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「苦手意識」 とは 「好きになりたい」 の裏返しかもしれない

「日本語であそぼ」が、今思えば好きだった。
素直に好きと言えなかったのは、一つには、難しかったから。

ややこしや〜 ややこしや〜
わたしがそなたで そなたがわたし?
ほお 私とは なんじゃいなあ〜!

とか。

汚れちまった悲しみに、とか。

もう一つの理由は、母に見なさいと言われたからだ。
見なさい、ではないかもしれない。
「(アニメとかじゃなく)こう言うの見たら?」
が近そう。

私が長女だからか、自分のコンプレックスのためか、
やたら頭のいい子に育てたかったらしい。

母が好きで母に好かれたかったので、母の言うことは聞こうとしてきたと思う。
無理やりやらされた、親の引いたレールに沿って、とかよく言われるそういうのはダサいので、
自分でも納得した上で、かつ「きっかけは親に言われてではあるけど、私はこれが好きです」と言えるように、好きになろうと、好きな部分を見つけようと努力して、いろいろ頑張ってきた。勉強とか。

「日本語であそぼ」は小さな私には難しかったから、そして、
わかった上で好きと言いたかったから、
かえってプレッシャーになって、苦手意識を持ってしまっていたな。
日本語、というか国語にも。

6/12
今日は学校で、意識が引っ張られていきそうだった。
最近多いので気候のせいだろうと思いつつも、わりと調子が悪い日が続いていて、焦る。

昨日の夜からイワシの梅煮が食べたくて(それで昨日は夜の散歩がてらコンビニに行ったが買えなかった)学校から帰った後に、スーパーへ歩いて行った。

家を出る前は「大丈夫。行けそう。」と心の中でつぶやいたけれど、
道半ばで「あ、だめかも」に変わり、
「行けそう」だった「行けそう」の部分はどこに消えてしまったのかな、とか
単に「スーパーに行けそう」だったのかもっと大きな何かが「できそう」だったのか、
いずれにせよ果たされなかった「行けそう」は天国で幸せになってほしいとか
よくわからない思案をしながらとぼとぼ歩いた。

実家だと圧力鍋にイワシをびっしり、生姜をたっぷり、梅干しとネギと骨が溶けるまで煮たのが、イワシの梅煮。
でも今は圧力鍋もないし、機密性が無駄にいい家、魚臭くなるのはごめんだから缶詰で代用。

さて、味付き、味噌煮に比べて、水煮が高いのはなんででしょう?
せいぜい2尾も入っていればいい方のこの缶詰に200円以上出すのが、この世の理なのですか?
一応鮮魚コーナーも見たけれど、一夜干しか売ってなかった。
生のは売れてしまったのかしら。
缶詰コーナーで3回迷って、結局249円(税抜)をカゴに入れた。
一夜干しでもよかったのかしら。

身体のために、砂糖や添加物でごまかしていない比較的良いもの、高いものを選ぶことにだいぶ疲れた。
投資投資と唱えながら買うけども、投資したら将来その分、この身体は働かなければならない。
プレッシャーなんだ。
と考えると投資の価値なんかないのではないかと逃げそうになってしまう。
一人だから余計にだ、罪悪感。
誰か他の人も一緒に食べてくれたら、薄れそうなんだけど。

我流イワシの梅煮は予想以上に美味しくて、食べたら拍子抜けするほど元気になってしまった。
体調に合っていたんだな、高い缶詰買ってよかった。

その勢いで描いた絵が、今日の画像です。
「心の穴を埋めたいから」

私は母に苦手意識があるけれど、多分、好きになりたいの裏返しです。

お読みいただきありがとうございます。今日も生きます。