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『親愛』

 貴方に手紙を書かなければならないような時代になってしまったことが本当に残念だよ
人はもっと簡単につながれるはずだったのに、この時代に生きているはずのぼくがこんな前時代の方法でしか貴方とつながれないなんて。もし貴方がこれに無関心であるならば、今すぐ考えを改めたほうがいい。その有り余る欲求は本来そういうことに向けるべきだ。

ぼくは、今日君に打ち明けなければいけないことがある。
そうでなければ筆を執ることなんてなかった、あたりまえだね。ひとつずつ説明するから、ちゃんと読んでほしい。貴方が手紙を閉じようとしたときに、その手を止められないのはこの通信手段の悪いところだ。

ぼくが貴方に会ったとき、ぼくは君のことが嫌いなやつなんていないって言ったけれど、あれはウソだよ。もう気づいているかもしれないけどね。
ぼくなんだ。ぼくは貴方が嫌いだった。

ぼくには一人妹がいる。ぼくは彼女のためなら世界中の人間を殺すことができる。
でもその妹は、ある日を境に笑わなくなってしまった。ここで説明するための余白がないけれど、きっかけになることはあった。でもここではそれはあまり重要ではないんだ。
とにかく笑わなくなってしまったことが重要なんだよ。

でも貴方はいつも笑ってた。なにも考えずに、ただ笑う。貴方は役を通さずに笑うその顔が憎らしくて憎らしくてたまらなかった。貴方みたいなやつが簡単に笑える世界で、ぼくの妹は笑うことができない。解くことができない疑問は、怒りだよ。絶え間なく生まれる苦しみが怒りを生み続ける。怒っていたんだ。

だから、貴方を殺そうと思った。これが二つめの告白だ。殺そうとして近づいた。貴方は知らないかもしれないけれど、人間は案外簡単に死ぬ。世界に味方が何人いようと関係ない。死ぬときはひとりなんだから。だから、ぼくが貴方を殺すのだって容易いんだよ。貴方がいつか本当に人を憎らしいと感じたとき、いくらでも方法が思いついて、そのことについて怯えるかもしれないけれど、つまりこういうことなんだ。

 でも貴方は手紙を読んでいるし、死んでいない。ぼくは貴方を殺せなかった。
 だから、貴方のもとを去らなければならなくなったんだ。これが三つめの告白だ。ぼくは貴方よりも力が強くないし、身体も小さい。そういう生物だ。望んだわけじゃないけれど、貴方と姿かたちは似ているのに、異なる生物なんだ。ぼくと妹はこの生物で生まれてきたことによって、むかし随分搾取された。 なにも持っていないはずなのに、確かに何かを失った。貴方にはそんな経験はないだろう。それが「性差」だ。
貴方のような人を殺す仕事は、自分の人生を担保に手に入れた。だから貴方が生きているということはぼくの生命が脅かされているということだ。せっかく奪わないでいたモノを自分の存在によって危機にさらすなんて意味のないことは、私の美学に反する。

 貴方を殺さないでいた理由は、好意ではない。同情でもない。これは、開戦の合図だ。
いずれ向き合わなければならなかった、憎しみとの戦いだ。貴方はきっかけに過ぎないのだから、気にかける必要はない。というよりも貴方にはぼくに関する記憶をなるべく消して生きていってほしい。

 元気で。

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