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キラキラなんてしていない青春、でもそこにある成長が美しい小説

坪田侑也『八秒で跳べ』は、高校バレーボール部選手の主人公が怪我による挫折から再生するまでの物語だ。主人公の景は試合直前の練習帰りに忘れ物に気づき学校に戻ると、フェンスを乗り越えようとする同級生、真島綾を見つける。驚いて自転車ごと転んでしまった景は翌日の練習試合で怪我をしてしまう。

表紙はスカイエマさんの装画で、たくましい体つきの選手がスパイクを打とうと跳び上がったところが切り取られている。そこに著者の同級生がデザインした題字が走るように配置され、疾走感がある。しかし、この小説は主人公が怪我するところから始まり、コートの外からの景色が続き低体温な感じだ。だからこれはよくあるスポーツ小説とはちょっと違って、プレーする主人公を追うというよりは心の内を追う面が強い、超内省型物語だ。

コートの中の景色の解像度

前述のようにコートの中にいる主人公の描写が少ないからというのもあるのか、コート内でのプレー中の描写がすごく鮮明だった。怪我をする前の主人公はトスを受けたら自動的に体が動くような感覚で跳び上がり、しなやかにスパイクを打っていた。流れるような筋肉の美しい動きが見えるようだ。対して、怪我から治療を経て復帰したときの動きはぎこちなく、思うようにならないことから焦りが生まれて余計に不調になってしまう。この落差が強烈だから、若い肉体は早く治癒に向かっても、心に受けたダメージは大きいのだということをずしりと感じずにはいられなかった。

長くて短い10代

怪我をしたらまずは治療に専念しなければならないし、そうしなければ後々に響くということはある程度の大人なら分かっていることだ。主人公だって本当は分かっているはずなのだ。それでも、感じている足の違和感を自分でごまかそうとしたり、医者にもう少し様子を見るよう言われても聞かずに練習に復帰したり、サポーターを忘れてもそのことを隠して練習に参加したり、こちらがヒヤヒヤするような行動をする。主人公はチームが試合に負けてもあまり悔しがらず現実を受け入れていたり、どこか冷めたところがある。でも実際はすごくプライドが高くて、怪我をした自分の代わりにコートに入ることになったチームメイトの成長を受け入れられない。主人公が無理をしてしまうのはプライドや焦りによるところが大きいのだろう。

主人公のその焦りは学生生活の短さと切り離せないと思う。クライマックスでもなんでもないけど、この物語の好きなシーンは母との何気ない会話だ。主人公がレギュラーじゃなくなって新人戦に出られるか分からないということを伝えたときの母は、「淡白な口ぶり」で「まあ怪我してたんだし、そういう時期もあるよ」と言う。客観的に、長いスパンで見ると母の言うことはその通りで、母としても本当に思ったことをそのまま口にしただけなのだろう。目の前しか見えていない主人公の心の中に渦巻く悔しさや葛藤に対して母の態度はあまりにも凪だ。例えば大人にとっての1年と高校生にとっての1年は全然違う。学生にとっては、例えば高二の秋は一度しか来ないわけで、1ヶ月だって3ヶ月だってとても長い時間なのだ。短い時間を、目の前のことに必死になりながら生きているからこそ、強い焦りが生じて苦しむというのがよく分かってつらくなった。同時に、今の私はどちらかというと母目線に近いと感じて、長くて短かった学生生活を抜けてしまったことを改めて実感した。

あとは、この物語はチームスポーツの厳しさをちゃんと捉えている。ボールを床に落とさずにつないでいかなければならない以上、1人のミスがチームのミスになる。仮に自分ひとり立ち直れてもチーム全体はダメージを受けるわけだから責任から感じるプレッシャーがある。その空気感がすごく伝わってきた。

何かに打ち込むこと

人が何かに打ち込んでいる姿は輝いて見えるものだ。でも何かに打ち込むことは楽しいばかりじゃない。高い理想があるから成し遂げるために地道な努力が必要で、好きでやっていたはずなのに行き先を見失いそうになることもある。

この物語はスポーツ小説の割に主人公が低体温なのは先述した通りだが、特に日々の練習について、また始まるな、と倦怠感を抱えながら淡々とこなしている感じで、その日常の感じがなんか分かると思った。

私も打ち込んでいることがあるけど、楽しくないときもあるし、気が向かないけど習慣だから機械的に通っている感じのときもある。好きでやっていたはずなのにと思ったり、なぜ続けているのだろうと思ったりする。それでも辞めないのは、もう切り離せなくなっているからだと思う。趣味というよりは「業」みたいなものになってしまっている。だから、主人公たちの「離れられない」という言葉がしっくり来た。

この物語に出てくる登場人物たちは魅力的だ。先述の母にしてもそうだが、それぞれの立場で率直な一言を投げてきて、それがとても心に残る。例えば、教室で主人公の前の席に座る浦井は、特に夢中になっていることがないから、一つのことに打ち込む主人公たちを「異星人みたいな感じ」と言葉にする。からかってくるけどなんだかんだ見守ってくれている浦井好きだなと思った。もう一人の主人公といえる真島綾は漫画が書けずに苦しんでいる。彼女は漫画を楽しく描いていたときの気持ちや描けなくなってからの気持ちを言語化してくれることで、一つのことと向き合おうとしているという共通項を持つ景と心でつながっていく。この二人の出会いは主人公の怪我の引き金になってしまうわけだけど、それでもこの出会いがあって本当によかったなと思う。

バレー部メンバーたちもそれぞれ魅力的だ。打ち込むことも、そのあり方は人それぞれだと教えてくれる。バレーが好きという気持ち、楽しむ気持ちが前面にある者、負けず嫌いが前面にある者、極限の集中から最善のプレーを導き出すことに懸けている者。

苦しみも描かれたけど、そこから抜け出すときに劇的な変化が起こるというよりは探し当てた扉をそっと開けるような、主人公の成長を現実的に感じられるような筆致だった。悔しそうな様子をしていなくても、主人公にとって怪我はマイナス要素で、後悔もしたはずだ。でも、それがなかったらこんなに自分と真剣に向き合うことはなく今までのまま淡々とプレーしていたのだろうと思う。一つ大きな山を乗り越えたから、同じようにスパイクを打つように見えて絶対強くなっている主人公に拍手を送りたい気持ちだ。


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