停の横に並んで立っている。
 美咲が時刻表と腕時計を見た。
「あと十二分後…時間が余った…」
 幹太はそれを聞いて、
「本当に美咲は時間を無駄遣いしないよね」
「もったいないもん…」
「はいはい。思えば、料理しながら洗い物したり、電車に乗るときは必ずICカードだったり。本当に効率的だね…」
「まあね…」
 幹太が思い出にふける。幹太にとってはそんな些細な日常でさえ愛おしく思えて、胸が締め付けられる。
「今日もバスに乗るときはICカードだよ…」
「そっか…」
 美咲の声は無表情だった。幹太は美咲がバスに乗る姿を想像してしまった。今までの大切な思い出たちが寒い夜の中、二人を温めようとして逆に苦しめる。
「幹太、次はいつ会えるかな?…」
「会おうとしたとき、なんだろ?…」
 幹太の言葉に美咲は何か込み上げてくる。
「そんなこと言ったら、明日だね…」
 幹太は何も言えなくて悲しくなる。
「幹太、そんな顔しないでよ」
 美咲は幹太に言う。その声は震えていた。寒さなんかじゃない。
「幹太、何で私たちって付き合ったんだっけ?」
 幹太はその問いに考え込む。
「俺は…出会ったときに、何か描いてみてよって言ったの覚えてる?」
「覚えてるよ、下手くそだったけどね」
「あの時、美咲は公園で遊ぶ親子を描いた。下手だった」
「ちょっと」美咲はムッとした。
「だけど、右端に太陽を描いたじゃん?」
「そうだっけ?」
「しかも紫色で」
「え?」
 美咲は驚いた。少し恥ずかしくなった。
「ふつうはオレンジとか赤とかで描くのに紫色。そんな常識に捉われて無いところに惚れたんだ」
 美咲はさらに恥ずかしくなった。
「そうなんだね。私はね…」
 今度は美咲が話し出す。
「一番最初に見た絵がすごいお気に入りだったの」
「えっと、どんな絵だっけ?」
 幹太が思い出そうとする。
「たくさんの人が手を繋いで地球の上に立って輪をつくってる絵。しかも足元にはたくさんの武器…」
 幹太は思い出した。
「あれか…」
「最初はよくわからなかったんだけど、エピソードが素敵だった」
「え?俺なんて言ってた?」
 美咲は語りだす。
「世界中の人が手を繋いだら武器なんか持てない。そうすれば世界は平和になるんじゃないかって言ってたよ」
 それを聞いて幹太は顔を真っ赤にした。
「うわ~めっちゃ恥ずかしい!うわ~イタイ奴じゃん!」
「でも、そんなスケールの大きいところが好きなんだよ」
 美咲が言う。幹太は照れている。
「私は、これから遠くへ行っちゃうけど、また会えるよ」
「美咲…」
「幹太が絵を描いてれば、また会えるって。絵がきっかけで付き合ったんだもん」
 幹太は何かを決意するようにスケッチブックを抱きしめた。美咲はそれを見て、
「幹太、私に何か描いてよ」
「え…」
「お願い…」
 美咲の目はまっすぐ幹太に向いている。
 幹太はリュックから美咲から貰った色鉛筆セットの中から白色鉛筆を取り出し、スケッチブックを開いた。
 幹太は思いっきり白色で描いた。そして、右端に白色で書いた。
 幹太は出来上がった作品をスケッチブックから切り離して、美咲に渡した。
 美咲は受け取って眺めた。真っ白な画用紙だ。
「どういうこと?」
「雪景色」
「なにそれ」美咲は笑った。
「白って、色の中で一番染まりやすい色なんだ。だけど、俺たちは染まらないでいよう。いつまでも…」
「うん…」
 美咲はその「雪景色」を大切にリュックにしまった。
 二人は見つめ合った。その時、二人を明かりが横から照らした。
「来ちゃったね…」
「来ちゃったな…」
 美咲はカードを取り出した。美咲は一歩足を伸ばして、乗り込む。
 もっと二人で話したかった。もっともっと伝えたかった。もう簡単には会えなくなるのに、幹太は立ち尽くしていた。
 幹太はどうすることもできなくて下を向いた。
 美咲が遠くへ行ってしまう。それなのに…。
 悲しさがこみあげた幹太に美咲の声が聞こえた。
「すみません、両替お願いします」
 幹太はハッと顔を上げた。
「美咲…」
 美咲は運転手から両替した千円札から五百円玉を精算機に入れた。
「美咲!」
 お釣りが時間を無駄にして計算されてから出てきた。
「美咲、大好きだ!」
 美咲は振り返って笑った。泣いていた。バスのドアが閉まった。
 美咲がどんどんと遠くなっていく。
 幹太はそれをじっと見つめた。
 幹太は大きく息を吸い込み、大きく吐いた。
 白い息が夜空に消えていった。

                                    完




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