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令和のときめき 大津小説

成瀬が帰ってきた。数多の賞を戴いて、現在は本屋大賞にノミネートされている『成瀬は天下を取りにいく』の続編、『成瀬は信じた道をいく』 が発売になった。無論期待を膨らませていたが、それにしても驚異的な早さで続編が出てくれて成瀬ファンとしては嬉しい限りだ。続編が早すぎて物語は2025年にまで突入し、来週に迫る北陸新幹線敦賀延伸が過去の出来事になっている。表紙のイラストは、前作が西武のユニフォームを着た中学生の成瀬だったのが、今作ではびわ湖大津観光大使の制服を着た大学生の成瀬。自分のやりたいことを見つめるその目は変わっていないが、少し大人びた様子になっている。今回も語り手が1編ずつ変わる構成になっているので、それぞれについて書いていく。

小学生との出会い

「ときめきっ子タイム」は小学四年生の女の子が成瀬らに出会ってファンになり、地域に貢献する人物として授業の中の発表で紹介するという話。また一人、成瀬のファンが増えることが嬉しい。一方で、当然のことながら皆が皆成瀬に興味があるわけではないことも描かれているのがリアリティがあってよかった。スマホを使いこなせるくらいには大人でも、まだ幼さの残る小学四年生の子どもが、他人と関わることで受ける小さな傷を乗り越える物語で、その成長に成瀬と島崎が寄り添っているのが素敵だなと思った。自分に照らしてみると、小学生の頃は高校生がすごく大人びて見えて、遠くに感じていた。大人ではないけれど少し先を歩く存在として気軽に接することができる機会があったらどんなによかっただろうと思う。

いちばん近くで見守る存在として

「成瀬慶彦の憂鬱」は、主人公成瀬の父親が娘が家を出る未来を思って気もそぞろになりつつ、成瀬の受験を見守る話。今までは、成瀬の友達の島崎や、地域の中で成瀬が出会っていく人々が描かれてきたが、今度は成瀬をいちばん近くで見守ってきた親が描かれて、成瀬が18年間生きてきた軌跡がよく分かる。私は大学受験の緊張感は昨日のことのようによく覚えているし、一発で合格することがいかにすごいかを骨身に染みてよく知っている。親は受験の結果に直接関与できない分、心配したり、自分にできることはしてあげなければと思ったりする気持ちも分かるような気がする。2日間の受験の中で驚くような出来事が起こるが、オロオロする父親と堂々とした成瀬を見ていると、成瀬のほうが常識的な行動をしているように見えて不思議だ。親子でも相手の考えていることなんて全然分からなくて、知らぬ間に子どもは成長している。父が娘の成長に気づくところが好きな作品。

理解されない側の心を描く

「やめたいクレーマー」は、唯一初出でない1編。前作で成瀬たちが閉店を見守った西武大津店の跡地に建つマンションに住む主婦の物語だ。呉間という名字の彼女は、マンションの向かいのOh! Me大津テラス1階にある平和堂で買い物をしては、些細なことでクレームをつけてしまう。極端なクレーマーは嫌がられるものだし、世間の多くの人から理解されないものだろうから、この爽やかな小説にそのようなテーマが紛れてくることを意外に思った。でも、そんな「分からない」存在だからこそ、その心の内が描かれることにはとても意味がある。スーパーの「お客様の声」コーナーに縋る様子はどこまでも真面目で真剣で、でもその正義感の一方で罪悪感も持っていてクレーマーをやめたいと思っている。切実な矛盾を抱える彼女が成瀬と出会ってその日々が少しだけ変わっていく様子を見ていると、クレーマーである彼女がちょっと滑稽で愛しい存在に思えてくる。あと個人的には、昨年聖地巡りした西武跡地とOh! Meが出てきたのが嬉しかった。土地との結びつきという点では、この1編が最も前作の「続き」感があるかもしれない。

滋賀は少ししか出てこないが、昨年の聖地巡りの様子はこちら↓

がんばれ観光大使

「コンビーフはうまい」は、もう表紙になっているから書いてよいと思うが、成瀬がびわ湖大津観光大使をやる話。順調に地元への貢献を果たしていく成瀬が眩しい。成瀬は周りを変えていくが、それだけではなく成瀬も変わっていく。そういうところがリアルに描かれているのがよかった。「コンビーフはうまい」という言葉がなんか成瀬らしいし、成瀬の活躍から目が話せなくて大好きな話だけど、それだけではない。やはりこの話の語り手となるもう一人の観光大使の成長が特に印象的だった。家庭内の歪みを乗り越えるのは、比較対象や逃げ場がない分、社会生活の中での苦難より難しいことかもしれないと思う。だから、彼女の勇気に賞賛を贈りたいし、大きなテーマの一例を重くなりすぎずに描くことに成功し、かつコルクが抜けるような読後感を与えてくれた作者にもありがとうと言いたい。

そしてさらなる未来へ

「探さないでください」は成瀬が失踪する話。それだけでもうインパクト絶大なのに、衝撃的な出来事がたくさん起こる。その中で描かれる島崎の胸中に、胸がきゅっとなった。自分で正しいと信じて選んだ進路でも、後になって本当にこれでよかったかと思ってしまうことはあって、自分で決めたからこそ苦しい後悔なのだ。島崎の中の凝った感情がほどけたとき、氷がとけるように、私も前を向いて生きようと思えた。

まとめ

成瀬が新たに人々と出会っていくのが成瀬ファンとして嬉しかった。一方で物語の端々に前作で繋がった人々も顔を出して、懐かしい気持ちになった。人のつながりの輪がちゃんと続いているし、大きくなり続けている。

成瀬は本当にすごいやつだけど、全てのやりたいことを実現できるわけではない。パッと見天才だが天才ではなく、やりたいことを見つけてそれに向けてどうすればよいか考えて遂行する能力に優れた、「努力の天才」である。だから好きなのだ。あくまで等身大の人間として、リアリティを伴って描かれているから、応援したくなる。これから先も成瀬の活躍を見ていたい。本作は十分未来を見せてくれたけど、もっと先の未来も楽しみに思える。


↓『成瀬は天下を取りにいく』の感想はこちら


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